205 / 228
38.二人暮らし
どう扱うのが正解だったのだろう
しおりを挟む
結葉が離婚届を役所の窓口に提出するのを見届けた偉央は、早々にその場を立ち去った。
今更「さよなら」を言うのも「今までありがとう」を言うのも変だと思ったし、何より愛しい結葉が、想に付き添われてどうこうしている姿を見たくなかったから。
一度は幼馴染みのあの男から結葉を略奪することに成功したはずだったのに、自分はどこで間違えてしまったのだろう?
偉央は山波想を見つめる元・妻の信頼しきった眼差しを見て、完全に自分の敗北だと悟ったのだ。
もうどんなに足掻いても結葉が自分の腕の中に戻ってくることはないだろう。
力尽くで閉じ込めたところで、彼女が反発して手の中からすり抜けていってしまう事は嫌と言うほど思い知った偉央だ。
そもそも偉央は結葉の身体だけが欲しいわけではなかったから。
不器用な愛し方しか出来なかったと認めるけれど、結葉の身体だけを支配するので満足だったことはただの一度もなかったと偉央は断言できる。
いつだって偉央は結葉の身も心もギュッと閉じ込めて自分だけのものにしたいと熱望していた。
「結葉……」
車に乗ってハンドルを握りしめたまま結葉の名を呼んでみたけれど、その声はもう決して彼女に届くことはないと分かっていたし、ましてや返事が返ってくることだってない。
ギュッとハンドルを握る手に力を込めると、偉央は結葉たちが役所から出てくる前に車を出した。
***
離婚届の提出は、昼休みを利用して行った三人だ。
ただ書類を提出するだけなのだからそんなに時間が掛かることはないと分かってはいたけれど、出した後の自分の精神状態までは予測不可能だったから。
とりあえず今日は自分には手術も往診も何も入れずにおいた偉央だ。
『みしょう動物病院』の裏口からそっと中に入ると、第二手術室で佐藤獣医師が猫の避妊手術をしている最中のようだった。
今日の手術予定は確か三件。
いずれも不妊手術で、雌猫の避妊手術が一件、雄猫の去勢手術が一件、雌犬の避妊手術が一件だった。
猫二匹は佐藤獣医師が、犬の避妊手術は第一手術室で早川獣医師が担当することになっていたと記憶している。
みしょう動物病院では、基本的に手術には獣医師の他に手術をサポートする動物看護師が最低でも二人はつくことになっている。
手術前の機材の準備や動物の毛刈り、消毒などはもちろんのこと、術中も看護師には術野を広げる手助けをしてもらったり、手術に必要な機器を手渡してもらったりする。
術後の機器の片付けや消毒、患畜の術後管理など、手術関連ひとつに絞ってみても、動物看護師たちの尽力なくしてうちの病院は回らないと偉央は思っている。
いつも大体十二時半から十四時の間に遅い昼食を済ませることになるスタッフたちが、その日の手術件数に合わせて各自が時間を考えて動き始めてくれて、各々割り当てられた仕事をこなしてくれる感じ。
午前中の診療がどのぐらい午後に食い込む形で長引いたかにもよるけれど、基本的にずっと立ったまま仕事をしているスタッフたちにとって、昼休憩は足を休めるという意味でも貴重な休息タイムになっている。
女性ばかりの看護師たちの休憩室を覗くことは、いくら雇い主の偉央とは言えはばかられるので、用事でもない限りしたことはないのだが、加屋美春がぽろりとこぼした話によると、昼食後はみんなして小さめのマイ枕などを持ち出して、思い思いに机に突っ伏して仮眠を取っていることが多いらしい。
そうやってちゃんと身体を休めてくれて、午後からも頑張ってくれるのだから有難いなと偉央は思って。
それと同時、結葉には絶対に自分の手伝いはさせたくないとも思ったのを覚えている。
あの華奢な結葉が何時間も立ちっぱなしの仕事をすると思うと心配で堪らないし、ましてや昼休憩時間、机に突っ伏して雑魚寝状態になるなどと言ったこと、どうしても想像がつかなくて。
スタッフたちには申し訳ないが、結葉は家でのんびりしているのが似合うとずっと思っていた偉央だ。
外に出して、自分の預かり知らぬところで誰かに触れられたり見られたりするのは我慢ならない。
かといって自分のそばに置いて動物病院の手伝いをさせることも無理だと思ったから。
偉央は結葉との三年間の婚姻生活の中、彼女を働かせず、専業主婦という形で家に縛りつけたのだ。
今となってはそれも結葉にとっては苦痛でしかなかったのかなと思って。
一体どう扱うのが正解だったのか、結葉と離婚した後になっても偉央にはさっぱり分からなかった。
結葉以外の女性ならば、偉央はここまで執着せずにいられたのだろうか。
歴代の彼女たちのことを思い浮かべてみても、結葉ほど自分の手の中に囲って外に出したくないと思った女性はいなかったから、きっとそうなのだろう。
***
今日は手術が数件重なってくれていてよかったなと思った偉央だ。
偉央は第一診察室に引きこもると、椅子に腰掛けてグッと両の拳を握りしめた。
ふと手元に視線を落とすと、未練がましく外し損ねたままになっていた結婚指輪が目に入って、偉央は小さく吐息を落とす。
今更「さよなら」を言うのも「今までありがとう」を言うのも変だと思ったし、何より愛しい結葉が、想に付き添われてどうこうしている姿を見たくなかったから。
一度は幼馴染みのあの男から結葉を略奪することに成功したはずだったのに、自分はどこで間違えてしまったのだろう?
偉央は山波想を見つめる元・妻の信頼しきった眼差しを見て、完全に自分の敗北だと悟ったのだ。
もうどんなに足掻いても結葉が自分の腕の中に戻ってくることはないだろう。
力尽くで閉じ込めたところで、彼女が反発して手の中からすり抜けていってしまう事は嫌と言うほど思い知った偉央だ。
そもそも偉央は結葉の身体だけが欲しいわけではなかったから。
不器用な愛し方しか出来なかったと認めるけれど、結葉の身体だけを支配するので満足だったことはただの一度もなかったと偉央は断言できる。
いつだって偉央は結葉の身も心もギュッと閉じ込めて自分だけのものにしたいと熱望していた。
「結葉……」
車に乗ってハンドルを握りしめたまま結葉の名を呼んでみたけれど、その声はもう決して彼女に届くことはないと分かっていたし、ましてや返事が返ってくることだってない。
ギュッとハンドルを握る手に力を込めると、偉央は結葉たちが役所から出てくる前に車を出した。
***
離婚届の提出は、昼休みを利用して行った三人だ。
ただ書類を提出するだけなのだからそんなに時間が掛かることはないと分かってはいたけれど、出した後の自分の精神状態までは予測不可能だったから。
とりあえず今日は自分には手術も往診も何も入れずにおいた偉央だ。
『みしょう動物病院』の裏口からそっと中に入ると、第二手術室で佐藤獣医師が猫の避妊手術をしている最中のようだった。
今日の手術予定は確か三件。
いずれも不妊手術で、雌猫の避妊手術が一件、雄猫の去勢手術が一件、雌犬の避妊手術が一件だった。
猫二匹は佐藤獣医師が、犬の避妊手術は第一手術室で早川獣医師が担当することになっていたと記憶している。
みしょう動物病院では、基本的に手術には獣医師の他に手術をサポートする動物看護師が最低でも二人はつくことになっている。
手術前の機材の準備や動物の毛刈り、消毒などはもちろんのこと、術中も看護師には術野を広げる手助けをしてもらったり、手術に必要な機器を手渡してもらったりする。
術後の機器の片付けや消毒、患畜の術後管理など、手術関連ひとつに絞ってみても、動物看護師たちの尽力なくしてうちの病院は回らないと偉央は思っている。
いつも大体十二時半から十四時の間に遅い昼食を済ませることになるスタッフたちが、その日の手術件数に合わせて各自が時間を考えて動き始めてくれて、各々割り当てられた仕事をこなしてくれる感じ。
午前中の診療がどのぐらい午後に食い込む形で長引いたかにもよるけれど、基本的にずっと立ったまま仕事をしているスタッフたちにとって、昼休憩は足を休めるという意味でも貴重な休息タイムになっている。
女性ばかりの看護師たちの休憩室を覗くことは、いくら雇い主の偉央とは言えはばかられるので、用事でもない限りしたことはないのだが、加屋美春がぽろりとこぼした話によると、昼食後はみんなして小さめのマイ枕などを持ち出して、思い思いに机に突っ伏して仮眠を取っていることが多いらしい。
そうやってちゃんと身体を休めてくれて、午後からも頑張ってくれるのだから有難いなと偉央は思って。
それと同時、結葉には絶対に自分の手伝いはさせたくないとも思ったのを覚えている。
あの華奢な結葉が何時間も立ちっぱなしの仕事をすると思うと心配で堪らないし、ましてや昼休憩時間、机に突っ伏して雑魚寝状態になるなどと言ったこと、どうしても想像がつかなくて。
スタッフたちには申し訳ないが、結葉は家でのんびりしているのが似合うとずっと思っていた偉央だ。
外に出して、自分の預かり知らぬところで誰かに触れられたり見られたりするのは我慢ならない。
かといって自分のそばに置いて動物病院の手伝いをさせることも無理だと思ったから。
偉央は結葉との三年間の婚姻生活の中、彼女を働かせず、専業主婦という形で家に縛りつけたのだ。
今となってはそれも結葉にとっては苦痛でしかなかったのかなと思って。
一体どう扱うのが正解だったのか、結葉と離婚した後になっても偉央にはさっぱり分からなかった。
結葉以外の女性ならば、偉央はここまで執着せずにいられたのだろうか。
歴代の彼女たちのことを思い浮かべてみても、結葉ほど自分の手の中に囲って外に出したくないと思った女性はいなかったから、きっとそうなのだろう。
***
今日は手術が数件重なってくれていてよかったなと思った偉央だ。
偉央は第一診察室に引きこもると、椅子に腰掛けてグッと両の拳を握りしめた。
ふと手元に視線を落とすと、未練がましく外し損ねたままになっていた結婚指輪が目に入って、偉央は小さく吐息を落とす。
0
あなたにおすすめの小説
【完】経理部の女王様が落ちた先には
Bu-cha
恋愛
エブリスタにて恋愛トレンドランキング4位
高級なスーツ、高級な腕時計を身に付け
ピンヒールの音を響かせ歩く
“経理部の女王様”
そんな女王様が落ちた先にいたのは
虫1匹も殺せないような男だった・・・。
ベリーズカフェ総合ランキング4位
2022年上半期ベリーズカフェ総合ランキング53位
2022年下半期ベリーズカフェ総合ランキング44位
関連物語
『ソレは、脱がさないで』
ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高4位
エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高2位
『大きなアナタと小さなわたしのちっぽけなプライド』
ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高13位
『初めてのベッドの上で珈琲を』
エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高9位
『“こだま”の森~FUJIメゾン・ビビ』
ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高 17位
私の物語は全てがシリーズになっておりますが、どれを先に読んでも楽しめるかと思います。
伏線のようなものを回収していく物語ばかりなので、途中まではよく分からない内容となっております。
物語が進むにつれてその意味が分かっていくかと思います。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
お前が愛おしい〜カリスマ美容師の純愛
ラヴ KAZU
恋愛
涼風 凛は過去の恋愛にトラウマがあり、一歩踏み出す勇気が無い。
社長や御曹司とは、二度と恋はしないと決めている。
玉森 廉は玉森コーポレーション御曹司で親の決めたフィアンセがいるが、自分の結婚相手は自分で決めると反抗している。
そんな二人が恋に落ちる。
廉は社長である事を凛に内緒でアタックを開始するが、その事がバレて、凛は距離を置こうとするが・・・
あれから十年、凛は最悪の過去をいまだに引き摺って恋愛に臆病になっている。
そんな凛の前に現れたのが、カリスマ美容師大和颯、凛はある日スマホを拾った、そのスマホの持ち主が颯だった。
二人は惹かれあい恋に落ちた。しかし凛は素直になれない、そんなある日颯からドライブに誘われる、「紹介したい人がいるんだ」そして車から降りてきたのは大和 祐、颯の息子だった。
祐は颯の本当の息子ではない、そして颯にも秘密があった。
私を抱かないと新曲ができないって本当ですか? 〜イケメン作曲家との契約の恋人生活は甘い〜
入海月子
恋愛
「君といると曲のアイディアが湧くんだ」
昔から大ファンで、好きで好きでたまらない
憧れのミュージシャン藤崎東吾。
その人が作曲するには私が必要だと言う。
「それってほんと?」
藤崎さんの新しい曲、藤崎さんの新しいアルバム。
「私がいればできるの?私を抱いたらできるの?」
絶対後悔するとわかってるのに、正気の沙汰じゃないとわかっているのに、私は頷いてしまった……。
**********************************************
仕事を頑張る希とカリスマミュージシャン藤崎の
体から始まるキュンとくるラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる