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(5)後悔

やり直し

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***


 不安を抱えながら里へ戻った山女は、里人に見つかるなりまるで罪人でも引っ立てるみたいに乱暴に腕を掴まれて里長の元へ連行された。

「本当に山女なのかっ? お前っ、おる⁉︎」

 まるで死ぬ事が前提だったみたいな里長の口振りに、山女は息を呑んだ。

「これまで贄になって戻ってきた娘がおらん事はお前も知っておろう? あれは皆、龍神様に喰われたからだ。なのにお前――。まさかあの日、務めを果たさず主様から逃げたのか?」

 六年半前、自分たちが縄でぐるぐる巻きにして、内側からは決して出られない駕籠かごの中へ閉じ込めておきながら、何故そんな風に思えるのだろう?

 久々の再会を露ほども喜ばれもせず、そればかりかそんな風に疑われてしまって、山女は心底悲しくなった。

「私、」
 ――お役目を放棄などしておりません!

 そう訴えようとして、辰に抱いて貰えなかったばかりか、食してすら貰えなかった事を思い出した山女は、グッと下唇を噛んで黙り込んだ。

 辰から与えられるばかりで何も返せなかった自分は、お役目を放棄したのと何ら変わりないのではないかと思って。


 そんな山女の沈黙を、里の者達は先の里長の問いへの肯定と受け止めた。

「何て事だ」

 にわかに里全体が騒がしくなって、半ば恐慌状態。

 ややして、「今からでも遅くないのではないか? やり直そう」と言う声がどこからともなく聞こえてきた。

 山女がその言葉の意味を理解するより早く、里人達の手によって地面に押さえ付けられた山女は、手足を縄できつく縛られてしまう。

 地面に転がされた状態のまま、不安に揺れる瞳で皆を見上げた山女の頬に、ポツリと雨粒が落ちてきて。
 やがてザァァァというざわめきを伴って、視界が霞むほどの雨が降り始めた。

「俺が責任を持って山女を龍神様んトコへ戻して来る」

 そんな雨の中、男衆の中で一際ひときわ身体の大きな里長の息子が山女を肩に担ぎ上げた。

「いやっ」

 急に米俵こめだわらでも持ち上げるみたいに男の肩に載せられた山女は、恐怖に身体をすくませて悲鳴を上げた。
 だが、その声すら許せないと言わんばかりに、周りにいた男らの一人からすぐさま口の中に布を突っ込まれて猿轡さるぐつわを嚙まされてしまう。

 里に戻れば疎まれるだろう事は分かっていた。
 でも、ここまで拒絶されるだなんて思っていなかった山女は、雨に濡れながらポロポロと涙を零して恐怖心に耐えた。

 今朝方、辰に里のふもとまで送って貰った時には、まさかこんな風にすぐさま自由を奪われて来たばかりの道を引き返す羽目になるとは思いもしなかった。

 男は龍神の祠の傍から躊躇なく川に足を踏み入れると、自身の腰ぐらいの深さの所で歩みを止めて、
「悪く思うなよ?」
 言って、山女やまめの顔を一瞥いちべつするなり手足を縛られた彼女を横倒しのままそっと川面に下ろした。
 手を放す間際、もぎ取る様に口枷くちかせを外してくれたのは、せめてもの良心だろうか――。

 雨でびしょ濡れだったとは言え、絶えず流れている川の水は思ったよりも冷たくて、成す術もなく沈んでいく身体からどんどん体温を奪われる。
 拘束なんてされて居なくても元々泳げない山女は水底へ向かって沈んで行きながら、水を掻き分けて岸辺へ戻って行く里長の息子の背中をぼんやりと見送った。
 置いて行かないで!と叫びたくとも、半ば水に沈んだ口では悲鳴を上げる事すら許されなくて。

 実際、辰に突き放され、里からも拒絶された山女には生きる術なんてない。きっと、遅かれ早かれ死ぬ運命なんだろう。

 でも――。

 そうは思っていても息苦しさに耐えられなくて、まるで地上に出たミミズ地竜みたいに水中でくねくねと身をよじって必死にもがいた。
 焦る余り開いてしまった口の中に、ごぽごぽと水が入り込んで、身体がどんどん重くなる。意識が……遠、ざか、る……。

『辰様……!』

 そんな中、山女はまるで助けでも呼ぶみたいに声にならない声で辰の名を呼んだ――。


***


 玉を抱いたまま胎児の様に丸まって水中を揺蕩たゆたっていたら、不意に山女が名を呼ぶ声がした。
 気のせいだと分かっていても、それは胸を切り裂くような悲愴さで川全体を震わせたから。

 辰は、思わず閉じていた瞳を開いた。

 声がした方へ目を凝らせば、澄んだ水の先、小さな人影が不自然にもがきながら沈んで行くのが見えて。同時に水の中を嗅ぎ慣れた山女の匂いが漂ってくる。

『山女⁉︎』

 直感的にそう思った辰は無意識、何よりも大切なはずの玉を手放して三m十尺ばかり先の小さな人影へ手を伸ばしていた。

 泳ぐのはそれほど遅くないと自負していたはずなのに、本調子ではないからだろうか。高々十尺程度の距離を縮めるのが無限の長さに思えて。

 息も絶え絶え。やっとの思いで腕の中に掻き抱いた山女は、朝送り出した時のまま薄紅色に籠目かごめ模様が入った小袖姿で、どういう扱いをされたのか生地のあちこちが汚れてほつれていた。
 それだけならまだしも、足首にも後ろ手に回された手首にも、縄が掛けられて身動き出来ない様にされていて。

 いつもは紅を引いたように赤みのさした頬と唇が、今は血の気を失って青白くなっていた。

 呼吸もしていないように見えたけれど、辰が山女の身体をずり落ちないよう抱き上げた拍子、コポリと口から水を吐き出して、浅いながらも胸が上下し始める。
 その事にホッとして、とりあえず岸辺まで連れて行き忌々しい縄を断ち切ってやったけれど、未だ辰の腕の中。
 ぐったりして目すら開けようとしない山女の身体は氷みたいに冷え切っていた。

 それなのに雨脚は強くなる一方で、いつまでも外にいるわけにはいきそうにない。

 辰は祠を通って屋敷内に彼女を連れ込むと、土間の所でお互いの着物や髪を濡らす水気を全て飛ばそうとして――その能力さえ著しく落ちている事に愕然とする。

 辰は一旦山女を床に横たえると、自身の着物を全て脱ぎ捨てて、少し躊躇いがち。グッと唇を噛みしめて山女の着物に手を掛けた。
 服が渇かせない以上、濡れた着物を着せたままなのは得策ではない。
 分かってはいるけれど、勝手に彼女の身ぐるみを剥がしてしまう事に、辰は少なからず抵抗を覚えた。

 山女の残していった長持ながもちの中から新しい着物を整えて着せかけた辰は、その後で自分も同じように体裁を整え直した。

 山女は未だはっきりと意識を取り戻してはいないものの、布団に寝かせた折、辰をぼんやり見上げて「辰様……?」とつぶやいた。
 それに優しく頷いて見せると、心底ホッとしたように微笑んで。

 それを見た辰は、山女の意識が戻ってくるのも時間の問題だろうと判断して、後ろ髪をひかれるような思いで一旦屋敷を後にする。

 山女に気を取られて川床に大切な玉を取り落としてしまった。

 あれを見つけなければ、大変なことになる。
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