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(5)後悔

辰の異変

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 山女やまめを里へ送り届けたしんほこらを通じて邸内に戻ると、山女のために作った間仕切り用のふすまの奥、彼女が使っていたきり木箱ながもちが部屋の片隅にポツンと取り残されていた。

(金にでも換えて持たせるべきだったか)

 そうすれば、身一つで戻るよりもきっと。貧しいあの里では山女への風当たりが弱まったはずだ。

 辰が用意した調度品の多くは、かつての贄乙女達が龍神へ献上された折に里の親から持たされた物だった。
 彼女達が使う必要のなくなったそれらは、あの里で親が娘に持たせるには値の張る品々ばかりだったから。
 きっと贄として差し出す事になってしまった我が子に、最後にしてやれる親心。多少無理をしてでも用意した逸品ばかりだったのだろう。

 正直山女のように婚礼衣装のみで遣わされた娘は居なかったから、辰は山女が「里へは帰れない」と訴えてきた時、柄にもなく手を差し伸べてしまったのだ。


 傍に置いておけば、遅かれ早かれ手を出さずにはいられなかった。
 だから半ば強引に山女の事を手放したのだ。

 だが、山女を大切にしてくれるとは思えないあの里へ彼女を返した事は、果たして正解だったのだろうか。

 それが山女自身の選択だったから辰は彼女の意思を尊重したのだけれど――。

 身寄りのない山女の事をさんざんしいたげてきたと言う里の者達の手で、彼女が辛い目に遭わされやしないかと、そればかりが辰の頭の中をぐるぐると回った。



 山女の事は気になるけれど、自分には果たさねばならない務めがある。

 辰は長持ながもちふたをわざと乱暴に閉めて気持ちを切り替えると、屋敷内上座に設置された祭壇にまつられた宝珠たまに手をかざした。

 普段は水晶玉の様にただただ透明な宝珠ほうしゅだが、辰がそうした途端ミントグリーン薄青藤色の卵型のものが映し出される。
 それは里人らがあがめている、祠の中に安置された宝玉と似た外観をしていたけれど、どうやらこちらは水底みなぞこにあるらしい。

 キラキラと太陽光を乱反射する水の中、流れに翻弄ほんろうされる水草と、激流箇所で立つ、白く小さな水泡の一群が玉と一緒に見て取れた。
 遠くの方を泳ぐ魚たちとは別に、時折すぐ手前を横切る魚もいて。
 水の透明度が高いため、ずっと向こうの方まで見渡せるその映像のど真ん中に、薄青藤色うすあおふじいろの卵型をした宝玉がある。映し出される像からはその大きさを窺い知る事は出来ないが、実際は人の顔程であることを辰は知っていた。

 辰が、大雨で川の水嵩みずかさが増すたび外へ出掛けているのは、ひとえにこの玉が下流へ押し流されたりしないよう護りに行っているからに他ならない。

 普段通りの穏やかな流れであっても、転がりやすい形状のため時折こんな風に邸内の宝珠を使って玉の様子を観察してきた辰だ。

 辰がここにいる存在理由そのものが、水中のあの卵型の玉だと言っても過言ではない。

(あれを失くしたりしたら、俺はとの約束を守れなくなるからな)

 十数年前、恐ろしい程に美しい容姿をした女――きよと交わした約束は、今でも辰を縛り付けている。


***


 山女が辰の元を去った日の夕刻。

 辰は背中の違和感に眉をしかめていた。
 くしの歯が欠けたみたいに幾枚か、ポロポロと剥がれ落ちてしまった背中のうろこに、嫌な予感が募る。

 そもそも背中全体が焼けるように熱い。

 鱗にこそそれ以外に異常はないが、とにかく背面を中心に全身が熱っぽい。
 こんな事は初めてだ。
 山女を失ったのが、思いのほか心痛になっているのだろうか。

 屋敷の木戸を抜けて祠の外へ出ると同時。ポツポツと雨が落ち始めて、すぐに山全体が煙る程の篠突く雨に変わる。
 その雨が背を叩く感触ですら痛みを伴って。
 辰は忌々しい気持ちで空を見上げると、躊躇なく川へ分け入って、とぷんっとその身を淵の底へ沈めた。

 水中にいるとひんやり心地よくて、気持ちがやわらぐ。

 川の流れによって深く川底がえぐられた淵は、上空から見ると浅瀬から深い所へ向かって翡翠色ひすいいろ緑混じりの藍色なんど色少し暗い青緑色鴨の羽色……と色相を変える。
 その中、水深の一等深いかも羽色はいろの地点にある岩陰に、薄青藤色うすあおふじいろをした卵型の大きな玉があった。

 己の身とは別に連動なんてしていないのに、背中の不調に玉の安否が気になってしまった。が、やはりこちらは無事みたいだ。
 その事に安堵しつつ、外が大雨な事を考慮していつも通り宝玉をそっと胸へ抱き寄せたら、辰の心音を拾ったのだろうか。トクトクと腕の中で玉が震える。


 痒みと熱を訴える背中から、更に数枚ほろほろと鱗が抜け落ちて。それに比例するみたいに水中での呼吸が浅くなったのを感じた辰は、不安を覚えずにはいられない。

 これは、きよ以外の女に心を砕いた報いだろうか。

 ふとそんな事を思って、辰は水の中、泡も吐き出さずに小さく吐息を落とした。
 彼の腕に抱かれた宝玉が、そんな辰を静かに見守っていた。
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