9 / 14
(4)拒絶*
山女の嘘
しおりを挟む
***
山女は、一瞬辰に何を言われたのか分からなかった。
でも呆然と辰を見上げた山女は、彼の冷ややかな視線から完全なる拒絶の意思をくみ取った。
辰と暮らし始めて六年半余り。
山女が最も恐れていた事態が目の前に突き付けられていた。
「辰様、私まだ……」
――一人前なんかじゃありません。
そう続けたいけれど、先程自分で自身の身体が大人として成熟した旨を辰に伝えてしまったばかりだ。
あれを言ったのは、山女にとってある種の賭けだったのだが、どうやら自分はその賭けに負けたらしい。
いつまでも子供のままだと思われていては、辰との関係は進まない。
でもだからと言って大人になったのだと示唆すれば、独り立ち出来ると判断され兼ねないことは分かっていた。
でも――。
山女はそれを打ち砕いてでも、辰との関係を変えたいと思ってしまったのだ。
辰のいない邸内で、一人異形の龍神様の帰りを待っていたら、どうしても。
例え彼が人でないとしても、自分は辰の事を慕わしく思っていると訴えたくなってしまった。
――貴方の事を、一人の女としてお慕いしております。
そう素直に言えたなら、どんなにいいだろう。
でも、きっとそんな事を伝えたら辰を困らせてしまうから。
だから、心は無理でもせめて身体ぐらいは辰のものにして欲しかった。
生贄として彼に捧げられた六年前から、自分の身体は間違いなく龍神様のものなのだから。
なのに――。
辰にとって山女は、抱く価値はおろか食べる値打ちもない存在だったらしい。
そこでふと思ってしまった。
――今まで辰様に捧げられてきた贄の娘達は一体どうなってしまったの?と。
山女は、主様に捧げられて里へ帰ってきた者は誰一人居ないと伝え聞いている。
では、辰がいま山女に問うて来たように、他所の里に混ざると言う選択肢を選んだ者ばかりだったのだろうか。
山女みたいに皆の厄介者として育てられた娘ばかりが贄となったわけではないだろうし、その選択を迫られて一人も郷里に戻って来ないのはどこか不自然に思えて。
(供物になる必要などないと主様ご自身から言い渡されて戻ってきた贄娘の前例がいてくれたなら、私だってここへ来てすぐの日に里へ帰るという選択が出来ていた……?)
そうなっていたらきっと、里の皆からは贄となる前以上に疎まれた事だろう。
でも、それでもこんな風に辰の傍にいて、彼の事をこんなにも愛しいと思うようになってから放り出されるよりは、よっぽど良かったかも……と思ってしまった山女だ。
「辰様……」
辰に対する恋情から、すぐ傍に立つ彼の袂を掴もうと手を伸ばした山女だったけれど。
さり気なく距離をあけられてかわされてしまう。
もうそれだけで、山女には十分だった。
考えてみれば、辰には〝いい人〟が待っているのかも知れなかったではないか。
事ある毎に辰から仄めかされてきた見知らぬ女性の気配を失念していたわけではない。ただ、悲しくなるから考えない様にしていただけ。
娘としてなら傍にいても大丈夫で、女としての山女の存在が辰にとって敬遠されるなら、理由はきっとそれしかない。
「私、郷里へ戻ります……」
本当は辰の手引きで、穀潰しだった上に贄としてもまともにお役目を果たせなかった自分の事など誰も知らない他所の里へ混ざる方が生き易いはずだ。
でも――。
さっき山女自身が思った様に、「贄乙女に選ばれても戻って来られるかも?」という前例を作っておく事は、約三年半後、自分と同じ責務を背負わされるだろう少女にとって、小さな希望の光になれるかも知れない。
それに、昔と違って大人の女性へと変貌を遂げた今の自分ならば、里の誰かが子を持つための駒くらいの価値は見出して貰えるんじゃないだろうか。
辰から大事にされ過ぎて忘れかけていたけれど、山女の価値なんてあの里ではきっとその程度だ。
初めての相手が、憎からず思っている辰ではないのは怖いし凄く悲しいけれど、きっと辛く当たられる方が心の痛みを感じなくて済む。
山女はニコッと微笑むと、その場に静かにひざを折った。
「辰様。長い間お世話になりました。辰様から大切にして頂いてここまで恙なく暮らしてこられたご恩、決して忘れません」
そのまま三つ指をついて、かつて里長に教えられた通り丁寧に頭を下げた。
贄としての婚礼のために仕込まれた挨拶は、果たして上手く出来ただろうか。
そんな事を思いながら、山女は今にも床に零れ落ちてしまいそうな涙を必死に堪えた。
山女は、一瞬辰に何を言われたのか分からなかった。
でも呆然と辰を見上げた山女は、彼の冷ややかな視線から完全なる拒絶の意思をくみ取った。
辰と暮らし始めて六年半余り。
山女が最も恐れていた事態が目の前に突き付けられていた。
「辰様、私まだ……」
――一人前なんかじゃありません。
そう続けたいけれど、先程自分で自身の身体が大人として成熟した旨を辰に伝えてしまったばかりだ。
あれを言ったのは、山女にとってある種の賭けだったのだが、どうやら自分はその賭けに負けたらしい。
いつまでも子供のままだと思われていては、辰との関係は進まない。
でもだからと言って大人になったのだと示唆すれば、独り立ち出来ると判断され兼ねないことは分かっていた。
でも――。
山女はそれを打ち砕いてでも、辰との関係を変えたいと思ってしまったのだ。
辰のいない邸内で、一人異形の龍神様の帰りを待っていたら、どうしても。
例え彼が人でないとしても、自分は辰の事を慕わしく思っていると訴えたくなってしまった。
――貴方の事を、一人の女としてお慕いしております。
そう素直に言えたなら、どんなにいいだろう。
でも、きっとそんな事を伝えたら辰を困らせてしまうから。
だから、心は無理でもせめて身体ぐらいは辰のものにして欲しかった。
生贄として彼に捧げられた六年前から、自分の身体は間違いなく龍神様のものなのだから。
なのに――。
辰にとって山女は、抱く価値はおろか食べる値打ちもない存在だったらしい。
そこでふと思ってしまった。
――今まで辰様に捧げられてきた贄の娘達は一体どうなってしまったの?と。
山女は、主様に捧げられて里へ帰ってきた者は誰一人居ないと伝え聞いている。
では、辰がいま山女に問うて来たように、他所の里に混ざると言う選択肢を選んだ者ばかりだったのだろうか。
山女みたいに皆の厄介者として育てられた娘ばかりが贄となったわけではないだろうし、その選択を迫られて一人も郷里に戻って来ないのはどこか不自然に思えて。
(供物になる必要などないと主様ご自身から言い渡されて戻ってきた贄娘の前例がいてくれたなら、私だってここへ来てすぐの日に里へ帰るという選択が出来ていた……?)
そうなっていたらきっと、里の皆からは贄となる前以上に疎まれた事だろう。
でも、それでもこんな風に辰の傍にいて、彼の事をこんなにも愛しいと思うようになってから放り出されるよりは、よっぽど良かったかも……と思ってしまった山女だ。
「辰様……」
辰に対する恋情から、すぐ傍に立つ彼の袂を掴もうと手を伸ばした山女だったけれど。
さり気なく距離をあけられてかわされてしまう。
もうそれだけで、山女には十分だった。
考えてみれば、辰には〝いい人〟が待っているのかも知れなかったではないか。
事ある毎に辰から仄めかされてきた見知らぬ女性の気配を失念していたわけではない。ただ、悲しくなるから考えない様にしていただけ。
娘としてなら傍にいても大丈夫で、女としての山女の存在が辰にとって敬遠されるなら、理由はきっとそれしかない。
「私、郷里へ戻ります……」
本当は辰の手引きで、穀潰しだった上に贄としてもまともにお役目を果たせなかった自分の事など誰も知らない他所の里へ混ざる方が生き易いはずだ。
でも――。
さっき山女自身が思った様に、「贄乙女に選ばれても戻って来られるかも?」という前例を作っておく事は、約三年半後、自分と同じ責務を背負わされるだろう少女にとって、小さな希望の光になれるかも知れない。
それに、昔と違って大人の女性へと変貌を遂げた今の自分ならば、里の誰かが子を持つための駒くらいの価値は見出して貰えるんじゃないだろうか。
辰から大事にされ過ぎて忘れかけていたけれど、山女の価値なんてあの里ではきっとその程度だ。
初めての相手が、憎からず思っている辰ではないのは怖いし凄く悲しいけれど、きっと辛く当たられる方が心の痛みを感じなくて済む。
山女はニコッと微笑むと、その場に静かにひざを折った。
「辰様。長い間お世話になりました。辰様から大切にして頂いてここまで恙なく暮らしてこられたご恩、決して忘れません」
そのまま三つ指をついて、かつて里長に教えられた通り丁寧に頭を下げた。
贄としての婚礼のために仕込まれた挨拶は、果たして上手く出来ただろうか。
そんな事を思いながら、山女は今にも床に零れ落ちてしまいそうな涙を必死に堪えた。
0
お気に入りに追加
33
あなたにおすすめの小説

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。
星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。
グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。
それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。
しかし。ある日。
シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。
聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。
ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。
──……私は、ただの邪魔者だったの?
衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。

寡黙な貴方は今も彼女を想う
MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。
ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。
シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。
言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。
※設定はゆるいです。
※溺愛タグ追加しました。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた
miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」
王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。
無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。
だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。
婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。
私は彼の事が好きだった。
優しい人だと思っていた。
だけど───。
彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。
※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。
石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。
そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。
新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。
初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、別サイトにも投稿しております。
表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

【書籍化・取り下げ予定】あなたたちのことなんて知らない
gacchi
恋愛
母親と旅をしていたニナは精霊の愛し子だということが知られ、精霊教会に捕まってしまった。母親を人質にされ、この国にとどまることを国王に強要される。仕方なく侯爵家の養女ニネットとなったが、精霊の愛し子だとは知らない義母と義妹、そして婚約者の第三王子カミーユには愛人の子だと思われて嫌われていた。だが、ニネットに虐げられたと嘘をついた義妹のおかげで婚約は解消される。それでも精霊の愛し子を利用したい国王はニネットに新しい婚約者候補を用意した。そこで出会ったのは、ニネットの本当の姿が見える公爵令息ルシアンだった。書籍化予定です。取り下げになります。詳しい情報は決まり次第お知らせいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる