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(4)拒絶*
完全なる拒絶
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辰が背中の鱗を山女に見せ、嵐の中ひとり外へ出て行ってしまった日。
山女は辰が帰って来るまでのおよそ半日間、彼に取り残された時の状態のまま、半ば放心状態で板間に立ち尽くしていた。
台風が通り過ぎ、雨足が緩んだ頃に山女の待つ屋敷へ戻ってきた辰だったが――。
「山女……?」
数刻前、板戸に手を掛け、振り返り様に見た時のまま微塵も動いていない様に見えた山女に心底驚かされた。
何かあったのではないかと不安になって駆け寄ってみれば、山女が虚ろな目をして自分を見上げてくる。
「辰、様……?」
だが、辰に両の腕をグッと掴まれて顔を覗き込まれた途端、ポツンと辰の名を呼んでポロリと涙をこぼした。
「何故泣く?」
辰は少し力を込めただけで今にも折れてしまいそうな山女の細腕を掴む手指に力を入れ過ぎないよう気遣いながら、困惑を隠せない。
(女人の事はやはり理解し難い)
そう思った辰に、山女が再度目の前にいる辰の存在を確認するみたいにポツリとこぼした。
「辰様……」
その表情も声音も、〝女〟そのものだったから。
辰は慌てて山女から手を離すと彼女に背を向けた。
「嵐の中一人にされて心細かったのか」
背中越し、頼むから頷いてくれるなと願いながら問えば、後ろから山女がギュッとしがみついてくる。
「はい。私、身体はこんなにも成長したというのに……まるで幼子みたいに死ぬほど心細うございました。今も辰様なしでは不安でどうにかなってしまいそうです。だから……お願いします。今夜は……辰様と一緒に眠らせて下さい」
わざわざ告げられずとも、己の背後にぴったり寄り添う山女の柔肌から、彼女の成長ぶりを嫌と言うほど思い知らされている辰だ。
そんな山女を遠ざけるため、「自分はお前とは違う存在なのだ」と見せ付けて距離を取らせようとしたのに。
何がどうなって、そういう結論に達したのだろう?
雨に打たれて冷え切った辰の身体は、しかし自然の法則に反して微塵も濡れてはいない。
祠をくぐる時、着物や髪から水分を飛ばしたのは辰自身の意思だ。
水を操るなんて造作もない事だったから。
だが、今はそれを激しく後悔している。
いっそ摂理に則って濡れそぼったままでいたなら、それを言い訳に山女を引き剥がす事も出来たものを――。
(山女は、俺が濡れておらん事を変には思わんのだろうか)
それは、辰が只人では成し得ない事をしてしまえる存在だと山女に受け入れられたと明示された様で、どこか居心地が悪かった。
さんざんこの力を都合の良い様に使っておきながら、山女にはただの人として認知して欲しいなどと言ったら笑われてしまうだろうか。
そんな事を乞う様になってしまった辰にとって、自分の常人ならざる姿を山女に晒したのはある種の賭けだったのだ。
あの姿を見て、山女が辰の事を畏れ、距離を取ってくれたならば……辛くはあるけれど良しとしよう。
だが、もしそうでないならば――。
「悪いがその願いは聞き届けてやれん。なぁ山女よ。お前は忘れてしまったのか? お前と出会ってすぐの頃に告げた俺の言葉を――」
辰はグッと両の拳に力を入れると、山女の方へ向き直った。
そうして彼女の頬を指しく撫でる。
「辰様……? ――あっ」
そのまま山女の柔らかな耳朶を指先でくすぐって、この六年間で長く伸びた彼女の黒髪を後ろへ流しながら首筋を辿る。
そのまま襟足を撫でて衣紋の隙間から着物の内側へ手指をそっと忍ばせると、合わせを割るように彼女の胸元へ向けて指を滑らせた。
「ん……っ」
辰の手の動きに呼応するみたいに山女が艶めいた声を上げて頬を赤らめるから。
辰はグッと奥歯を噛みしめてその色香に耐える。
ふんわりと柔らかな山女の胸の膨らみに意識を持っていかれないよう気を付けながら目当ての品を探り当てると、それを山女の懐から抜き取った。
その際、首に掛けられていた紐は本人に気付かれない様そっと断ち切ったから、山女は辰が鱗入りの巾着を手にしたのを見るまで、それを奪われた事に気付いていなかったらしい。
「山女。元の里へ戻るのと別の里へ混ざるのと、どちらが良い? 選べ」
巾着を袂に仕舞いながら、彼女の事を冷ややかな視線で見下ろした辰に、山女が大きく瞳を見開く。
「辰様……っ、私っ」
辰の言葉に、山女が彼に取り縋ろうとするのを片手を上げて制すると、
「約束しただろう? 俺がお前の面倒を見るのはお前が一人前になるまでの間だと――」
辰は今まで山女に向けたことのない冷ややかな視線を彼女に向けると、彼女と出会って初めて。
――山女を完全に拒絶した。
山女は辰が帰って来るまでのおよそ半日間、彼に取り残された時の状態のまま、半ば放心状態で板間に立ち尽くしていた。
台風が通り過ぎ、雨足が緩んだ頃に山女の待つ屋敷へ戻ってきた辰だったが――。
「山女……?」
数刻前、板戸に手を掛け、振り返り様に見た時のまま微塵も動いていない様に見えた山女に心底驚かされた。
何かあったのではないかと不安になって駆け寄ってみれば、山女が虚ろな目をして自分を見上げてくる。
「辰、様……?」
だが、辰に両の腕をグッと掴まれて顔を覗き込まれた途端、ポツンと辰の名を呼んでポロリと涙をこぼした。
「何故泣く?」
辰は少し力を込めただけで今にも折れてしまいそうな山女の細腕を掴む手指に力を入れ過ぎないよう気遣いながら、困惑を隠せない。
(女人の事はやはり理解し難い)
そう思った辰に、山女が再度目の前にいる辰の存在を確認するみたいにポツリとこぼした。
「辰様……」
その表情も声音も、〝女〟そのものだったから。
辰は慌てて山女から手を離すと彼女に背を向けた。
「嵐の中一人にされて心細かったのか」
背中越し、頼むから頷いてくれるなと願いながら問えば、後ろから山女がギュッとしがみついてくる。
「はい。私、身体はこんなにも成長したというのに……まるで幼子みたいに死ぬほど心細うございました。今も辰様なしでは不安でどうにかなってしまいそうです。だから……お願いします。今夜は……辰様と一緒に眠らせて下さい」
わざわざ告げられずとも、己の背後にぴったり寄り添う山女の柔肌から、彼女の成長ぶりを嫌と言うほど思い知らされている辰だ。
そんな山女を遠ざけるため、「自分はお前とは違う存在なのだ」と見せ付けて距離を取らせようとしたのに。
何がどうなって、そういう結論に達したのだろう?
雨に打たれて冷え切った辰の身体は、しかし自然の法則に反して微塵も濡れてはいない。
祠をくぐる時、着物や髪から水分を飛ばしたのは辰自身の意思だ。
水を操るなんて造作もない事だったから。
だが、今はそれを激しく後悔している。
いっそ摂理に則って濡れそぼったままでいたなら、それを言い訳に山女を引き剥がす事も出来たものを――。
(山女は、俺が濡れておらん事を変には思わんのだろうか)
それは、辰が只人では成し得ない事をしてしまえる存在だと山女に受け入れられたと明示された様で、どこか居心地が悪かった。
さんざんこの力を都合の良い様に使っておきながら、山女にはただの人として認知して欲しいなどと言ったら笑われてしまうだろうか。
そんな事を乞う様になってしまった辰にとって、自分の常人ならざる姿を山女に晒したのはある種の賭けだったのだ。
あの姿を見て、山女が辰の事を畏れ、距離を取ってくれたならば……辛くはあるけれど良しとしよう。
だが、もしそうでないならば――。
「悪いがその願いは聞き届けてやれん。なぁ山女よ。お前は忘れてしまったのか? お前と出会ってすぐの頃に告げた俺の言葉を――」
辰はグッと両の拳に力を入れると、山女の方へ向き直った。
そうして彼女の頬を指しく撫でる。
「辰様……? ――あっ」
そのまま山女の柔らかな耳朶を指先でくすぐって、この六年間で長く伸びた彼女の黒髪を後ろへ流しながら首筋を辿る。
そのまま襟足を撫でて衣紋の隙間から着物の内側へ手指をそっと忍ばせると、合わせを割るように彼女の胸元へ向けて指を滑らせた。
「ん……っ」
辰の手の動きに呼応するみたいに山女が艶めいた声を上げて頬を赤らめるから。
辰はグッと奥歯を噛みしめてその色香に耐える。
ふんわりと柔らかな山女の胸の膨らみに意識を持っていかれないよう気を付けながら目当ての品を探り当てると、それを山女の懐から抜き取った。
その際、首に掛けられていた紐は本人に気付かれない様そっと断ち切ったから、山女は辰が鱗入りの巾着を手にしたのを見るまで、それを奪われた事に気付いていなかったらしい。
「山女。元の里へ戻るのと別の里へ混ざるのと、どちらが良い? 選べ」
巾着を袂に仕舞いながら、彼女の事を冷ややかな視線で見下ろした辰に、山女が大きく瞳を見開く。
「辰様……っ、私っ」
辰の言葉に、山女が彼に取り縋ろうとするのを片手を上げて制すると、
「約束しただろう? 俺がお前の面倒を見るのはお前が一人前になるまでの間だと――」
辰は今まで山女に向けたことのない冷ややかな視線を彼女に向けると、彼女と出会って初めて。
――山女を完全に拒絶した。
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