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(2)祠の先
ただの人にしか見えません
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男は自分のことを〝辰〟と名乗った。〝辰〟と書いてそう読むらしい。
名前からして龍神様らしいなと思った山女に、「主様と呼ばれるのは馴染みがなくて敵わん」とぶっきら棒に付け足した辰の横顔は、やけに人間臭く見えて。
名前からのイメージとは裏腹。龍神らしさから少し遠ざかって感じられたその雰囲気に、山女はやっとガチガチに張っていた肩の力を抜くことが出来た。
龍神様にも自分たちのようにちゃんと個々の名があるのだと知った山女は、そのことを自分に言い聞かせるみたいに「辰様」とつぶやいてみる。
それと同時、「お前は?」と聞かれて。
そこで初めて自分がまだ辰に名を告げていなかったことに気が付いて、おずおずと「山女です」と答えた。
「ヤマメ? それは……もしかして魚の名と同じ山女か?」
辰に、如何にも意外だと言った表情で目を丸くされた山女は、にわかに恥ずかしくなる。
「……はい。流行り病で亡くなった父様の好物が山女だったそうで」
消え入りそうな声でゴニョゴニョと益体もない由来を話したら、しばし沈黙が落ちて。
てっきり妙な名付けをする親も居たものだと呆れられてしまったのだと思った山女だったけれど、辰は存外穏やかな雰囲気のまま、「父君の好物が鯰や鯉や鰌や鰻じゃなくて良かったな」と微笑んだ。
心底そう思っているらしい辰の口ぶりに、山女は思わずつられて笑ってしまう。
「確かにその通りですね」
(もしそうだったら私、今よりももっと妙な名前だったかも知れないのね)
そう思ったら逆に、山女で良かったとさえ思ってしまった。
***
ブワッと吹き抜けた強風に思わず目を閉じた山女は、次に目を開けた瞬間、大いに戸惑った。
「えっ、あの……ここは?」
「お前と俺の当面の住処になる祠の中だ」
そう。辰が言うように、確かに自分は彼の背後へ付き従うようにして、小さな祠の前に立っていたはずだ。
つい今し方まで二人の目の前にあった龍神様のお社は、身の丈一四〇センチの山女よりも小さな殿舎だった。
それなのに。
辰が観音開きの格子状の枠組み扉――定規縁付き扉――を開けた途端、一陣の風が吹き抜けて。
粗末な祠前に立っていたはずの山女は、いつの間にか白木の床板が縦横へ十メートルほど伸びる広い空間の土間に立っていた。
奥手から三分の一ばかりが、まるで張り替えたての様に青々とした畳張りになっていて、木材の香りに混ざって真新しいイグサの香りが漂っている。
その畳の所の最奥・中央部には祭壇のようなものがあって、そこに何かが安置されているのが見えた。
風に気圧されて一瞬目を閉じただけの間に起った激変だ。山女の頭が混乱しても仕方がないだろう。
「然るべき者が触れるとここへ通じる。そうでない者が開けても、中に祀られた御神体があるだけだ」
辰が言う通り。
山女も、里人らとともに一度だけこの祠を開けて中を綺麗にしたことがあるから知っている。
里長が扉を開けた時、祠の中にはミントグリーン の小さなツルツルの卵型の石が一つあるきりで、見たままの広さしかなかった。
「祠の中にあった宝玉が辰様ですか?」
一度だけ目にしたことのある淡い緑色の翡翠に似た石は、今目の前にいる辰の印象とはかけ離れているなと感じてしまった山女だ。
辰の御神体ならオニキスや黒曜石のような、吸い込まれそうに真っ黒な石の方が合うと思ってしまった。
「俺が石に見えるか?」
ククッと喉を鳴らされた山女は慌てて首を横に振る。
「辰様は……ただの人にしか見えません!」
思わず率直な感想を漏らしたら、辰に瞳を見開かれて。
「そうか。お前の目には俺はただの人に見えるか」
ややしてポツンとつぶやかれた声音に、山女はサーッと血の気が引くのを感じた。
龍神様相手に〝ただの人に見える〟だなんて、不興を買う言葉以外の何物でもないではないか。
名前からして龍神様らしいなと思った山女に、「主様と呼ばれるのは馴染みがなくて敵わん」とぶっきら棒に付け足した辰の横顔は、やけに人間臭く見えて。
名前からのイメージとは裏腹。龍神らしさから少し遠ざかって感じられたその雰囲気に、山女はやっとガチガチに張っていた肩の力を抜くことが出来た。
龍神様にも自分たちのようにちゃんと個々の名があるのだと知った山女は、そのことを自分に言い聞かせるみたいに「辰様」とつぶやいてみる。
それと同時、「お前は?」と聞かれて。
そこで初めて自分がまだ辰に名を告げていなかったことに気が付いて、おずおずと「山女です」と答えた。
「ヤマメ? それは……もしかして魚の名と同じ山女か?」
辰に、如何にも意外だと言った表情で目を丸くされた山女は、にわかに恥ずかしくなる。
「……はい。流行り病で亡くなった父様の好物が山女だったそうで」
消え入りそうな声でゴニョゴニョと益体もない由来を話したら、しばし沈黙が落ちて。
てっきり妙な名付けをする親も居たものだと呆れられてしまったのだと思った山女だったけれど、辰は存外穏やかな雰囲気のまま、「父君の好物が鯰や鯉や鰌や鰻じゃなくて良かったな」と微笑んだ。
心底そう思っているらしい辰の口ぶりに、山女は思わずつられて笑ってしまう。
「確かにその通りですね」
(もしそうだったら私、今よりももっと妙な名前だったかも知れないのね)
そう思ったら逆に、山女で良かったとさえ思ってしまった。
***
ブワッと吹き抜けた強風に思わず目を閉じた山女は、次に目を開けた瞬間、大いに戸惑った。
「えっ、あの……ここは?」
「お前と俺の当面の住処になる祠の中だ」
そう。辰が言うように、確かに自分は彼の背後へ付き従うようにして、小さな祠の前に立っていたはずだ。
つい今し方まで二人の目の前にあった龍神様のお社は、身の丈一四〇センチの山女よりも小さな殿舎だった。
それなのに。
辰が観音開きの格子状の枠組み扉――定規縁付き扉――を開けた途端、一陣の風が吹き抜けて。
粗末な祠前に立っていたはずの山女は、いつの間にか白木の床板が縦横へ十メートルほど伸びる広い空間の土間に立っていた。
奥手から三分の一ばかりが、まるで張り替えたての様に青々とした畳張りになっていて、木材の香りに混ざって真新しいイグサの香りが漂っている。
その畳の所の最奥・中央部には祭壇のようなものがあって、そこに何かが安置されているのが見えた。
風に気圧されて一瞬目を閉じただけの間に起った激変だ。山女の頭が混乱しても仕方がないだろう。
「然るべき者が触れるとここへ通じる。そうでない者が開けても、中に祀られた御神体があるだけだ」
辰が言う通り。
山女も、里人らとともに一度だけこの祠を開けて中を綺麗にしたことがあるから知っている。
里長が扉を開けた時、祠の中にはミントグリーン の小さなツルツルの卵型の石が一つあるきりで、見たままの広さしかなかった。
「祠の中にあった宝玉が辰様ですか?」
一度だけ目にしたことのある淡い緑色の翡翠に似た石は、今目の前にいる辰の印象とはかけ離れているなと感じてしまった山女だ。
辰の御神体ならオニキスや黒曜石のような、吸い込まれそうに真っ黒な石の方が合うと思ってしまった。
「俺が石に見えるか?」
ククッと喉を鳴らされた山女は慌てて首を横に振る。
「辰様は……ただの人にしか見えません!」
思わず率直な感想を漏らしたら、辰に瞳を見開かれて。
「そうか。お前の目には俺はただの人に見えるか」
ややしてポツンとつぶやかれた声音に、山女はサーッと血の気が引くのを感じた。
龍神様相手に〝ただの人に見える〟だなんて、不興を買う言葉以外の何物でもないではないか。
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