上 下
2 / 14
(1)十年に一度

出会い

しおりを挟む
 どのくらい心細い思いを抱えて狭い空間の中で縮こまっていただろう。

「……おい」

 不意に駕籠の外から若い男の声がして、山女はビクッと身体を震わせた。

 自分がイメージしていた龍神様の声はもっと野太くて地を這うように低いものだったけれど、いま輿の外から聞こえてきた声は、里にいたどの男たちよりも若々しく聞こえて――。


「――生きているなら返事をしろ」

 外でガサガサと乱暴に縄をほどく音がしたかと思ったら、唐突に天を覆っていたふたが取り払われた。


 いつの間にか陽は西の空に沈みかけていたようで、山女は思わず眩しさに目を細める。

 そんな山女を、赤々と燃える木々を背にして、一人の男が覗き込んでいた。

 最初は紅蓮ぐれんの赤髪に見えた男の髪だったけれど、どうやら夕日の朱紅あかくれないをもらっていただけらしい。


 痺れた足がなかなか動かせなくて、しゃがみ込んだまま呆然と見上げた目の前の男は、綺麗な黒髪だった。

 顔を覆い隠すように前髪が長く伸びているけれど、隙間から山女を見据える黒瞳は切れ長でとても形がよくて。

 パッと見では分かりづらいけれど、大層整った顔立ちの、見目麗みめうるわしいかんばせをした男だと思った。



 てっきりニョロリと身体の長い龍に輿こしごと丸呑みにされるか、はたまた爬虫類のように冷たい目をした人型の者がふたを開けるのだろうと思い込んでいた山女は、その余りに見た目の男に正直拍子抜けして。

「……ぬし、様?」

 目の前の男を見上げたまま、身じろぎすら忘れてポカンと口を開けてほうけてしまった。

「お前の言う主様とやらが何を指すのかは知らんが、〝そこのほこらに棲む者〟という意味ならば俺がそれだ」

 ずっと。
 狭い空間で足を折り畳むようにして座っていたせいだろう。
 男に抱き上げられるようにして籠の外に立たされた途端、山女の身体がヨロリとかしいだ。

「あ……」

 思わず小さくつぶやいたと同時、

「おっと」

 山女の身体を両腕でサッと支えてくれてから、男が気遣わし気な声を掛けてくる。

「お前、何やら血の匂いがしているが、どこか怪我でもしているのか?」

 問われて山女は男の腕の中、慌ててフルフルと首を振る。

「申し訳ありませんっ。今朝……私、その……初めてのお馬になったばかりで、それで」

 お馬、と言うのは生理の隠語だ。いま山女が生理用品として身に着けているふんどしのような布の前垂れ部分が、馬の顔の形に似ていることが由来になっている。

「……初めて?」

 お馬の部分よりも初めての方に反応した男が、山女をじっと見下ろしてくる。

「俺には女人にょにんの身体の事は良く分からぬが、その……大事ないのか?」

 言外に辛くはないのか?と含められたのを感じて、山女は血の気の引いた青白い唇に無理してやんわりと淡い笑みを浮かべた。

「主様に気遣って頂かねばならないほどしんどいわけではありません」

 本当はお腹が痛くて堪らない。
 股の間も何だかじめじめとして心地悪いし、今すぐに布を取り換えて横になりたい。

 そんな風に思ったけれど、生贄の分際でそんなこと、主様に言えようはずもなかった。

「問題がないようには見えないが? 悪いことは言わん。今すぐ里へ帰れ。俺にはにえなど要らんし、そもそもここはお前のような子供が居て心地良い場所ではない」

 なのに眼前の男は、口調こそ山女を突き放すような物言いで、そのじついままで山女が出会ったどんな大人達よりも彼女に優しかったから。

 山女はついポロリと涙を落としてその場にしゃがみ込んでしまった。

「私は……生贄として主様に嫁いで参りました。帰れる家などもう何処にもありません」

 ごつごつとした砂利の上はひざを折るには痛かったし、折角の白無垢が汚れてしまうけれどそんなことを言っていられる場合ではない。

 山女はその場で里長さとおさに教えられた通り丁寧に三つ指をつくと、眼前の男に深々と頭を下げて懇願こんがんした。

「煮るなり焼くなり主様のお好きになさって下さい。元より覚悟は出来ています。ですので……どうか後生でございます。『帰れ』などと無体な事だけは言わないで下さい」

 うつむいて、綿帽子を被ったままのひたいを地面に擦り付けるようにしてお願いしたら、不安に押しつぶされそうで涙が次から次にポロポロこぼれて地面を濡らした。

 ここまで言って、それでもなお突っぱねられてしまったら、年端の行かない山女にはもうどうしたら良いのか分からない。

 一人で生きていくにはそのすべを余りにも知らなさ過ぎるし、自害しようにもそんな意気地いくじは持てそうになかった。


「本当に……もう帰れる宛はないのか?」

 逞しい腕でふわりと抱き起こされた山女やまめは、そのまま横抱きに抱え上げられて間近。男に見下ろされる。

「……はい」

 至近距離から仰ぎ見た男の顔は、思わず息を呑んでしまうほどに整っていて、この上なく神々こうごうしかった。
 年の頃は山女よりとおばかり上に見えたが、彼が神龍であることを思えば、実際の年齢は分からない。
 そうして、今まで山女が見てきたどんな男たちよりも凛々りりしく力強い上、優しさに満ち溢れていて頼り甲斐があるように思えた。

 それでだろうか。
 こんな状況なのに胸の奥がほわりと温かくなって、全身が熱を持ったのは。
 山女は父親のことは余り覚えていないけれど、自分を心底心配して守ってくれる大人の男性と言うのは、存外彼のような感じなのかも知れない。

「そうか。ならば俺がお前を一人前になれるまでの間だけ面倒見てやろう。ただし――」

 そこまで言うと、男は腕に抱いたままの山女からふいっと目を逸らして、ほんの一瞬だけくらい目をする。

「お前が一人でやっていけると判断したら、俺は今度こそお前をここから追い出す。その時は元の里に戻るなり、別の里に混ざるなり好きにしろ。――良いな?」

 言われて、山女はわけも分からずコクコクとうなずいた。

 今すぐ追い払われてしまうのでなければいい。
 そう思いながら――。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

花姫だという私は青龍様と結婚します

綾月百花   
恋愛
あらすじ 突然うちの子ではないと言われた唯(16歳)は見知らぬ男に御嵩神社の青龍神社に連れて行かれて生き神様の青龍様のお妃候補になったと言われる。突然、自分が花姫様だと言われても理解できない。連れて行かれたお屋敷には年上の花姫もいて、みな青龍様のお妃になることに必死だ。最初の禊ぎで川に流され、初めて神の存在に気付いた。神に離しかけられ、唯は青龍様に会いたくなる。せつなくて、頑張る唯を応援してください。途中残酷シーンも含まれますので苦手な方は読み飛ばしてください。

骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方

ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。 注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。

王子様、お仕えさせて下さいませ

編端みどり
恋愛
伯爵令嬢のジーナは、本が大好き。ずっと本を読んでいたせいで目が悪くなり、近眼気味。 ある日、兄の職場を訪ねたジーナは図書館らしき場所を見つけて大興奮。兄への届け物も忘れてフラフラと本棚に近づこうとして第二王子を踏んづけてしまう。家が取り潰しされかねない不敬を、第二王子はあっさり許してくれた。 だけど、それを知った王太子はジーナを許さなかった。期限付きで城に留まる事になったジーナは、優しい第二王子に生涯の忠誠を誓う。 みんなに馬鹿にされても、舐められても何も言わなかった第二王子は、ジーナの命を助けたくて今まで逃げていた事に必死で向き合い始めた。全ては、初めて好きになったジーナの為。だけど第二王子を主人として慕うジーナは、王子の気持ちに全く気が付かない。 ジーナと第二王子をくっつけたい王太子の企みをスルーして、ジーナを疑う第三王子の信頼を得て、召喚された聖女と仲良くなり、ジーナの世界はどんどん広がっていく。 どんなにアプローチしても気付かれない可哀想な王子と、少し毒舌で鈍感な伯爵令嬢のラブストーリー。

王子殿下の慕う人

夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。 しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──? 「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」 好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。 ※小説家になろうでも投稿してます

平凡令嬢の婚活事情〜あの人だけは、絶対ナイから!〜

本見りん
恋愛
「……だから、ミランダは無理だって!!」  王立学園に通う、ミランダ シュミット伯爵令嬢17歳。  偶然通りかかった学園の裏庭でミランダ本人がここにいるとも知らず噂しているのはこの学園の貴族令息たち。  ……彼らは、決して『高嶺の花ミランダ』として噂している訳ではない。  それは、ミランダが『平凡令嬢』だから。  いつからか『平凡令嬢』と噂されるようになっていたミランダ。『絶賛婚約者募集中』の彼女にはかなり不利な状況。  チラリと向こうを見てみれば、1人の女子生徒に3人の男子学生が。あちらも良くない噂の方々。  ……ミランダは、『あの人達だけはナイ!』と思っていだのだが……。 3万字少しの短編です。『完結保証』『ハッピーエンド』です!

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈 
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

処理中です...