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落ち切るまでに断ち切って

あと5分

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 家に帰って砂時計の包みを解いた私は、リビングのローテーブルに、お店で見た時のように横倒しに置いてから、ぼんやりと久遠くおんさんの言葉を思い出す。

「こちらの砂時計、一度片側へ砂を落とし切ってからひっくり返したら、砂が落ち切る前に横倒しにしてオリフィス……あ、真ん中のくびれた所なんですけど……そこを砂が通らないように止めてください。次に使うときも同じです。その繰り返しで使うようにしないと――」

 この砂時計、5分計と銘打ちながら、その実5分間をきっちり測り切ることは出来ないらしい。
 だって落ち切ってしまったら――。
「もう1度砂時計をひっくり返す前と同じ5分を繰り返すことになるかもしれません」

 それって……途中で横倒しにしない限り、ずぅっとその5分間に囚われてしまうということ?
 それはさすがに嫌だなぁ。

 あ。でも――。


***


「和博、こっち」

 色々考え抜いた末に、私はその砂時計を持って和博を喫茶店に呼び出した。

「あのね、今日は話したいことがあって」
 スマホの傍らに砂時計を立てると、残り少ない砂を落とし切りながら恐る恐る話を切り出す。

「何だよ、改まって」

 頼んだアイスコーヒーが2つ、「お待たせしました」とテーブルに置かれたと同時に砂時計に手を伸ばしてひっくり返すと、オリフィスを通って緑色の筋が落ちるのを横目に口を開いた。

「――別れたいの」

 つぶやくようにそう言ったら、「な、んで?」と喉の奥に詰まらせたような声で和博が言った。

 どちらも一口も飲めないままに、アイスコーヒーのグラスの縁が少しずつ水滴で覆われていく。
 机の上に水溜りが出来始めた頃、私はようやく彼への「なんで?」に答えをつむぐ。
「理由は自分でもよく分からないの。っていうより」
 そこでやっとアイスコーヒーに手を伸ばして、差し込まれたストローをぐるぐる回してから中身を吸い上げると、和博を見る。

 グラスを持ち上げたときに滴った水滴がスカートを濡らしてひんやりした。

「もっと言うと、何故和博と付き合うのにOKを出したのかも、分かってない」
 5年も一緒にいたのに、好きか嫌いか結局分からなかった。

 視界の端で、キラキラ輝く緑の砂山が出来ていく。落ち切るまで後3分半くらいかな。
 その間に決着ケリをつけなきゃ。

「そんなん言われて、納得行くと思う?」
 聞かれて、ゆるゆると首を振った。
「だったら」
 机上に置いたままの私の手に伸びてきた彼の手をスッと避けるようにかわすと、私は静かに和博を見つめ返す。
「納得して欲しいとは思ってない。でもこのままの状態を続けていくことは……私が納得いかないの」
 溜め息を落とすように静かにそう告げたら、和博が息を飲んだ。

「美代子は好きでもない男と5年間も一緒にいたってこと?」
 ややして消え入りそうな声音でそう問いかけられた私は、その言葉にも首を横に振った。
「それ、どういう意味?」
 戸惑いに揺れる瞳で和博が私を見つめてくる。
「分からないの。でも……今のままはダメだって、それだけは分かる」
 あと2分ぐらいかな。
 スマホの時計表示と、砂時計の砂の残量をちらりと見て思う。
 あれが落ち切るまでに、砂時計を横倒しにして、私は席を立つの。
 アイスコーヒーをもう一口喉に落として、そんなことを考える。

 やっぱり5分なんてだ。
 でもこんな風に時間を区切らないと、私は迷うばかりで何にも決められないから。
 ふとそこまで考えて……胸の奥に小さな違和感を覚える。
 何だろう、これ。

「なぁ美代子。お前の優柔不断さにつけ込んで、押せばイケるって思ったのは認めるよ」
 和博が、アイスコーヒーストローで乱暴にかき回してからそれを抜くと、グラスを傾けて中身をグイッと煽った。
 グラスの底からポタポタと落ちた水滴が、さぞや彼のズボンを濡らしているだろう。
 冷たくない? 大丈夫?
 そんなことを思ってしまって、私には関係ない、とそっと視線を逸らす。

 砂時計の残量は後少し。残り1分切ったんじゃないかな。
 早く横倒しにして立ち上がらなきゃ。

「けど、ずっと一緒にいれば、いつかお前の気持ちも傾くかなって。俺の方に傾いたまま固まってくれるかなって。都合よく期待してたんだけど――。無理だったか」

 泣きそうに微かな笑みを浮かべる和博を見て、胸がちくりと痛む。

「ごめんなさい」
 つぶやいて頭を下げてから、いよいよ今度こそ砂時計を横に倒して立ち上がらないと、って気持ちが急いた。

 もう数十秒で砂は落ち切ってしまう。
 あと5分って、何て短いんだろう。

 私、もう少し和博とちゃんと向き合いたいのに。

 そう思って、ハッとした。

 私――。

***

 途端グラリと世界が揺れて、「お待たせしました」という声とともに、目の前にアイスコーヒーがふたつ置かれた。

 〝リセット――〟。

 砂時計は最初の時同様、片側に全て砂を落としきった状態で立っていて。
 でも多分、砂が満たされているフラスコが、初回とは逆のはず。

 私はそれをもう1度ひっくり返そうとして、横倒しにした所ではたと手を止めた。

 そのまま机に寝かせて置いてから、
「和博、私、貴方と……」
 言いかけた所で、和博がアイスコーヒーを一口飲んで、私を見つめてくる。

「あれ? 美代子、ピアスは?」
 ドキッとした。
「あ、あのっ、ちょっと……」
 言ってから、何てすれば?と心臓がバクバク跳ねた。

 久遠くおんさんは砂が落ち切ったら、再度同じ時間を繰り返すって言っていたけれど、どうも違う気がする。
 別れたい、と告げる前まで時間は戻ってしまったようだけど……その後の流れは違っているような――。
 それに少なからずホッとしている自分がいることに、私は気付いてしまった。

「ある所が分かってるんならいいよ。――で、俺とどうしたいの?」

 柔らかく微笑まれて、私は慌てて言葉を探す。

「ひ、久しぶりにゆっくり話しながらデートがしたいなって思うんだけど、どうかな?」

 面白いアンティークショップを見つけたの。そこに私、ピアスを預けているから……一緒に取りに行ってもらえないかな?

 横倒しにしたままの砂時計を横目に、私は結露に覆われ始めたアイスコーヒーを手元に引き寄せる。
 ハンカチをグラスの底に当てて、水滴が落ちないようにして中身を吸い上げてから、和博を見つめる。

「珍しいね。美代子から俺を誘ってくれるなんて」
 和博が嬉しそうに微笑むのを見て、私は胸がトクン、と高鳴ったのを感じた。

 あと5分はもう存在しない。
 でもあの5分間のお陰で、私は5年間かけても掴めなかった自分の本心に気付けた。
 
「和博、私、貴方と……これからもずっと一緒にいたい」

 消え入りそうな声音で恐る恐るそう告げたら、「俺も」って声が返ってきた。

 今までとは違う、和博との時間が動き出した予感がして、私は砂時計を握りしめた。


  『落ち切るまでに断ち切って』了
   (2020/07/25-7/31)

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