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(18)すべての真実
結局、すべては自分の不徳の致すところ
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サイン会を終えて、とりあえず締め切りの近かったものを集中して書き終えた信武は、茉莉奈に原稿を手渡しながら手を差しだした。
「――?」
キョトンとする茉莉奈へ、「鍵」と言ったら得心が言ったように「ああ」とつぶやかれた。
「サイン会の時見ただろ? 俺、あの子と真剣に付き合ってんだよ。だから――」
このマンションの鍵を――例え身内とは言え――茉莉奈が持っているのはマズイ。
そう言外に含めたら「もちろん返してもいいけど……金輪際連絡不通にして締め切りを破ったりしないって約束してくれる?」と鋭い目で見詰められた。
「もちろん事情は聞いてるし、束の間とは言え記憶喪失だったって言うのは不可抗力だったとも思う。――だけど」
そこで言葉を区切った茉莉奈は、信武と、彼の背後にある銀ラメの施された小さな六角形の箱を交互に見遣る。
「ルティシアが死んでしまったのが辛かったのは分かる。でも、携帯を置いて……原稿をおざなりにしたまま逃亡したことは許せない」
あの日、信武は愛犬ルティシアを失った悲しみから逃れたくて。
彼女の火葬を済ませるなり、あえて携帯電話など、柵になりそうなものを全て置いてふらりと家を出たのだ。
マンションの鍵すら持っていたくなくて、部屋を施錠した後、下のポストへ落として出た。
茉莉奈が持っている鍵はその時のもので、信武が今使っているのはスペアキー。
そんな風に身一つになった信武が向かった先は、しんどい時、ずっと自分の心の支えになってくれていた日和美の住まい。
今までは彼女の住んでいる場所が自分の家の近くだと知っていても、会いに行こうとまでは思わなかった。
そこには一応そこそこに人気のある作家として、越えてはいけない一線があると思っていたからだ。
下手に自分が動いて、普通に生活をしている日和美を自分の世界に巻き込みたくなかったというのもある。
立神信武は、作家としてはそれなりに顔を知られている人間で、自分の日本人離れした容姿が、良くも悪くも人目を引くことを信武自身ちゃんと自覚していたから。
だけど――。
ルティの死がその境界線をにじませた。
長いことずっと……。勝手に自分の心の支えにしてきた女の子と、ほんの少しだけ話が出来たらいい。
本当にそう思っただけだったのに。
まさかそこで事故に巻き込まれて、長いこと家に帰れなくなるとは思わなかった信武だ。
でも――。
それでもあの時間は自分にとってかけがえのないひと時だったし、日和美との関係が進展するきっかけになったことを思えば、あれで良かったんだとも思える。
だが、社会人としてみれば、何にも良くはなかったわけで。
家をふらりと出た時、せめてスマートフォンを手にしていればあんなに話がこじれることはなかった。
結局、すべては自分の不徳の致すところだ。
従妹のお姉ちゃんと言うより、作家・立神信武の担当編集者としての顔でじっとこちらを睨みつけてくる茉莉奈に、信武は心底申し訳ないことをしたと思って。
「……約束する」
そう言わざるを得なかった。
サイン会を終えて、とりあえず締め切りの近かったものを集中して書き終えた信武は、茉莉奈に原稿を手渡しながら手を差しだした。
「――?」
キョトンとする茉莉奈へ、「鍵」と言ったら得心が言ったように「ああ」とつぶやかれた。
「サイン会の時見ただろ? 俺、あの子と真剣に付き合ってんだよ。だから――」
このマンションの鍵を――例え身内とは言え――茉莉奈が持っているのはマズイ。
そう言外に含めたら「もちろん返してもいいけど……金輪際連絡不通にして締め切りを破ったりしないって約束してくれる?」と鋭い目で見詰められた。
「もちろん事情は聞いてるし、束の間とは言え記憶喪失だったって言うのは不可抗力だったとも思う。――だけど」
そこで言葉を区切った茉莉奈は、信武と、彼の背後にある銀ラメの施された小さな六角形の箱を交互に見遣る。
「ルティシアが死んでしまったのが辛かったのは分かる。でも、携帯を置いて……原稿をおざなりにしたまま逃亡したことは許せない」
あの日、信武は愛犬ルティシアを失った悲しみから逃れたくて。
彼女の火葬を済ませるなり、あえて携帯電話など、柵になりそうなものを全て置いてふらりと家を出たのだ。
マンションの鍵すら持っていたくなくて、部屋を施錠した後、下のポストへ落として出た。
茉莉奈が持っている鍵はその時のもので、信武が今使っているのはスペアキー。
そんな風に身一つになった信武が向かった先は、しんどい時、ずっと自分の心の支えになってくれていた日和美の住まい。
今までは彼女の住んでいる場所が自分の家の近くだと知っていても、会いに行こうとまでは思わなかった。
そこには一応そこそこに人気のある作家として、越えてはいけない一線があると思っていたからだ。
下手に自分が動いて、普通に生活をしている日和美を自分の世界に巻き込みたくなかったというのもある。
立神信武は、作家としてはそれなりに顔を知られている人間で、自分の日本人離れした容姿が、良くも悪くも人目を引くことを信武自身ちゃんと自覚していたから。
だけど――。
ルティの死がその境界線をにじませた。
長いことずっと……。勝手に自分の心の支えにしてきた女の子と、ほんの少しだけ話が出来たらいい。
本当にそう思っただけだったのに。
まさかそこで事故に巻き込まれて、長いこと家に帰れなくなるとは思わなかった信武だ。
でも――。
それでもあの時間は自分にとってかけがえのないひと時だったし、日和美との関係が進展するきっかけになったことを思えば、あれで良かったんだとも思える。
だが、社会人としてみれば、何にも良くはなかったわけで。
家をふらりと出た時、せめてスマートフォンを手にしていればあんなに話がこじれることはなかった。
結局、すべては自分の不徳の致すところだ。
従妹のお姉ちゃんと言うより、作家・立神信武の担当編集者としての顔でじっとこちらを睨みつけてくる茉莉奈に、信武は心底申し訳ないことをしたと思って。
「……約束する」
そう言わざるを得なかった。
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