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(3)君の名は

迷夢が暴走中

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「これ、ものすごく飲みやすいです。それに、とっても美味しい」

 今度はゆっくり味わうように二口ふたくちほど飲まれてから、ふわふわさんが日和美ひなみをじっと見つめてきて。

「そっ、それはよかったです」

 まさか大抵の友人たちには不評のこのお茶が、こんなにも喜んでもらえるだなんて思っていなかった日和美は、わけも分からずやたらと照れてしまった。





「そ、それで。あの――」

 ピッチャーを冷蔵庫に戻してから、自分のグラスを机上に置いてカウンター越し、ふわふわさんをじっと見つめたら彼も同じことを思っていたらしい。

 弱ったような顔をして眉根を寄せた。

「日和美さんのお陰で一息つけました。ですが残念ながら今のところ何ひとつ思い出せる気配がありません」


 一応それでも、と道端で見た時より念入りに精査するため、スーツのジャケットやベストを脱いでもらって、あちこち二人で見たのだけれど、やはり身元を示唆しさするようなものは何もなくて。

 念には念を入れて脱衣所でズボンやネクタイ、ワイシャツやパンツに至るまで全て脱いでセルフチェックもして頂いたけれど、結果は変わらなかった。


(お財布なしも不思議だけど……携帯すら持っておられないって……なんかちょっと不自然すぎない……?)

 もうここまでくると、やはりふわふわさんはどこぞの国の王子様とかで……何かの紛争――例えば後継者争いとか?――に巻き込まれてお忍びで日本まで逃げていらしてて。そう! それで追手おってから逃れるために身バレするようなものは何も手にせず高級ホテルとかから逃げ出していらしたんじゃないかしら⁉︎とか、ありもしない迷夢めいむが脳内で大暴走を開始してしまった日和美ひなみだ。

 いや、そもそもこの近くに高貴な方がお泊まりになられるような高級ホテルなんてものはないし、お忍びなら逆にひなびた逗留先とうりゅうさきを選ぶ気もするけれど、残念ながら仮にそこまでランクを落としたとしてもホテル自体がこの辺りにはない。

 だが、そんなこと、映画チックな妄想をしたいだけの日和美には大した問題ではなかった。



***


「弱りました……」

 危うく心が遠い地へ旅立ちそうになっていた日和美は、ふわふわさんのその声でハッと我に返った。

 当然と言うべきか。
 自分が誰であるのかすら分からない状況を改めて突き付けられて、泣きそうな弱々しい顔をしたふわふわさんに、日和美もどうしたら良いのか分からなくなる。


 分からないままにソワソワと部屋を見まわしたら、壁に掛けた時計が目についた。

「――‼︎」

 時刻はそろそろ正午に差し掛かろうかというところ。世間ではいわゆるランチタイムの到来だ。


 いや、それよりも!

(ぎゃーっ。ヤッバァーイ! あの時計、萌風もふ先生のファンサイトで買った『ときマカ』のやつぅーっ!)

 『ときマカ』。正式名称『ときめきハプニング★ 午後のティータイムで王子様に見初められて身ごもりました⁉︎ 強引な茶葉の君はカラフルなマカロンでうぶな姫を魅了する』は、日和美ひなみが先日読了したばかりの萌風もふもふ先生の最新刊。
 あとがきにお茶のあれこれが書いてあった文庫本で、例によってとってもとってもエッチな小説(=TL小説)だ。

 『ときマカ』が収録されているレーベルは『ムーンライトときめき濡恋ぬれこい文庫』。
 姉妹レーベルの『サンシャインときめき甘恋あまこい文庫』は小中学生でも読めるライトな仕様だけれど、『ムーン~』の方はもちろん違う。

 〝きゃー、そんなところまでっ⁉︎ ヤダ、恥ずかしいっ! でも、もっと読ませて?〟な、大人の恋模様が丁寧かつ緻密に描かれた、日和美が大好きなレーベルのひとつで。

 何よりもここのレーベルには日和美の好みに合致した、溺愛・ドS・甘々・王子様ものが多い。
 日和美、『ムーン~』から発刊されたものは萌風もふもふ先生作品のみならず、他の先生方のものも買い漁って、本棚にズラリと並べている程に『ムーン~』レーベルのファンだ。
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