上 下
404 / 409
■あなたが結んでくれるから/気まぐれ書き下ろし短編

お帰りなさい!

しおりを挟む
 ウォーキングを諦めた翌日の夕方。
 駐車場に入る車の音がして、音芽おとめは急いで玄関先に出向いた。

 未だ車の運転が苦手で、ペーパードライバーを貫いている音芽は、家に車があっても乗ることはない。
 それを知っている温和はるまさが、今回の出張には自家用車での移動を選んだのだけれど。

 高速で二時間半の移動はさすがに疲れたらしい。

 車を降りるなりぐーっと伸びをしている温和はるまさの姿を見て、音芽は彼が無事に帰って来てくれたことを実感して嬉しくなる。

「お帰りなさい、温和はるまさっ!」

 彼が扉を開けるよりも早く玄関のカギを開けて外に飛び出してきた身重の妻に気付いた温和はるまさが、身体を伸ばすのをやめてそんな音芽に柔らかな笑みを向けてくれる。

音芽おとめ、ただいま」

 出来た奥さんなら、ここで旦那の持つ荷物を引き受けていそいそと家の中に戻るべきなのかも知れない。

 だけど――。

 音芽は着替えなどの入ったボストンバッグを手にしたままの温和はるまさにギュウッと抱き付くと、胸いっぱい彼の匂いを吸い込んだ。

 温和はるまさからは結婚前から変わらない、石鹸と柔軟剤の清潔感溢れる香りがして――。

 同じ洗剤を使っているはずなのに、音芽おとめ温和はるまさから香ってくるこの爽やかな匂いが大好きなのだ。

「汗かいてっからあんま引っ付くな」

 音芽が自分の胸元に顔をうずめてスリスリするのを見て、温和はるまさはそんなことを言って身を引こうとするけれど、温和はるまさが言う汗のにおいすら音芽には心地よいのだからやめられるわけがない。

「私、温和はるまさからする匂い、全部全部大好き!」

 愛しい夫にくっ付いたまま温和はるまさの顔を見上げたら、一瞬だけ瞳を見開いた温和はるまさが、照れたように顔を背けて「バカ音芽。わけ分かんねぇこと言うな」とつぶやいた。

 そんな素直じゃないところにすら、音芽はキュンとさせられる。


***


「あのね、温和はるまさ。私、今日……」

 温和はるまさに肩を抱かれて家の中に入りながら、音芽がごにょごにょと言葉をつむぐから。

「ん?」

 その煮え切らない物言いに、温和はるまさは身体を少しかがめて音芽の口元に耳を寄せた。

「えっとね……その……。私……、は、温和はるまさと、ひ、久々に……、したいなって……思う、んだけど……」 

 耳まで真っ赤にしてそんなことを言ってきた音芽おとめに、温和はるまさは思わず手にしていたバッグを玄関先に落として。
「おまっ、何バカなこと……」
 慌てて音芽からの誘いを一蹴いっしゅうしようとして、潤んだ瞳で「ダメ?」と見上げられてグッと唇を噛んだ。

「ダメ……じゃ、ねぇし……むしろ俺だってお前のことめちゃくちゃ抱きてぇよ。けど……」

「けど?」

「んなことして……もし腹の子とお前の身体に何かあったら困んだろ」

 愛する妻からの誘いだ。
 こんなこと、滅多にあることではないだけに温和はるまさは音芽からの提案を受け入れたくてたまらない自分と葛藤する。

 音芽が妊娠していなかったら理性なんてかなぐり捨てて、彼女をこの場で即裸にしていただろう。

 だけどそういうわけにはいかないではないか。

 従順な妻は、温和はるまさが渋ればきっと諦めてくれるはず。
 そう思ったのだけれど。


「産婦人科の先生は……大丈夫っておっしゃってたよ? それでも……ダメ?」

 なのに今日の音芽はなかなか引き下がってくれなくて。

 久々に泊りがけで丸一日半座学なんか受けてきたからだろうか。
 ドッと疲れが押し寄せてきた気がしてしまった温和はるまさだ。

「久々過ぎてセーブしてやれる気がしねぇんだよ。分かれ」

 仕方なく恥を承知でぼそっと。不機嫌さを隠さず告げたのに。

「私、無理って思ったら温和はるまさを絶対止めるから! ちゃんとやめて?って言うから! ……だから……お願い」

 どうやら今日の音芽おとめは見切りを付ける気はないらしい。

「……私、温和はるまさが居なくて寂しかった分、今日は貴方にたくさんたくさん愛されたいの……」

「バカ音芽。……あおりすぎだ」

 温和はるまさはグッと奥歯を噛みしめると、必死にしがみついてくる音芽を引き剥がして。
 悲しそうに自分を見上げる音芽に小さく吐息を落とすと、観念したように白旗を掲げた。

「分かったから……。風呂ぐらい入らせろ」

 抱くにしても、ただ触れるだけに留めるにしても、極力清潔にしておきたい。

 温和はるまさの言葉に、音芽がぱぁっと顔をほころばせて微笑んで。
温和はるまさっ。大好き!」
 言うなり再度腕の中に飛び込んできた。

 そんな音芽の肩越し、玄関の片隅に置かれた〝〟小さな運動靴を見て、温和はるまさは『俺は一生この女には勝てねぇんだろうな』と思う。

 温和はるまさの頭の中には今、彼女の足元にひざまずいて姫にかしずく従者よろしく音芽の靴紐を結んでやる自分の姿が浮かんでいて。
 男としてどうなんだという構図のはずなのに、『まぁ、それも悪くねぇか』と思ってしまった。
 そんな自分に、温和はるまさは口の端に笑みを浮かべずにはいられない。

 そう。幼い頃からずっと。
 音芽はいつだって温和はるまさを魅了してやまない唯一無二の存在なのだ。

 温和はるまさをひざまずかせることが出来るのも、あごで使うことが出来るのもこの世にただ一人。
 音芽以外にはいない――。


   END(2022/09/04~09/24)
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

イケメンエリート軍団の籠の中

便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC” 謎多き噂の飛び交う外資系一流企業 日本内外のイケメンエリートが 集まる男のみの会社 唯一の女子、受付兼秘書係が定年退職となり 女子社員募集要項がネットを賑わした 1名の採用に300人以上が殺到する 松村舞衣(24歳) 友達につき合って応募しただけなのに 何故かその超難関を突破する 凪さん、映司さん、謙人さん、 トオルさん、ジャスティン イケメンでエリートで華麗なる超一流の人々 でも、なんか、なんだか、息苦しい~~ イケメンエリート軍団の鳥かごの中に 私、飼われてしまったみたい… 「俺がお前に極上の恋愛を教えてやる 他の奴とか? そんなの無視すればいいんだよ」

神木さんちのお兄ちゃん!

雪桜
キャラ文芸
✨ キャラ文芸ランキング週間・月間1位&累計250万pt突破、ありがとうございます! 神木家の双子の妹弟・華と蓮には"絶世の美男子"と言われるほどの金髪碧眼な『兄』がいる。 美人でカッコよくて、その上優しいお兄ちゃんは、常にみんなの人気者! だけど、そんな兄には、何故か彼女がいなかった。 幼い頃に母を亡くし、いつも母親代わりだったお兄ちゃん。もしかして、お兄ちゃんが彼女が作らないのは自分達のせい?! そう思った華と蓮は、兄のためにも自立することを決意する。 だけど、このお兄ちゃん。実は、家族しか愛せない超拗らせた兄だった! これは、モテまくってるくせに家族しか愛せない美人すぎるお兄ちゃんと、兄離れしたいけど、なかなか出来ない双子の妹弟が繰り広げる、甘くて優しくて、ちょっぴり切ない愛と絆のハートフルラブ(家族愛)コメディ。 果たして、家族しか愛せないお兄ちゃんに、恋人ができる日はくるのか? これは、美人すぎるお兄ちゃんがいる神木一家の、波乱万丈な日々を綴った物語である。 *** イラストは、全て自作です。 カクヨムにて、先行連載中。

極上の一夜で懐妊したらエリートパイロットの溺愛新婚生活がはじまりました

白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
恋愛
早瀬 果歩はごく普通のOL。 あるとき、元カレに酷く振られて、1人でハワイへ傷心旅行をすることに。 そこで逢見 翔というパイロットと知り合った。 翔は果歩に素敵な時間をくれて、やがて2人は一夜を過ごす。 しかし翌朝、翔は果歩の前から消えてしまって……。 ********** ●早瀬 果歩(はやせ かほ) 25歳、OL 元カレに酷く振られた傷心旅行先のハワイで、翔と運命的に出会う。 ●逢見 翔(おうみ しょう) 28歳、パイロット 世界を飛び回るエリートパイロット。 ハワイへのフライト後、果歩と出会い、一夜を過ごすがその後、消えてしまう。 翌朝いなくなってしまったことには、なにか理由があるようで……? ●航(わたる) 1歳半 果歩と翔の息子。飛行機が好き。 ※表記年齢は初登場です ********** webコンテンツ大賞【恋愛小説大賞】にエントリー中です! 完結しました!

隠れ御曹司の愛に絡めとられて

海棠桔梗
恋愛
目が覚めたら、名前が何だったかさっぱり覚えていない男とベッドを共にしていた―― 彼氏に浮気されて更になぜか自分の方が振られて「もう男なんていらない!」って思ってた矢先、強引に参加させられた合コンで出会った、やたら綺麗な顔の男。 古い雑居ビルの一室に住んでるくせに、持ってる腕時計は超高級品。 仕事は飲食店勤務――って、もしかしてホスト!? チャラい男はお断り! けれども彼の作る料理はどれも絶品で…… 超大手商社 秘書課勤務 野村 亜矢(のむら あや) 29歳 特技:迷子   × 飲食店勤務(ホスト?) 名も知らぬ男 24歳 特技:家事? 「方向音痴・家事音痴の女」は「チャラいけれど家事は完璧な男」の愛に絡め取られて もう逃げられない――

セカンドラブ ー30歳目前に初めての彼が7年ぶりに現れてあの時よりちゃんと抱いてやるって⁉ 【完結】

remo
恋愛
橘 あおい、30歳目前。 干からびた生活が長すぎて、化石になりそう。このまま一生1人で生きていくのかな。 と思っていたら、 初めての相手に再会した。 柚木 紘弥。 忘れられない、初めての1度だけの彼。 【完結】ありがとうございました‼

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~

菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。 だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。 車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。 あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。

【R18】豹変年下オオカミ君の恋愛包囲網〜策士な後輩から逃げられません!〜

湊未来
恋愛
「ねぇ、本当に陰キャの童貞だって信じてたの?経験豊富なお姉さん………」 30歳の誕生日当日、彼氏に呼び出された先は高級ホテルのレストラン。胸を高鳴らせ向かった先で見たものは、可愛らしいワンピースを着た女と腕を組み、こちらを見据える彼の姿だった。 一方的に別れを告げられ、ヤケ酒目的で向かったBAR。 「ねぇ。酔っちゃったの……… ………ふふふ…貴方に酔っちゃったみたい」 一夜のアバンチュールの筈だった。 運命とは時に残酷で甘い……… 羊の皮を被った年下オオカミ君×三十路崖っぷち女の恋愛攻防戦。 覗いて行きませんか? ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ・R18の話には※をつけます。 ・女性が男性を襲うシーンが初回にあります。苦手な方はご注意を。 ・裏テーマは『クズ男愛に目覚める』です。年上の女性に振り回されながら、愛を自覚し、更生するクズ男をゆるっく書けたらいいなぁ〜と。

処理中です...