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■あなたが結んでくれるから/気まぐれ書き下ろし短編
お帰りなさい!
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ウォーキングを諦めた翌日の夕方。
駐車場に入る車の音がして、音芽は急いで玄関先に出向いた。
未だ車の運転が苦手で、ペーパードライバーを貫いている音芽は、家に車があっても乗ることはない。
それを知っている温和が、今回の出張には自家用車での移動を選んだのだけれど。
高速で二時間半の移動はさすがに疲れたらしい。
車を降りるなりぐーっと伸びをしている温和の姿を見て、音芽は彼が無事に帰って来てくれたことを実感して嬉しくなる。
「お帰りなさい、温和っ!」
彼が扉を開けるよりも早く玄関のカギを開けて外に飛び出してきた身重の妻に気付いた温和が、身体を伸ばすのをやめてそんな音芽に柔らかな笑みを向けてくれる。
「音芽、ただいま」
出来た奥さんなら、ここで旦那の持つ荷物を引き受けていそいそと家の中に戻るべきなのかも知れない。
だけど――。
音芽は着替えなどの入ったボストンバッグを手にしたままの温和にギュウッと抱き付くと、胸いっぱい彼の匂いを吸い込んだ。
温和からは結婚前から変わらない、石鹸と柔軟剤の清潔感溢れる香りがして――。
同じ洗剤を使っているはずなのに、音芽は温和から香ってくるこの爽やかな匂いが大好きなのだ。
「汗かいてっからあんま引っ付くな」
音芽が自分の胸元に顔をうずめてスリスリするのを見て、温和はそんなことを言って身を引こうとするけれど、温和が言う汗のにおいすら音芽には心地よいのだからやめられるわけがない。
「私、温和からする匂い、全部全部大好き!」
愛しい夫にくっ付いたまま温和の顔を見上げたら、一瞬だけ瞳を見開いた温和が、照れたように顔を背けて「バカ音芽。わけ分かんねぇこと言うな」とつぶやいた。
そんな素直じゃないところにすら、音芽はキュンとさせられる。
***
「あのね、温和。私、今日……」
温和に肩を抱かれて家の中に入りながら、音芽がごにょごにょと言葉を紡ぐから。
「ん?」
その煮え切らない物言いに、温和は身体を少し屈めて音芽の口元に耳を寄せた。
「えっとね……その……。私……、は、温和と、ひ、久々に……、したいなって……思う、んだけど……」
耳まで真っ赤にしてそんなことを言ってきた音芽に、温和は思わず手にしていたバッグを玄関先に落として。
「お前、何バカなこと……」
慌てて音芽からの誘いを一蹴しようとして、潤んだ瞳で「ダメ?」と見上げられてグッと唇を噛んだ。
「ダメ……じゃ、ねぇし……むしろ俺だってお前のことめちゃくちゃ抱きてぇよ。けど……」
「けど?」
「んなことして……もし腹の子とお前の身体に何かあったら困んだろ」
愛する妻からの誘いだ。
こんなこと、滅多にあることではないだけに温和は音芽からの提案を受け入れたくてたまらない自分と葛藤する。
音芽が妊娠していなかったら理性なんてかなぐり捨てて、彼女をこの場で即裸にしていただろう。
だけどそういうわけにはいかないではないか。
従順な妻は、温和が渋ればきっと諦めてくれるはず。
そう思ったのだけれど。
「産婦人科の先生は……大丈夫っておっしゃってたよ? それでも……ダメ?」
なのに今日の音芽はなかなか引き下がってくれなくて。
久々に泊りがけで丸一日半座学なんか受けてきたからだろうか。
ドッと疲れが押し寄せてきた気がしてしまった温和だ。
「久々過ぎてセーブしてやれる気がしねぇんだよ。分かれ」
仕方なく恥を承知でぼそっと。不機嫌さを隠さず告げたのに。
「私、無理って思ったら温和を絶対止めるから! ちゃんとやめて?って言うから! ……だから……お願い」
どうやら今日の音芽は見切りを付ける気はないらしい。
「……私、温和が居なくて寂しかった分、今日は貴方にたくさんたくさん愛されたいの……」
「バカ音芽。……煽りすぎだ」
温和はグッと奥歯を噛みしめると、必死にしがみついてくる音芽を引き剥がして。
悲しそうに自分を見上げる音芽に小さく吐息を落とすと、観念したように白旗を掲げた。
「分かったから……。風呂ぐらい入らせろ」
抱くにしても、ただ触れるだけに留めるにしても、極力清潔にしておきたい。
温和の言葉に、音芽がぱぁっと顔をほころばせて微笑んで。
「温和っ。大好き!」
言うなり再度腕の中に飛び込んできた。
そんな音芽の肩越し、玄関の片隅に置かれた〝靴紐が縦結びになった〟小さな運動靴を見て、温和は『俺は一生この女には勝てねぇんだろうな』と思う。
温和の頭の中には今、彼女の足元にひざまずいて姫にかしずく従者よろしく音芽の靴紐を結んでやる自分の姿が浮かんでいて。
男としてどうなんだという構図のはずなのに、『まぁ、それも悪くねぇか』と思ってしまった。
そんな自分に、温和は口の端に笑みを浮かべずにはいられない。
そう。幼い頃からずっと。
音芽はいつだって温和を魅了してやまない唯一無二の存在なのだ。
温和をひざまずかせることが出来るのも、あごで使うことが出来るのもこの世にただ一人。
音芽以外にはいない――。
END(2022/09/04~09/24)
駐車場に入る車の音がして、音芽は急いで玄関先に出向いた。
未だ車の運転が苦手で、ペーパードライバーを貫いている音芽は、家に車があっても乗ることはない。
それを知っている温和が、今回の出張には自家用車での移動を選んだのだけれど。
高速で二時間半の移動はさすがに疲れたらしい。
車を降りるなりぐーっと伸びをしている温和の姿を見て、音芽は彼が無事に帰って来てくれたことを実感して嬉しくなる。
「お帰りなさい、温和っ!」
彼が扉を開けるよりも早く玄関のカギを開けて外に飛び出してきた身重の妻に気付いた温和が、身体を伸ばすのをやめてそんな音芽に柔らかな笑みを向けてくれる。
「音芽、ただいま」
出来た奥さんなら、ここで旦那の持つ荷物を引き受けていそいそと家の中に戻るべきなのかも知れない。
だけど――。
音芽は着替えなどの入ったボストンバッグを手にしたままの温和にギュウッと抱き付くと、胸いっぱい彼の匂いを吸い込んだ。
温和からは結婚前から変わらない、石鹸と柔軟剤の清潔感溢れる香りがして――。
同じ洗剤を使っているはずなのに、音芽は温和から香ってくるこの爽やかな匂いが大好きなのだ。
「汗かいてっからあんま引っ付くな」
音芽が自分の胸元に顔をうずめてスリスリするのを見て、温和はそんなことを言って身を引こうとするけれど、温和が言う汗のにおいすら音芽には心地よいのだからやめられるわけがない。
「私、温和からする匂い、全部全部大好き!」
愛しい夫にくっ付いたまま温和の顔を見上げたら、一瞬だけ瞳を見開いた温和が、照れたように顔を背けて「バカ音芽。わけ分かんねぇこと言うな」とつぶやいた。
そんな素直じゃないところにすら、音芽はキュンとさせられる。
***
「あのね、温和。私、今日……」
温和に肩を抱かれて家の中に入りながら、音芽がごにょごにょと言葉を紡ぐから。
「ん?」
その煮え切らない物言いに、温和は身体を少し屈めて音芽の口元に耳を寄せた。
「えっとね……その……。私……、は、温和と、ひ、久々に……、したいなって……思う、んだけど……」
耳まで真っ赤にしてそんなことを言ってきた音芽に、温和は思わず手にしていたバッグを玄関先に落として。
「お前、何バカなこと……」
慌てて音芽からの誘いを一蹴しようとして、潤んだ瞳で「ダメ?」と見上げられてグッと唇を噛んだ。
「ダメ……じゃ、ねぇし……むしろ俺だってお前のことめちゃくちゃ抱きてぇよ。けど……」
「けど?」
「んなことして……もし腹の子とお前の身体に何かあったら困んだろ」
愛する妻からの誘いだ。
こんなこと、滅多にあることではないだけに温和は音芽からの提案を受け入れたくてたまらない自分と葛藤する。
音芽が妊娠していなかったら理性なんてかなぐり捨てて、彼女をこの場で即裸にしていただろう。
だけどそういうわけにはいかないではないか。
従順な妻は、温和が渋ればきっと諦めてくれるはず。
そう思ったのだけれど。
「産婦人科の先生は……大丈夫っておっしゃってたよ? それでも……ダメ?」
なのに今日の音芽はなかなか引き下がってくれなくて。
久々に泊りがけで丸一日半座学なんか受けてきたからだろうか。
ドッと疲れが押し寄せてきた気がしてしまった温和だ。
「久々過ぎてセーブしてやれる気がしねぇんだよ。分かれ」
仕方なく恥を承知でぼそっと。不機嫌さを隠さず告げたのに。
「私、無理って思ったら温和を絶対止めるから! ちゃんとやめて?って言うから! ……だから……お願い」
どうやら今日の音芽は見切りを付ける気はないらしい。
「……私、温和が居なくて寂しかった分、今日は貴方にたくさんたくさん愛されたいの……」
「バカ音芽。……煽りすぎだ」
温和はグッと奥歯を噛みしめると、必死にしがみついてくる音芽を引き剥がして。
悲しそうに自分を見上げる音芽に小さく吐息を落とすと、観念したように白旗を掲げた。
「分かったから……。風呂ぐらい入らせろ」
抱くにしても、ただ触れるだけに留めるにしても、極力清潔にしておきたい。
温和の言葉に、音芽がぱぁっと顔をほころばせて微笑んで。
「温和っ。大好き!」
言うなり再度腕の中に飛び込んできた。
そんな音芽の肩越し、玄関の片隅に置かれた〝靴紐が縦結びになった〟小さな運動靴を見て、温和は『俺は一生この女には勝てねぇんだろうな』と思う。
温和の頭の中には今、彼女の足元にひざまずいて姫にかしずく従者よろしく音芽の靴紐を結んでやる自分の姿が浮かんでいて。
男としてどうなんだという構図のはずなのに、『まぁ、それも悪くねぇか』と思ってしまった。
そんな自分に、温和は口の端に笑みを浮かべずにはいられない。
そう。幼い頃からずっと。
音芽はいつだって温和を魅了してやまない唯一無二の存在なのだ。
温和をひざまずかせることが出来るのも、あごで使うことが出来るのもこの世にただ一人。
音芽以外にはいない――。
END(2022/09/04~09/24)
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