【完結】何故か突然エリート騎士様が溺愛してくるんだが

香山

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二章

過去の話 ソレイユとエトワール

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 響き渡る怒号、あちこちから聞こえてくる悲鳴。混迷に包まれた城の地下から這い上がって来たものは、黒い靄を纏いながらその巨体を引き摺るように動いていた。
 姿こそ竜の形をしているそれは、しかし普通の竜と全く違う奇妙な動き方をしていた。まるで体を動かすのが初めてだというかのように長い首を振り回し、壁や床を破壊しながら進むそれは時折瘴気と共に魔力の籠ったブレスを撒き散らしていた。
 圧倒的な暴力の権化。瘴気にあてられ、ブレスに焼かれ、瓦礫に潰されて人々の命があっけなく散っていく。ソレイユはシールドを張りながら近くの人間を守るので精一杯だった。

「何てものを作ったのだ……!」

 ギリと唇を噛み床に目をやると、それを作った張本人が腰を抜かして情けなく転がっていた。それをどうにかしようとするでもなく自分の身を守るでもなく、派手な装飾の神官服についた泥もそのままに、ただガタガタ震えながら惨状を見つめているだけだった。

「そん……なんで……」
「おい貴様! あれを止める方法はないのか!?」
「ひぃっ! あ、あるわけないだろ!! あんな化け物どうやって止めればいいんだ!!」

 涙目になりながら喚く男を見下ろして舌打ちをする。確かにこんなものを止められる者などいないだろう。しかしこのままでは被害は広がるばかりだ。

「ひとまず動きを止める! 私に続いて麻痺を唱えよ!」

 ソレイユの指示に従い、魔術師たちが一斉に魔法を放つ。次々と当たった魔法は徐々にそれの動きを鈍くした。効果は長持ちしそうにない。早く次の手を打たねば。

「ソレイユ様! ご無事でしたか!」
「エトワール!」

 鈴の鳴るような清涼な声が耳に届く。振り向けば戦友であり恋人でもある魔術師のエトワールが駆け寄ってきた。無事だったのかと胸を撫でおろしたが、状況が最悪であることに変わりはない。逃げ惑う文官、倒れる人々、あちこちから聞こえる悲鳴。そんな中で竜は麻痺を解こうと必死に身を捩っている。
 エトワールはソレイユの無事を確認し小さく息を吐いたが、すぐに表情を引き締め竜に向き直った。

「あれは何なのでしょうか」
「呪いの類らしい。特大の、な」

 国家転覆をはかった神官の男が取り込もうとしていたそれは、凡人には到底扱えないほど肥大化し、実態をとって世に放たれた。下手にその核を破壊してしまえば、その身に詰まった呪いが世界中に降りかかるだろう。であれば地道に浄化するほかにない。しかし、それにはどれほどの時間がかかるのだろうか。
 ソレイユの言葉を聞いてエトワールは目を閉じたが、すぐに何かを決心したかのように真っ直ぐにソレイユを見た。

「ソレイユ様、僕があの核を取り込んでそのまま封印になります」

 エトワールの申し出たそれはソレイユの頭にも一瞬過った方法で、しかしすぐさま却下されたものだった。

「あれを今すぐに消し去ることは出来ません。ですが、封印してから少しずつ瘴気を浄化することなら可能です」
「ならぬ、エトワール。そなたを犠牲にするなど私は望まない」
「ですが、それが出来るのは俺だけです」

 死にに行くと言っているようなものなのに、エトワールの瞳は場違いなほど穏やかだった。そこにエトワールの固い決意を見て、ソレイユは何も言えなかった。

「俺だって死にたい訳ではありませんよ。ですが、ソレイユ様のお役に立てると思えば怖くないのです」

 歌うような口ぶりで、エトワールは言葉を続けた。

「俺が作った封印は暫くは持つでしょうが、すべてを浄化する前には綻んでしまうでしょう。その時に再び封印しなおしてもらえるよう、準備しておいてくれませんか? その時が来るのは何百年後か……おそらく相当先になるでしょう。その時まで忘れず語り継げるのは王族であるソレイユ様にしか頼めない事なのです。どうか……」

 そう言ってエトワールは胸の前で腕を組んだ。ソレイユは手を伸ばすもエトワールの頬に触れる寸前で力なく下ろした。

「……エトワール、すまない」

 他に手段がない事くらい、ソレイユにも分かってはいた。多くの民を守るために愛する人を死に追いやる決断を下すことが出来る程度には、ソレイユも王族としての自覚はあった。恋人ではなく王族と臣下の立場を優先した自分にはエトワールに触れる権利はない。そんなソレイユの心を読み取ったのか、エトワールは一歩後ろに下がり眉を下げた。

「ソレイユ様、俺は謝罪よりも別の言葉が良いです」
「そうだな。エトワール、頼む。あれを封印してくれ」
「はい! 任されました!」

 綺麗な笑顔を残し前を向くと、エトワールは魔法を展開した。エトワールの体が光の糸となり、空中に模様を描き出す。それは無数の複雑な魔法陣の形をとって黒い靄を取り巻いていった。陣が完成したのと、麻痺が解けたのはほぼ同じタイミングだった。

グオオオオオオ……

 地の底から聞こえてくるような呻き声をあげ、黒い塊が身を捩る。しかしその身体は光の檻に完全に捉えられ、周囲に傷一つ付けることは無かった。暖かな光はエトワールの心そのもののように優しくそれを包み込む。ソレイユはただ見守ることしか出来なかった。
 やがて光が収まると、手のひらほどの大きさの黒く輝く石が浮かんでいた。

「封印は成立した」

 ソレイユが石を掲げて宣言すると、辺りから勝鬨が上がった。生き残った人々が抱き合い、互いの無事を喜び合う。それを横目で見ながらソレイユはひとり崩れた柱に腰かけた。
 正確に言えばエトワールは死んだわけでは無い。この封印の中で瘴気を抱きながら眠っているだけだ。だから瘴気を浄化できた暁には目を覚ますだろう。それが何千年後になるかは分からないが。

「エトワール……」

 王族として、民を守るものとして、その判断は間違っていない。それが出来るのはエトワールだけだし、命じるのは王族としての義務だ。民の――この世界の事を思えば、当然の結論だった。
 しかし、彼を愛する一人の人間として、本当にこうするしか出来なかったのだろうか。悠久の時間、エトワールは独りで封印を維持し続けなくてはならない。意識は無いかもしれないが、魂はずっとそこに囚われ続ける事になるのだ。

「私もそなたと共にありたかった」
「その願い、叶えてやろうか?」

 すぐそばから聞こえてきた声に体が強張る。王族である上に武人としてそれなりに経験を持っていたソレイユは他人の気配に敏感であった。しかしそこにいた男は、その姿を目にしていてもなお全く気配を感じさせないでいた。
 それに先程まで辺りにいた人々の姿も消えている。まるで自分だけが異空間に迷い込んだかのような感覚に、ソレイユは立ち上がって男を睨みつけた。

「貴様は誰だ」

 剣に手をかけながら距離を取るソレイユを軽くあしらって、男は眉を上げた。

「名は無い。人の子は我を神とも悪魔とも呼ぶが。まあとりあえず、そんな物騒なものは仕舞え」

 男が手を翳すとソレイユの持っていた剣は霧のように消え去った。驚きのあまり右手を見つめるソレイユを、男は楽しそうに見ていた。

「お前も知っているであろうが、いくら完璧なものであっても封印は時と共に弱まる。そのままにしておけば封印の核となった魂は内部から壊され、あれが世に放たれる。そしてこの世界は滅びるだろう。それは我としても困るんだよ。我にとってこの世界は愛しい我が子のようなものだからな」

 芝居がかった仕草で腕を広げると、男は続けた。

「封印を維持する為には定期的に魔力を補充せねばならない。だが我が直接手を下せばこの世の理が崩れてしまう。だからお前が必要なのだ。我の代わりに手足となって働く存在が、な」

 いつの間にかすぐ右隣に移動していた男がソレイユの肩を叩く。反射的にそちらを振り向くとその姿は霧のように溶け、逆隣りに移動した。

「お前の役目は封印へ魔力を補充するために生きた人間の手助けを借り、封印の元に導く事。我はその報酬として、協力者の望みを叶えるための魔力を預けよう。とはいえ理が崩れるほどの望みはかなえられないがな」

 男の口が弧を描く。耳元で囁かれるそれはまるで洗脳の様にソレイユの心に染み込んだ。

「無事浄化が終わった暁にはお前とかの者は解放される。その時残りの魔力でお前の肉体を作れば良い。お前にとっても悪い条件では無いのではないか?」

 この男が言っていることが真実かどうか分からない。ただ、不可解な力の持ち主であることは確かだ。騙されている可能性を考えたとしても、今のソレイユにはこの男の言うことに賭けるしか無かった。

「……何をすれば良い?」

 ソレイユの言葉に男は満足気に頷いた。

「お前の魔力をつぎ込んで、封印を補強するための媒体となるものを作れ。形は何でもいい。封印が解けそうになったらそれを通じて魔力を補充するのだ。その為に生きた協力者を選び、封印の元へ導くのがお前の役目だ」



 男に導かれるままに、ソレイユは魔力を編み上げた。魔力を貯める器。注ぐための器を――
 体中の魔力――いや、魔力の根本が手のひらから引きずり出されていく。それは両手の間に凝縮し、具体的な形を作っていった。

「くっ……」

 体を支えきれずに地面に膝をつく。落とさないようにしっかりと握りしめた手には黄金に輝く杯が握られていた。

「杯、か。なるほどな。伝説の聖杯なんて人の子が好みそうだ」

 男はソレイユの手から杯を奪うと、小さく何かを唱えた。途端、杯は白い光に包まれ大きく縦に伸びると、ソレイユと寸分違わぬ姿になった。

「お前が死んだらこれに魂を移す。それまでは好きに生きるが良い。もう魔力は使えないがな」
「今すぐ死ぬのではないのか?」
「我は人の子の生死を操ることは出来ないのだよ」

 男はゆるゆると首を振ったあと、ソレイユを見つめた。

「では達者で。もう会うことは無いだろうが――」

 男は右手を上げるとニッと笑った。

「上手くやってくれよ」

 男が指を鳴らした次の瞬間、男の姿は消え周りの喧騒が戻っていた。別段ソレイユを気にするわけでもない周囲の様子に、白昼夢を見ていたかとも思ってしまう。しかし、魔力の無い体はあの出来事が実際に起こったものだということを意味していた。



 呪いを封印したことにより、ソレイユは英雄のように讃えられるようになった。王に推薦する声まで上がったことには辟易した。恋人が居なくなったことも影響したかもしれない。もしソレイユの心を射止め、ソレイユが王になった暁には王妃になれるのだ。ソレイユの元には連日釣り書が送られてくるようになった。
 そんな生活に、ソレイユは耐えられなかった。ソレイユにとって今の生は死ぬまでの時間をただ消費するものでしかなかった。それに尊敬する兄である王太子の邪魔になりたくない。
 ソレイユは魔力を理由に臣下に降ると宣言した。それはすぐに認められたが、それでもソレイユを王にという声が後を絶たなかった。
 王太子の様子に違和感を覚えるようになったのは、その頃だった。時折何かを考え込むように床をじっと見つめている。少しやせたような気もする。しかしソレイユが話しかければすぐにいつもの穏やかな笑顔を見せていたため、あまり気にはしていなかった。





「兄上、何故……」
「ソレイユ、お前は神官と協力し、呪いをばら撒いた罪で囚魂の刑に処す」

 貴族たちが集まる絢爛な広間。その中心で、ソレイユは両脇から屈強な騎士たちに拘束され、床に膝をついていた。頭上にはこの状況を招いた張本人、――王太子の顔がある。感情の読めない暗い瞳に、ソレイユは小さく身震いした。

「連れていけ」
「お待ちください、兄上!」
「もう兄などと呼ぶな! 罪人如きが……!」

 憎悪に満ちたその視線に、ソレイユは言葉を失った。本当に、目の前の男はあの兄なのだろうか。言葉を重ねようと開いた口に枷をはめられ、声も出せないまま広間から引きずり出されると、罪人用の馬車に押し込まれた。
 両陛下は外交の為隣国を訪問している。あと一月は帰って来ないだろう。何とかしてここから逃げ出さねばと扉に力を込めるも、魔力の籠ったそれはびくともしなかった。

 囚魂の刑――それはこの国において最も重い刑罰だ。王都の外れの森にある『魂の檻』に罪人の魂を閉じ込める。囚われた魂は輪廻に戻れず幽鬼となり彷徨う事になるのだ。永久に。

 そうなってしまえば、封印はどうなるのだろうか。魂の無い杯は正しく機能するのだろうか。

 暫く走った馬車は鬱蒼とした森の中で止まった。扉が開けられ、数人の男たちによって外に引きずり出されたソレイユは、そのまま地面に放り投げられた。姿勢を起こす前に親指に何かを嵌められる。それは王家に伝わる宝物のひとつで、身につけた者の体の自由を奪う指輪だった。
 目の前に立つ魔術師が何かを唱える。ざわ、と葉擦れが聞こえたかと思うと、地面に真黒な穴が現れた。魔術師が先行してその穴に入る。動けないままのソレイユを、男たちが持ち上げ穴の中へと連れていかれた。

 洞窟のような道をしばらく歩くと、少し開けた空間にが現れた。その一番奥の壁。そこから感じる異様さは魔力を感知できないソレイユにも理解できた。これが『魂の檻』だ。
 男たちが部屋の中央にソレイユを横たえると、魔術師が呪文を唱える。それに呼応するように、壁に刻まれたレリーフに黒い光が走った。
 それは石畳の隙間を通りソレイユへと伸びてくる。最後の抵抗とばかりに身を捩ろうとするが、魔力を持たないソレイユに抵抗するすべは無かった。
 皮膚が完全に覆われ、魔術師の詠唱ははるか遠くに聞こえる。自分の輪郭が曖昧に溶けていく。意識が混濁する中、頭に浮かぶのは愛しい人の穏やかな笑顔だった。

 エトワール……すまない

 それを最後に、ソレイユの思考は途切れた。
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