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二章

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『話は終わったか? 早く竜を封印に向かうぞ』

 突然の男の声にハッと顔を上げた。振り返るとそこには白い服を着た金目の男が立っていた。人間と思えない雰囲気に警戒して剣に手をかけるが、ジョシュアは大丈夫だと頷くとため息をついて口を開いた。

「ちょっとは空気を読め」
『目的を忘れてないか? 竜の封印をしに来たのだろう?』
「貴方は――?」

 落ち着いて男の様子を観察する。この気配は前に一度、感じたことがある。あの幽鬼の森の地下で――

『その節は世話になったな、私の遠縁の子孫よ』

 そう言うと男は口角を上げ、金の目を細めた。

『そなたが私の魂を解き放ってくれたおかげで、いろいろ思い出すことができた。改めて礼を言う。ありがとう』
「そのお礼、ちゃんと届いていましたよ」

 俺の言葉に男は満足気に笑った。改めて話しかけようとして、俺は彼の名すら知らないことに気付いた。

「いくつか質問したいのですが、よろしいでしょうか?」
『良いぞ。私が答えられることであれば教えよう』
「貴方のお名前は? 何と呼べばいいのでしょうか」

 彼は薄く笑いながら人差し指で唇を触った。

『私の名、か……人は聖杯と呼ぶ。お主もそう呼べばいい』
「聖杯……あなたはフォンタニエ王国の王子だったのでは?」
『そうだ。だが私は神から聖杯として竜の封印を維持する役目を賜った時から王子としての立場は捨てた。だから今はただの聖杯だ。敬う必要も無い』

 敬語もいらぬ、と付け加えられたがいきなり馴れ馴れしくするのは憚られて、結局話し方は変えなかった。

「ではなぜあなたは幽鬼の森に囚われていたのですか?」
『王位の邪魔になると恐れたのだろう。そんな気は無かったのだがな……この話は止めよう。あまり愉快な話ではない』

 口ぶりは何でもないようだったが、全身から漂う空気は完全な拒絶を示していた。しかし、質問すること自体は続けて良いようだったので、別の質問を投げかけた。

「邪竜とは一体何なのですか? 普通の竜とは違うのですか?」
『普通の竜はただの魔物だ。邪竜――あれは世界の澱みの集まり。世界からかき集められた負の感情が形になったものよ。魔物というより呪いのようなものだな』
「かき集め……? 人為的にですか?」
『ああ。私が生きていた頃の話だ。人々の負の感情を己の力としようとし、結局扱いきれずに世に放った馬鹿な男がいてな。私は友と共にそれを封印したのだが……』

 聖杯はわざとらしく大きく肩を落とした。

『瘴気の澱みの発生や魔石の劣化を受けて度々封印が解かれてしまうのでな。再び竜を封印するための力を与える。それが私の聖杯としての役割だ』

 聖杯の話を聞いてふむ、と思案した。呪いは瘴気や人の負の感情を闇魔術で集め、核を作って形にしたものだ。聖杯の言うように邪竜が呪いと同じなのだとしたら、邪竜にも核があるはずで、それを破壊すれば呪い――邪竜を消すことができるのではないか。

「封印ではなく消滅させてはいけないのですか? 呪いと似ているのなら光魔術で――」
『それだけはならぬ!』

 それまでの飄々とした雰囲気から一変して、その叫びは悲痛な色を帯びていた。

『……すまぬ、声が大きかったな。だが、消滅させれば残った呪いが一斉に世に放たれる事になる。それにあれを壊してしまえば――いや。これはそなたには関係ないな』

 聖杯は自分の胸元を掴み、何かに耐えるように顔をしかめた。それは聖杯として、人ならざるものとして長い間を過ごしてきた彼が初めて見せた人間らしい面だった。



 三人で打ち合わせをしてから洞窟から出ると相変わらず空は真夜中のように暗かった。聖杯はじっと頂上を見つめるとそこを指さした。

『やはりこの山は当たりだぞ。あやつの気配がする』

 そう言った聖杯の表情は、何かを懐かしんでいるようだった。
 聖杯に導かれて山の頂上を目指した。俺の光魔術の効果か、これまで同様魔物は出てこなかった。ジョシュアは俺と合流する前は魔物と遭遇したと言っていたから、それだけでもジョシュアと一緒に居る甲斐があると感じた。
 ついに山頂へ辿り着いた。ゴツゴツとした岩肌が露になった地面はまるでその一部が切り取られたかのよう不自然に平らになっており、その中央に濃密な瘴気の渦があった。契約印が強く反応する。ジョシュアも反射的に右手を押さえた。

『あそこに竜がいる。二人とも、よろしく頼んだぞ』

 戦闘に巻き込まれないよう、聖杯は隅の方へ下がった。彼は封印の維持に力を貸すことは出来るが、直接干渉する術を持たないらしい。
 俺とジョシュアが武器を構えると、瘴気の渦の中から黒い鱗を持った大きな竜が現れた。ビリビリと感じる波動は普通の魔物のものと全く違った。

「行くぞ」
「ああ」

 小さく合図を送りあってから、光魔術を纏った上にジョシュアに肉体強化をかけてもらい大きく飛び上がった。俺が邪竜を引き付け、その間にジョシュアに上級魔術を放ってもらう作戦だ。聖杯によると、邪竜は復活の度に属性が変わる。だから一撃は引き出す必要があった。
 邪竜の背中側に回りうなじ辺りを切りつける。邪竜は軽く体を捩ったが、俺を気にすることなくジョシュアを凝視していた。光魔術を発動して顔に当てる。ダメージは与えたはずだが邪竜は見向きもしなかった。
 正面に回って目を狙って攻撃する。邪竜はようやく俺を捉え、小さく炎のブレスを吐いた。それを確認したジョシュアは即座に水魔術を編み始める。邪竜はその詠唱を止めるようにジョシュアに爪振り下ろした。
 ジョシュアが詠唱を中断し、すんでのところで飛び退く。地面が大きく抉れ、岩が飛び散った。
 ジョシュアの前に出て前足を狙う。それを尻尾で振り払うと、邪竜はジョシュアに向かってブレスを吐いた。ジョシュアが水属性のシールドでそれを防ぎ、俺が再び前に出る。
 聖杯に聞いた話では、細かい攻撃を続けることで邪竜を引き付けられるはずだった。しかし邪竜は俺を無視し、ジョシュアを執拗に狙っていた。

 互いに牽制し合う時間が続く。このまま長引けばこっちが不利だ。ジョシュアと合図をしあって肉体強化を重ねがけしてもらい、一気に畳みかけた。俺の猛攻に邪竜が怯む。その隙にジョシュアは中級魔術を打ち込んだ。
 その時突然邪竜の体が崩れると、大きく広がってジョシュアの足を捉えた。

「危ないっ!」
「っ! フレッド……!」

 邪竜の体だった黒い塊は触手を這わせるようにジョシュアを取り込んでいく。剣を振り下ろし触手を切るが、切れた触手は形を変えてまたすぐに復活した。
 このままではジョシュアが――
 黒い塊が袋のように広がりジョシュアの背後に迫る。その一瞬、袋の奥底に禍々しい魔力を発する核が見えた。俺は瞬時に判断して剣に光魔術を纏わせた。この剣で核を破壊すれば、邪竜は消滅する。そうすればジョシュアが助かる。たとえ呪いが解き放たれたとしても、俺はジョシュアを救いたかった。
 剣を構えて攻撃を仕掛けようと駆け出したその時だった。

『やめろ! 止めてくれ! 消滅だけはさせないでくれ!』

 悲痛なその叫びに足が一瞬止まった。やけにゆっくりと時が進む。赤い目を大きく見開いたまま、ジョシュアは邪竜に呑み込まれた。
 完全にジョシュアを呑み込んだ邪竜は竜の姿を取り戻した。ジョシュアの魔力を纏った邪竜は、先程よりも更に大きくなった体を揺らし、こちらを睨み付けていた。

「ジョシュアーーーっ!!」

 半狂乱で光魔術を身に纏い、邪竜に近づく。ジョシュアは邪竜に取り込まれただけだ。今なら何とかなるかもしれない。急いで光魔術を編んで邪竜を拘束しようとするが邪竜はそれを軽くいなし、低く身をかがめた。
 その口に魔力が集まる。強大なブレスが来る――
 そう直感し、防御の姿勢に入った時、邪竜は突然苦しそうに呻くとその口から一人の青年を吐き出した。

『エトワール!』

 聖杯が叫びながら彼を抱き起す。青年の身体に傷は見られなかったが、意識は無いようだった。
 邪竜は苦し気に身を捩ると空高く飛び上がり爆風を放ちながら霧散した。

「っ!」

 吹き付ける風の力に立っていられず、地面に膝をつく。空間に霧散した邪竜はその姿を凝縮させて人の形になっていった。

「ジョシュア……?」

 そこに浮かんでいたのは確かにジョシュアのように見えた。ただ、美しい赤の瞳は妖しく銀色に光り、頭には一対の角が生え、背には大きな羽を背負っていた。

 羽を広げて地面に降り立ったジョシュアは何かを呟きながら涙を流していた。

「……しい……辛い……寂しい…………俺は、独りだ……!」

 そう叫んだ瞬間、ジョシュアの体から濃密な瘴気が噴き出してきた。ジョシュアの心の痛みが、悲しみが、俺の胸の奥を揺さぶる。身を切り裂くような瘴気の奔流に逆らって、ジョシュアへ這い寄った。

「ジョシュア、俺がいるよ。もう決して独りになんてしない!」

 俺の呼びかけにも顔を上げず、ジョシュアは地面にうずくまっている。覆いかぶさるようにその体を抱きしめた。
 肌を通じて瘴気が体内に入ってくる。体の芯まで侵すような強い負の感情に気が狂いそうになるが肌に感じるジョシュアの熱に必死に縋った。思考が黒く塗り潰されていく。それでも決して離さないと、腕に込めた力を強めた。

 ――もう何も見えない。何も聞こえない。触れていたジョシュアの熱すら感じない。そんな深い闇の中で俺の体が消えていく。それでも最後に残った心が、ジョシュアの存在を近くに感じ取っていた。
 俺の体がすべて無くなっても、心だけでもジョシュアと共にいられるのならそれで良かった。ジョシュアを独りにするくらいなら、それで。

 闇に溶けて無くなる寸前、の甲が熱を持った。そこを起点に全身の感覚が戻ってくる。腕の中にいる、ジョシュアを抱く感触も、確かなものとして実感できた。

《神の名のもとに、我の力を譲渡する。聖杯は空となり、その力は契約者を満たすだろう》

 不思議な声が頭の中に響くと、右手の契約印を通じて温かい魔力が流れ込み空間を明るく照らしていった。それは俺の意思通りに動き、触れ合う肌を通じてジョシュアへと流れて瘴気を浄化していった。
 闇が消え去るにつれて様々な記憶が蘇ってきた。すべて思い出した。俺は――

 抱きしめる力を緩め、頭にキスを落とした。瘴気が薄れて苦しみは無くなったのか、ぼんやりと宙を眺めるその目と視線が合うように額を合わせる。俺が伝えたいことはただ一つだけだった。

「ジョシュ、愛してる」

 ジョシュは銀の目を大きく見開いてようやく俺の顔を見た。俺はジョシュの頬を撫でると、その唇にキスを落とした。

 触れるだけの長いキスを終えると、周囲の空気はすっかり浄化され、時刻通りの明るい日差しが山肌を照らしていた。瘴気を浄化した影響か、ジョシュの体から角や羽は無くなり、名残りとして左目だけが銀に変わっていた。
 ジョシュは俺の顔を見て目を見開いた。

「フレッド、目が……」

 ジョシュが言うには俺の両目が金色に変わっているらしい。おそらく聖杯の力の影響だろう。自分の中に俺のものとは別の――人ならざる者の力が渦巻くのを感じていた。

「ソレイユ様!」

 悲痛な叫びに振り返る。いつの間に意識を取り戻したのだろうか、邪竜から吐き出された青年が薄汚れた杯を抱いて涙を流していた。直感的に理解した。この杯が聖杯の器だったことを。俺に力を渡し、聖杯は殆ど消えかけている。このままでは数分と持たず消滅してしまうだろう。
 俺は静かに彼に近づくと、大気中に散らばった聖杯の残滓をかき集めた。

「あなたは……それにこの力は……」
「俺に任せて」

 俺の力を使って杯を軸に人体を組み上げていく。やり方は知らなくても自然と分かった。体ができるにつれ、力がどんどん抜き取られていく。元通りの姿が出来るころには、受け取った力の大半を失っていた。

「ソレイユ様! 俺です! わかりますか!?」

 青年が聖杯を抱き起すと、聖杯は薄っすらと目を開いたようだった。

「良かった……」

 安心感もあり、つい気が抜けて地面に座り込んだ。

「フレッド! 無理をするな!」

 ふらつく体をジョシュが抱き支えてくれる。

「ありがとう、ジョシュ。でもこれで良いんだ。あの力は俺には過剰だったから。それに」

 俺たちの存在が目に入らないかのように硬く抱き合う青年と聖杯を横目でちらりと見る。

「愛する人を失う悲しみは俺たちが一番よく知ってるだろ?」

 そう言うとジョシュは眉を下げて俺に抱き着いた。
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