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二章
15
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「……! ――ッド!」
「ん……ミルトゥ殿?」
「良かった……!」
体を起こそうとするとぎゅっと抱き着かれた。触れ合う熱と感じる鼓動にお互い生きているんだと安堵する。それでも更なる確証が欲しくて、確かめるように彼の背を撫でた。
「す、すみません」
その手の動きのせいか、ミルトゥ殿は身体を離して立ち上がった。もう少しこうしていたかったと残念に思いながら俺も立ち上がると、体が軽いことに気付いた。
「あれ? 痛くない……」
「ポーションを使って治療しておきました。偶然エリクサーを持っていたので」
「そんな高級な薬、俺なんかに使って良かったの?」
「当たり前っ、です。私だけ無事であなたに万一の事があったら寝覚が悪いですから」
ミルトゥ殿は俺から顔を背けて言った。表情は見えなかったが、赤く染まった耳が雄弁に語っている。俺に気遣わせないようにそう言ってくれているのだろう。そんな彼の優しい所が好きだ。
「……ありがとう」
礼を言って改めて周囲を見渡すと、ここは洞窟の中のようだった。湖の真上から光が差し込んでいるが、光はそれだけで周囲は薄暗い。
「ところで、ここは……?」
「分かりません。ただ、空間が歪んでいるようで通信魔術も使えないんです。見ていてください」
ミルトゥ殿が上に向かって光球を投げると、10メートル程打ちあがったところでバチンと消えた。
「上に見える光――あれも幻影の可能性が高いです」
「そっか。じゃあ壁を登って行っても外には出れないってことか」
ミルトゥ殿は俺の言葉に引きつった笑みを浮かべたが、目算で100メートルくらいの壁なら肉体を強化すれば彼を背負ってでも登れる自信はある。
「転移は試した?」
「一応試してみましょうか」
転移で彼だけでも皆の元へ飛べれば。そう思って提案したが、ミルトゥ殿は俺に手を差し出してきた。
「一緒に転移しますから。手、貸してください」
「ミルトゥ殿は他の人を連れて転移できるの? 凄い技術だね」
転移魔術はそもそもが難しい魔術だ。本職の魔術師だって全員が使える訳じゃないし、使えても自分一人が飛ぶのが精一杯だと聞く。俺が感心し倒していると、彼は居心地悪そうに身じろぎした。
「と、とにかく、試してみましょう」
手を繋ぐとミルトゥ殿が魔力を練った。二人の周囲を彼の魔力が取り巻く。しかし何も起こらないまま、魔力は消滅していった。
「……駄目ですね。転移は出来ないみたいです」
「転移も駄目か。となると……」
俺たちを誘うかのように洞窟の奥の暗闇から一陣の風が吹いた。
「奥に進むしかないようだね」
「そのようですね」
ミルトゥ殿が光魔術で足元を照らしてくれる。周囲を警戒しながらゆっくりと足を進めた。周囲の音を聞き落とさないよう、黙って進む。静かな洞窟は時折水の滴る音がするのみで生物の気配は全くない。足元だけがぼんやりと照らされた薄暗い闇の中にいると、隣にいるはずのミルトゥ殿の気配がどんどん希薄になった。
不意に闇が深くなり、あたりの様子が分からなくなった。
『フレデリック』
呼ぶ声にふと顔を上げると、私服姿のミルトゥ殿が俺に笑いかけていた。
『フレデリック、愛してる。こっちへ来て』
そんな筈ないと頭では理解しているのに、体が言うことを聞かない。1歩、また1歩とふらふら近寄っていくと、右腕がグッと引かれた。
「しっかりしてください!」
「っ!」
良く通る声に頭の中の靄が晴れる。目の前のミルトゥ殿はぐにゃりと形を変え、蝙蝠のような小型の魔物の姿となり闇に溶けた。普通の通路を歩いていた筈だったが、目の前の地面には亀裂が入り俺はその深い裂け目の淵に立っていた。あと1歩でも踏み出していれば危なかった。
「……ありがとう、助かったよ」
「今の魔物、テネーブルですね」
「そうだね」
テネーブルとは洞窟にまれに出現するという魔物だ。肉体的には非力だが、幻術を使うことができ、相手の望むものを見せて思考を鈍らせた上で生きたまま捕食するという残忍な面を持つ。ミルトゥ殿が光の補助魔術をかけてくれた。これで多少は耐性が付いた。
「テネーブルが相手となると分断されると分が悪い。手を繋がせてもらっていいかな?」
「ええ。構いません」
テネーブル自体は動きが速いわけでもないから、次に姿を見せた時にはうまく仕留められる。だが、幻術が厄介だ。仲間の姿がテネーブルに見えるような幻術を使われて同士討ちになったなんて話もある。俺は左手でミルトゥ殿の右手を握った。
「動きにくくてごめんね」
「いえ、魔術は左手でも使えますから」
再び洞窟の中を進み始めた。相変わらずの薄暗い闇の中でも、左手に感じる熱が俺を現実へ引き留めてくれる。時折手に力をこめると同じ強さで返してくれる。こんな状況なのにそれが嬉しくて、何度も繰り返した。
暫く進んだところで、闇が濃くなる気配がした。さっきと同じ気配だ。警戒心から手に力をこめると、力は返ってこなかった。
「ミルトゥ殿……?」
目を凝らして隣を見ると、彼は驚いたように目を見開いていた。
「……ッド……」
彼はぽつりと何かをつぶやくと、闇の先へ駆けだそうとした。
「ミルトゥ殿! しっかりしてください!」
「待って! 行かないで!!」
暗闇に向かって暴れる彼を無理やり腕に閉じ込め声をかけ続けた。
「ミルトゥ殿! ジョシュア! ジョシュ――」
俺の声が届いたのか、びくっと体を震わせ、ミルトゥ殿の動きが止まった。目の前の空間がわずかに歪む。その隙を見逃さず、右手の剣で両断した。
不快な叫び声をあげ、テネーブルは塵のように崩れた。絶命を確認して、腕の中の彼に目を戻した。
「ミルトゥ殿、大丈夫?」
「はい、ご迷惑をおかけしました」
「気にしないで。俺もさっきミルトゥ殿に助けてもらったし。お相子だよ」
彼を腕から解放し、テネーブルが落とした魔石を拾った。テネーブルはそれなりに強い魔物だから、魔石もそれなりに大きくて直径3センチくらいはあった。だが、大きさ以上にその純度に驚いた。覗き込むと向こうが見えるほどの純度の魔石はなかなかお目にかかれない。それは先程のテネーブルがそれだけ強かったことを意味していた。
「テネーブルからこんなに高純度の魔石が取れるなんて、聞いたことありません」
「そうだね。この洞窟は特殊な環境らしい。気を引き締めて行こう」
テネーブルは討伐したとはいえ、この先また同じような魔物がいないとも限らない。そう説き伏せて繋いだ手はそのまま進むことになった。下心もあるにはある。でもそれ以上にさっきのミルトゥ殿の様子を見て、この闇の中で見失ったらもう二度と会えないような気になってしまい、怖くて手が離せなかった。
「ん……ミルトゥ殿?」
「良かった……!」
体を起こそうとするとぎゅっと抱き着かれた。触れ合う熱と感じる鼓動にお互い生きているんだと安堵する。それでも更なる確証が欲しくて、確かめるように彼の背を撫でた。
「す、すみません」
その手の動きのせいか、ミルトゥ殿は身体を離して立ち上がった。もう少しこうしていたかったと残念に思いながら俺も立ち上がると、体が軽いことに気付いた。
「あれ? 痛くない……」
「ポーションを使って治療しておきました。偶然エリクサーを持っていたので」
「そんな高級な薬、俺なんかに使って良かったの?」
「当たり前っ、です。私だけ無事であなたに万一の事があったら寝覚が悪いですから」
ミルトゥ殿は俺から顔を背けて言った。表情は見えなかったが、赤く染まった耳が雄弁に語っている。俺に気遣わせないようにそう言ってくれているのだろう。そんな彼の優しい所が好きだ。
「……ありがとう」
礼を言って改めて周囲を見渡すと、ここは洞窟の中のようだった。湖の真上から光が差し込んでいるが、光はそれだけで周囲は薄暗い。
「ところで、ここは……?」
「分かりません。ただ、空間が歪んでいるようで通信魔術も使えないんです。見ていてください」
ミルトゥ殿が上に向かって光球を投げると、10メートル程打ちあがったところでバチンと消えた。
「上に見える光――あれも幻影の可能性が高いです」
「そっか。じゃあ壁を登って行っても外には出れないってことか」
ミルトゥ殿は俺の言葉に引きつった笑みを浮かべたが、目算で100メートルくらいの壁なら肉体を強化すれば彼を背負ってでも登れる自信はある。
「転移は試した?」
「一応試してみましょうか」
転移で彼だけでも皆の元へ飛べれば。そう思って提案したが、ミルトゥ殿は俺に手を差し出してきた。
「一緒に転移しますから。手、貸してください」
「ミルトゥ殿は他の人を連れて転移できるの? 凄い技術だね」
転移魔術はそもそもが難しい魔術だ。本職の魔術師だって全員が使える訳じゃないし、使えても自分一人が飛ぶのが精一杯だと聞く。俺が感心し倒していると、彼は居心地悪そうに身じろぎした。
「と、とにかく、試してみましょう」
手を繋ぐとミルトゥ殿が魔力を練った。二人の周囲を彼の魔力が取り巻く。しかし何も起こらないまま、魔力は消滅していった。
「……駄目ですね。転移は出来ないみたいです」
「転移も駄目か。となると……」
俺たちを誘うかのように洞窟の奥の暗闇から一陣の風が吹いた。
「奥に進むしかないようだね」
「そのようですね」
ミルトゥ殿が光魔術で足元を照らしてくれる。周囲を警戒しながらゆっくりと足を進めた。周囲の音を聞き落とさないよう、黙って進む。静かな洞窟は時折水の滴る音がするのみで生物の気配は全くない。足元だけがぼんやりと照らされた薄暗い闇の中にいると、隣にいるはずのミルトゥ殿の気配がどんどん希薄になった。
不意に闇が深くなり、あたりの様子が分からなくなった。
『フレデリック』
呼ぶ声にふと顔を上げると、私服姿のミルトゥ殿が俺に笑いかけていた。
『フレデリック、愛してる。こっちへ来て』
そんな筈ないと頭では理解しているのに、体が言うことを聞かない。1歩、また1歩とふらふら近寄っていくと、右腕がグッと引かれた。
「しっかりしてください!」
「っ!」
良く通る声に頭の中の靄が晴れる。目の前のミルトゥ殿はぐにゃりと形を変え、蝙蝠のような小型の魔物の姿となり闇に溶けた。普通の通路を歩いていた筈だったが、目の前の地面には亀裂が入り俺はその深い裂け目の淵に立っていた。あと1歩でも踏み出していれば危なかった。
「……ありがとう、助かったよ」
「今の魔物、テネーブルですね」
「そうだね」
テネーブルとは洞窟にまれに出現するという魔物だ。肉体的には非力だが、幻術を使うことができ、相手の望むものを見せて思考を鈍らせた上で生きたまま捕食するという残忍な面を持つ。ミルトゥ殿が光の補助魔術をかけてくれた。これで多少は耐性が付いた。
「テネーブルが相手となると分断されると分が悪い。手を繋がせてもらっていいかな?」
「ええ。構いません」
テネーブル自体は動きが速いわけでもないから、次に姿を見せた時にはうまく仕留められる。だが、幻術が厄介だ。仲間の姿がテネーブルに見えるような幻術を使われて同士討ちになったなんて話もある。俺は左手でミルトゥ殿の右手を握った。
「動きにくくてごめんね」
「いえ、魔術は左手でも使えますから」
再び洞窟の中を進み始めた。相変わらずの薄暗い闇の中でも、左手に感じる熱が俺を現実へ引き留めてくれる。時折手に力をこめると同じ強さで返してくれる。こんな状況なのにそれが嬉しくて、何度も繰り返した。
暫く進んだところで、闇が濃くなる気配がした。さっきと同じ気配だ。警戒心から手に力をこめると、力は返ってこなかった。
「ミルトゥ殿……?」
目を凝らして隣を見ると、彼は驚いたように目を見開いていた。
「……ッド……」
彼はぽつりと何かをつぶやくと、闇の先へ駆けだそうとした。
「ミルトゥ殿! しっかりしてください!」
「待って! 行かないで!!」
暗闇に向かって暴れる彼を無理やり腕に閉じ込め声をかけ続けた。
「ミルトゥ殿! ジョシュア! ジョシュ――」
俺の声が届いたのか、びくっと体を震わせ、ミルトゥ殿の動きが止まった。目の前の空間がわずかに歪む。その隙を見逃さず、右手の剣で両断した。
不快な叫び声をあげ、テネーブルは塵のように崩れた。絶命を確認して、腕の中の彼に目を戻した。
「ミルトゥ殿、大丈夫?」
「はい、ご迷惑をおかけしました」
「気にしないで。俺もさっきミルトゥ殿に助けてもらったし。お相子だよ」
彼を腕から解放し、テネーブルが落とした魔石を拾った。テネーブルはそれなりに強い魔物だから、魔石もそれなりに大きくて直径3センチくらいはあった。だが、大きさ以上にその純度に驚いた。覗き込むと向こうが見えるほどの純度の魔石はなかなかお目にかかれない。それは先程のテネーブルがそれだけ強かったことを意味していた。
「テネーブルからこんなに高純度の魔石が取れるなんて、聞いたことありません」
「そうだね。この洞窟は特殊な環境らしい。気を引き締めて行こう」
テネーブルは討伐したとはいえ、この先また同じような魔物がいないとも限らない。そう説き伏せて繋いだ手はそのまま進むことになった。下心もあるにはある。でもそれ以上にさっきのミルトゥ殿の様子を見て、この闇の中で見失ったらもう二度と会えないような気になってしまい、怖くて手が離せなかった。
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