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二章

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「じゃあ戻ろうか、ジョシュア」

 ジョシュアと共に渦に近付く。空間の歪みが大きくなり、俺たちの体を包み込んだ。痛みを錯覚してしまうほどの強い光に、俺はジョシュアの手をしっかりと握って目を閉じた。
 僅かな浮遊感の後、徐々に光が落ち着き足裏に柔らかい地面を踏みしめる感触がした。ゆっくりと目を開けると、俺たちは薄暗い森の中に立っていた。見える範囲には誰もおらず、ただ葉擦れの音が静かな空間に響いていた。

「帰って来た……のか?」
「――! ――長! いますか?!」

 俺の問いに応えるように、遠くから人の声が聞こえた。

「おーい! ここだ――」

 声の方へ踏み出そうとしたが、足がもつれて地面に崩れ落ちた。さっきまで立っていたのが嘘のように重い疲労感に全身が押しつぶされたようだった。

「アスフォデル殿!」

 ジョシュアが俺の身体を支えてくれる。呼び方が違う――そんな文句も紡げないまま、俺の意識は闇へ沈んでいった。





 次に目に入ったのは白い天井だった。周囲はカーテンで仕切られており、俺は清潔なシーツが敷かれたベッドの上に横たわっていた。

「……ここは」

 このカーテンには見覚えがある。ここは第一の医務室だ。
 上体を起こして周囲を見渡す。少し疲労感はあるがおおむね問題は無さそうだ。壁の時計は9時を指している。窓の外の明るさから朝の、だろう。俺は半日以上寝ていたのか。
 身体の調子を確かめながらそんなことを考えていると、医務室へ入ってくる気配がするなり勢いよくカーテンが開かれた。

「おはよう、フレデリック! 起きたかい?」
「ヴァレリー殿下!」
「僕だけじゃないさ。ほら」
「ジョシュア……」

 殿下に続いて入ってきたのはまとまりの良いしなやかな黒髪を高い位置で一つに括ったジョシュアだった。初めて見るその髪型はシンプルな私服姿に良く似合っていて胸が高鳴る。ジョシュアはお見舞いと称して殿下が持ってきた花束を窓際の花瓶に生けた。歩くたびに揺れる髪の先が動物のしっぽのようでつい目で追っていると、花を生け終わったジョシュアが戻って来た。

「フレデリック、体調はいかがですか?」
「もうすっかり元気だよ。ありがとう」

 予想通り俺は半日ほど眠っていたらしい。症状は魔力切れと極度の疲労とのことだが、あの時瘴気を消したのが原因だろうと自己分析した。
 俺たちがいない間森で何があったのか、事情を聴いたらしいジョシュアが掻い摘んで教えてくれた。
 何でも俺たちが歪みに引き込まれた後、歪みは跡形もなく消えてしまい全く手がかりが掴めないまま途方に暮れていたらしい。いくら探しても森の中に痕跡すらない。軍からの捜索隊を要請する直前で、俺たちが戻って来たというわけだ。

「スケルトンロードがいたんだって? 魔石は破壊されてしまったみたいだけれど、何か証拠になるものはある?」

 その問いかけに、俺はふと指輪の事を思い出した。服はそのままだったからポケットを漁り、指先に当たったそれを取り出した。

「これが、スケルトンロードを討伐した後に残っていました」
「これは……」

 ヴァレリー殿下はしなやかな指で小さな指輪を摘まんだ。しばらく光に翳して眺めていたが、納得したように小さく頷き、ベッドの横の丸椅子に腰かけた。

「フレデリック、昔幽鬼の森にまつわる話をしたことがあるよね。覚えてる?」
「はい。幽鬼とはあのスケルトンロードの事だったのですね」
「いや、あの話は僕の創作なんだけど」
「えっ?! 創作……ですか」

 あの話を真に受けて、意味深に語ったのが少し恥ずかしい。

「全くの作り話って訳じゃないよ。あの話は王家にまつわる裏の記録をモチーフにしているんだ」

 そんな羞恥を知ってか知らずか、殿下は静かに語り始めた。

「昔、とある罪で裁かれた王子がいたんだ。当時の王太子が主となって彼の罪を暴いて王都の外れの森――今でいう幽鬼の森へ幽閉することに決まった。ところがのちに王太子が証拠を捏造した形跡が見つかった。彼は無実だったんだ。それに気付いた王は王太子を廃嫡、王子を探したが結局見つからなかった。その後、次の王は末の弟に決まって……その人が僕の直接のご先祖様だね」
「ですが、王家の歴史にはそのような記述は一言も――」
「そうだよ。王家が隠したい裏の記録だからね。表向きには王子は事故で、王太子は病気で死んだことになっている。僕は王家の血を引くものとして、王子を見つけてあげたかった。彼の魂を解放してあげたかったんだ。だから物語に隠して君に伝えた。囚われた哀しい魂の存在を」

 殿下は手の中の指輪に視線を落とした。

「この指輪は元々は王家の宝で、幽閉されたときに彼が身に着けていたと記録されているんだ。ありがとう。形見を見つけてくれて」
「彼はちゃんと解放されましたよ。ありがとうと、確かに聞こえましたから」

 殿下は俺の言葉に目を瞬かせると、満面の笑みを浮かべた。

「フレデリックが言うなら本当だね。良かった!」

 俺はただ必死に戦っただけだが王家の役に立てたのなら誇らしい。

「報酬を与える――と言いたいところだけど、話が話だから正式に出すことは出来ないんだ。その代わり、慰労の名目で特別休暇が出ることになったよ。期間は今日から3日。二人ともゆっくり休んでね。フレデリックは今日は医務室に泊まる?」
「いえ、体も平気ですので自室へ戻ります」
「そう。分かった。医務室長には僕から伝えておくよ」

 殿下の言葉にジョシュアが反応した。

「殿下、私が伝えます」
「良いから良いから。じゃ、あとは若い二人で」

 そう言うと殿下はジョシュアを無理矢理丸椅子に座らせ、颯爽と立ち去った。パタンと扉が閉まると、カーテンの衣擦れの音が響くほどの静寂に包まれた。

「あの」
「ジョシュア」
「フレデリック、お先にどうぞ」
「いや、ジョシュアからどうぞ」

 同時に話し出し同時に譲り合う。なんだかおかしくて笑いが零れると、それにつられてジョシュアも小さく笑った。

「では私から。フレデリック、助けてくださってありがとうございます。あなたがいなければ、今頃私は……」
「二人とも無事で良かったよ。こちらこそありがとう」

 俺の言葉に彼は居心地悪そうに目を伏せた。

「礼を言われるような事はしていません」
「そんなこと無いよ。ジョシュアがいなければテネーブルもスケルトンロードも討伐できなかった。ジョシュアが諦めなかったから、俺たちは無事に戻ってこれたんだよ。諦めないでいてくれてありがとう」

 彼の手を取って両手で包み込む。俺の熱が伝わって、少し冷たい指先は徐々に温まっていく。
 大袈裟な言い方だっただろうか。でも――瘴気の中で感じた光魔術の温かさが胸に蘇る。彼が諦めないでいてくれたのは事実だ。本当は彼自身も諦めないで欲しい。そう思いを込めて、俺は握る手に少し力を込めた。
 顔を上げた彼と視線が交差する。彼は少し潤んだ瞳を閉じてそっと俺の手を解くと静かに立ち上がった。

「長々とお邪魔しました。ゆっくり体を休めてくださいね。では、私はこれでーー」
「待って」

 咄嗟に声をかけて引き留める。お礼もそうだが、俺にはもう一つ言いたい事があった。

「せっかくの休暇なんだから1日くらいどこかに出掛けない? ほら、植物園とか。新しい庭園が完成した頃だと思わない?」
「殿下も休めと仰っていたでしょう。その為の休暇ですよ」
「俺は疲れはほとんど残ってないよ。休暇とはいえずっと引きこもってたらかえって気が滅入りそうだし……ダメ?」

 ベッドに座る俺と立っているジョシュアでは俺の方が低い位置にいるから、上目遣いで見上げると、彼は呆れたようにため息を吐いた。

「今日と明日は休んでください……明後日なら良いですよ」
「ありがとう! 楽しみにしてるよ」

 満面の笑みでジョシュアを見送って、俺は明後日に思いを馳せた。
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