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二章
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俺から話しかけなくなってから、ミルトゥ殿との接点はあっけないほどに減った。事務棟ですれ違った時に短く挨拶するくらいだ。彼と出かけることも無くなったから、週末はいつも訓練場でひとり剣を振っている。
あの討伐以前は、今と同じような生活を送っていた。その頃に戻っただけだというのに、こんなにも寂しく思ってしまうのはきっと彼と過ごす楽しさを知ってしまったからなのだろう。
「アスフォデル殿! 今よろしいですか? 合同演習のことで、ご相談が――」
落ち着いた、どこか色気のある声に鼓動が速まる。振り向くといつものように魔術師団の制服に身を包んだミルトゥ殿がすぐ後ろに立っていた。さっきまで灰色だった世界が一気に色付いたように輝いて見える。
彼は書類を手に俺の隣に並んだ。長い髪がサラリと滑り落ちると薬草の青い香りが微かに漂った。
ああ。やっぱり彼の事が好きだ。
宝石のような赤い瞳も、透き通る白い肌に映える艶やかな黒髪も、見た目以上に細い肩も、そのすべてが俺のものになったらどれだけ幸せだろうか。
彼はこんなに魅力的なんだから、彼の事を想っている人は俺以外にもいるだろう。彼の手を取るのは俺じゃない。俺にはその資格すらないのだから。
「……アスフォデル殿?」
「ちょっと待って。今メモするから」
思考を振り払ってペンを取り出す。一人で感傷的になっている場合じゃない。俺が勝手に失恋して、勝手に傷ついているだけだから、彼に迷惑をかけるわけにはいかない。仕事はしっかりやらないと。
第一、俺の気持ちは彼にとって迷惑かもしれない。彼にだって好きな人がいるかもしれない。そうでなくても、何とも思っていない奴からこんなに懸想されても困惑するだけだろう。
手元の資料にメモを取っていると、ミルトゥ殿は俺の手元を見て僅かに目を瞠った。
「アスフォデル殿、そのペン――」
「ああ、これ? 綺麗なペンだよね。気に入ってるんだ」
ミルトゥ殿はペンをじっと眺めていた。どこか愁いを帯びたような、何かを懐かしむようなあの瞳で。彼の愁いを晴らすのは俺でありたかった。でも、きっとこの愁いを晴らしてくれる人が現れる。俺以外の誰かが。
その日の夜、俺はイレールに誘われて夕食を食べにアマリリスへ行った。今回も10人程の集団となり、ワイワイ騒ぎながらの食事となった。俺は店のカウンターの隅でその賑やかな様子を眺めながら酒を飲んでいた。
結局彼と来たことは無かったな。ぼんやりと彼の事を考えていると、イレールが隣に座った。
「どうした、フレデリック。失恋でもしたか?」
「っ! ……そんなに分かりやすかったか?」
「えっ、冗談だったんだが……まじか……」
イレールは俺の反応にぎょっとしたように目を剥いた。
「……忘れてくれ」
「まあそんなこと言うなよ。酷い顔だぞ」
イレールの指が俺の頬を突いた。文句を言おうと口を開きかけて止める。
「……雰囲気悪くしてすまなかった」
「いや、良いんだよ。失恋って辛いもんな。それにフレデリックにとって初恋だろ? 余計辛いよ」
イレールは他の隊員に聞こえないように控えめな声で言った。
「フレデリックが誰かを好きになったなんて、目出度い事なんだがなあ」
「その言い草、俺が他人を好きにならない人間だと思ってたってことか?」
「悪い意味じゃないさ。フレデリックって誰とでも上手くやれそうだからさ、誰か一人に執着するってあんまり想像できなかったんだよ。そういう所が良い意味で貴族らしいっていうか」
長い付き合いなだけあって、イレールは俺の事をよく分かっている。つい数か月前まで、俺も自分をそういう人間だと思っていた。
「で、相手は? なんて言って振られたんだ? 愚痴なら聞くぜ」
「言う訳ないだろ。それに告白はしていない」
「相手は人妻か? それとも婚約者持ちか?」
「……どちらも違う」
「なら告白すれば良いじゃん。お前に告白されて断る奴なんていないだろ」
「別にそんな事ないだろ。大体俺は告白するつもりは無い。どうせ叶わないんだから」
「ひょっとして相手は平民か?」
俺が口を噤んだらイレールはそれを肯定ととったようだった。
「平民か……お前、昔から家の為に結婚するって言ってたもんなあ」
イレールは腕を組んで眉を寄せていたが、俺を一瞥すると机に肘をついてグラスを手にした。
「なあ、愛人って手もあるぜ? 貴族なんてほとんどが政略結婚なんだから、その辺割り切った相手なら――」
「おい」
「これは冗談で言ったわけじゃないぜ? 本当のことだろ」
言葉通り、イレールの目は真剣そのものだった。
「……それでも駄目だ。そもそも俺の片思いだから」
イレールの言う通り、貴族の中には家同士のつながりを得るための婚姻をし、仮面夫婦を続けながらお互いに愛人を持っている夫婦はいる。だがそれだけは絶対に嫌だった。ミルトゥ殿にも結婚相手にも不誠実すぎる。
それに彼の愛を乞う資格があるのは彼だけを大切にできる人だ。そうじゃないと俺も許せない。
あの討伐以前は、今と同じような生活を送っていた。その頃に戻っただけだというのに、こんなにも寂しく思ってしまうのはきっと彼と過ごす楽しさを知ってしまったからなのだろう。
「アスフォデル殿! 今よろしいですか? 合同演習のことで、ご相談が――」
落ち着いた、どこか色気のある声に鼓動が速まる。振り向くといつものように魔術師団の制服に身を包んだミルトゥ殿がすぐ後ろに立っていた。さっきまで灰色だった世界が一気に色付いたように輝いて見える。
彼は書類を手に俺の隣に並んだ。長い髪がサラリと滑り落ちると薬草の青い香りが微かに漂った。
ああ。やっぱり彼の事が好きだ。
宝石のような赤い瞳も、透き通る白い肌に映える艶やかな黒髪も、見た目以上に細い肩も、そのすべてが俺のものになったらどれだけ幸せだろうか。
彼はこんなに魅力的なんだから、彼の事を想っている人は俺以外にもいるだろう。彼の手を取るのは俺じゃない。俺にはその資格すらないのだから。
「……アスフォデル殿?」
「ちょっと待って。今メモするから」
思考を振り払ってペンを取り出す。一人で感傷的になっている場合じゃない。俺が勝手に失恋して、勝手に傷ついているだけだから、彼に迷惑をかけるわけにはいかない。仕事はしっかりやらないと。
第一、俺の気持ちは彼にとって迷惑かもしれない。彼にだって好きな人がいるかもしれない。そうでなくても、何とも思っていない奴からこんなに懸想されても困惑するだけだろう。
手元の資料にメモを取っていると、ミルトゥ殿は俺の手元を見て僅かに目を瞠った。
「アスフォデル殿、そのペン――」
「ああ、これ? 綺麗なペンだよね。気に入ってるんだ」
ミルトゥ殿はペンをじっと眺めていた。どこか愁いを帯びたような、何かを懐かしむようなあの瞳で。彼の愁いを晴らすのは俺でありたかった。でも、きっとこの愁いを晴らしてくれる人が現れる。俺以外の誰かが。
その日の夜、俺はイレールに誘われて夕食を食べにアマリリスへ行った。今回も10人程の集団となり、ワイワイ騒ぎながらの食事となった。俺は店のカウンターの隅でその賑やかな様子を眺めながら酒を飲んでいた。
結局彼と来たことは無かったな。ぼんやりと彼の事を考えていると、イレールが隣に座った。
「どうした、フレデリック。失恋でもしたか?」
「っ! ……そんなに分かりやすかったか?」
「えっ、冗談だったんだが……まじか……」
イレールは俺の反応にぎょっとしたように目を剥いた。
「……忘れてくれ」
「まあそんなこと言うなよ。酷い顔だぞ」
イレールの指が俺の頬を突いた。文句を言おうと口を開きかけて止める。
「……雰囲気悪くしてすまなかった」
「いや、良いんだよ。失恋って辛いもんな。それにフレデリックにとって初恋だろ? 余計辛いよ」
イレールは他の隊員に聞こえないように控えめな声で言った。
「フレデリックが誰かを好きになったなんて、目出度い事なんだがなあ」
「その言い草、俺が他人を好きにならない人間だと思ってたってことか?」
「悪い意味じゃないさ。フレデリックって誰とでも上手くやれそうだからさ、誰か一人に執着するってあんまり想像できなかったんだよ。そういう所が良い意味で貴族らしいっていうか」
長い付き合いなだけあって、イレールは俺の事をよく分かっている。つい数か月前まで、俺も自分をそういう人間だと思っていた。
「で、相手は? なんて言って振られたんだ? 愚痴なら聞くぜ」
「言う訳ないだろ。それに告白はしていない」
「相手は人妻か? それとも婚約者持ちか?」
「……どちらも違う」
「なら告白すれば良いじゃん。お前に告白されて断る奴なんていないだろ」
「別にそんな事ないだろ。大体俺は告白するつもりは無い。どうせ叶わないんだから」
「ひょっとして相手は平民か?」
俺が口を噤んだらイレールはそれを肯定ととったようだった。
「平民か……お前、昔から家の為に結婚するって言ってたもんなあ」
イレールは腕を組んで眉を寄せていたが、俺を一瞥すると机に肘をついてグラスを手にした。
「なあ、愛人って手もあるぜ? 貴族なんてほとんどが政略結婚なんだから、その辺割り切った相手なら――」
「おい」
「これは冗談で言ったわけじゃないぜ? 本当のことだろ」
言葉通り、イレールの目は真剣そのものだった。
「……それでも駄目だ。そもそも俺の片思いだから」
イレールの言う通り、貴族の中には家同士のつながりを得るための婚姻をし、仮面夫婦を続けながらお互いに愛人を持っている夫婦はいる。だがそれだけは絶対に嫌だった。ミルトゥ殿にも結婚相手にも不誠実すぎる。
それに彼の愛を乞う資格があるのは彼だけを大切にできる人だ。そうじゃないと俺も許せない。
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