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恋する乙女
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しおりを挟む「ミヤ、頬肉の赤ワインブレゼが食べたい」
「え゛。ここで私に言わないでくださいよ」
しばらくどこかへ行っていたアランとクリストファーが戻って来るや否や、ブラッドフォードの城下町の自宅にいる時のようにそんなことを宣ったアランにミヤは即座に言葉を返した。
確かにクリストファーを取り戻しに行くときに山ほど食べさせてもらえると言ったけれど、それは王宮の料理人達にであって、美夜自身にではない。
しかも、他国の人間である美夜を自分達の仕事場にいれることを王宮の料理人達は決して快く思わないだろう。毒殺の危険性にさらされているが故に常に緊張感に溢れている王宮の厨房ならなおさら。
しかし、そこで諦めるような物分かりの良い性格をアランは持ち合わせていなかった。
「じゃあ、もうここに用はないね。帰ろう、ミヤ。結局何がしたかったのか分からなかったし」
「えっ!? 兄上っ、もう行かれるのですか!?」
クリストファーに話があると部屋を訪れていたフランシスが、慌てて椅子を倒しかねないほど勢いよく立ち上がった。
「だって、ここではミヤが料理をすることもできないんだろう?」
「いや、別に私、そこまで料理がしたいわけじゃ。っていうか、しなくてもいいなら別にしませんし」
「でも君、前に言ってたじゃないか。料理は実験みたいで楽しいって」
「え? あーまぁ、そうですけど。趣味っていうわけでもないので、できないからって苦痛に感じるほどじゃないですよ」
「僕はミヤの料理が食べられないのは苦痛だ」
その言葉がアランの口から出た瞬間、テーブルの一角で動きがあった。
ゆらりと立ち上がるクリストファーを隣に座るマクシミリアンが必死になって押し止めようとしているが、それでもクリストファーが止まることはない。マクシミリアンの決して細くはない腕はいとも簡単に振り切られた。
そしてそのままアランの背後に立つクリストファー。その目は酷く冷めている。
「……あの、師匠。そう言ってくれるのは作り甲斐があるので嬉しいんですが。とりあえず、クリス、その手を下ろしなさい」
クリストファーは今にも何かしら出してきそうな手をアランの頭に向けていた。
美夜が止めに入ったことで拳を強く握り、一瞬悔し気に唇を噛んだかと思うと、視線をスッと横に逸らした。
「何故、止めるんですか?」
「私と師匠が赤の他人同士でもさすがに背後から術をかけられそうになってたら止めるわ」
「なら今すぐ赤の他人以下になってください!」
「いや、どーしろと」
子供のように要求してくるクリストファーに、美夜は苦笑でもって返した。
ブラッドフォードに戻った時のことを考えると、赤の他人以下にならなければいけないのはむしろマクシミリアンやクリストファーの方だ。
けれど、今そのことを口にするのはまずい。そしてそのことは当然アランも気付いているだろうから、美夜はアランのその思ったこと駄々もれの口という恐ろしい武器が振るわれないかチラチラと横目で見る羽目になるのだ。
そのせいでクリストファーのイラつきがまたさらに増すなんて悪循環にどっぷり嵌ってしまった。
一方のフランシスは兄がブラッドフォードに戻るのを何とか阻止すべく、あの手この手を考えていた。そして、その中でも思いつく限りの最善策を口にした。
「兄上、使っていない離宮にも厨房があります。そこを大至急使えるように用意させますから!」
「食材もね」
「はいっ!」
侍従に伝える時間も惜しいとばかりにフランシスは自ら部屋を出て行ってしまった。
「……いくら弟君とはいえ、王太子殿下を顎で使って」
「顎でなんか使えないよ。使ってるのは口」
「またそんな屁理屈を」
「ミヤ、こんな男に料理を作る必要はありません。そんなに食べたければ自分で作らせればいい」
「こんな男に君を迎えに行く協力をミヤは求めたんだけどね。あと、君の監視も」
「……」
虫けらを見るようなという例えが的を射ているとしか言えない目でクリストファーはアランを見下ろしている。
ちょっと気が小さい者であれば……
「ミ、ミヤぁ……ひっ」
「……はぁ」
マクシミリアンのようにその視線の先が自分ではないと分かっていても身を竦ませてしまうだろう。
それから再びフランシスが戻って来て、用意ができたことを告げられるのがおよそ一時間後。
その間に料理長に頼めば良かったのだろうが、アランは美夜に作らせることにこだわっているようで、その間一言も催促したり空腹を訴えることはしなかった。
何がそこまでアランをこだわせるのか分からないが、フランシスとしては兄がこの場に残ってくれるのであればそんなコト些事だ。気にするまでもない。
そして、さらにメインの頬肉が完成するまで約二時間。
別に用意した料理を片っ端から出していって、お腹をそれなりに膨れさせていたというのに、だ。
「ミヤ、おかわり」
「……貴方、まだ食べるんですか?」
「クリス、大丈夫だから。そう言うと思って、多めに作ってあるの。師匠、お皿ください」
「ん」
「クリスもいる?」
「いります」
こんな時のためにと料理を運ぶ用の小さなワゴンを借りてきていて正解だった。
美夜はアランの皿を受け取り、ついでにクリストファーにも声をかけた。
案の定クリストファーも考える間も置かず、むしろ食い気味に応えた。
「でも、こうしてると貴方達が小さい頃のことを思い出すわね。かなりの偏食ぶりに料理長達も私も困らされたものだったわ」
先にアランの皿におかわりをついで出した後、今度はクリストファーの分をつぎ分けていると、ふと懐かしさがこみ上げてきた。
あれは嫌、これも嫌、それはもっと嫌。
一時期こんなに食べないならちゃんと大きくなれるんだろうかとヤキモキした日々が遠い昔になっている。
それだけ偏食が酷かったのだ。
毎回心をこめて作った料理が残されて帰ってくる料理長達はきっともっとヤキモキしていたに違いない。
「……昔のことでしょう?」
自分の記憶から抹殺したいのか、クリストファーはフィッとあらぬ方を向いてしまった。
そしてその横でマクシミリアンもうんうんと頷いている。
「ミヤってば、いつまでも子ども扱いしないでよ。今では偏食なんてしてないから」
「そのお皿の端のブロッコリーは?」
「うっ。これは……その、あれだよ。後から食べようと思って」
「そう。その割にはフォークが動かないようだけど?」
「……意地悪言わないでよ」
マクシミリアンは皿の端に乗っているブロッコリーをフォークで突き刺し、勢いをつけて口に放り込んだ。
そして顔をしかめ、急いでスープと一緒に流し込んでいく。
もう大の大人だというのに相変わらずのその行動に、一生懸命な本人には悪いが、美夜はほんの少し笑ってしまった。
空いた皿を下げようと美夜が腰を浮かせると、扉の方からノックをする音が聞こえてきた。
どうぞと声をかけると、扉がゆっくりと静かに開かれていく。扉の外でお仕着せを着た侍従が恭しく頭を下げていた。
「失礼いたします。サングリット家のマーガレット様がミヤ様にお会いになりたいと隣室にいらっしゃっております」
「私?」
「はい」
「あー……じゃあ、ちょっと行ってきますね」
そのままにしておいていいからと声をかけ、美夜は部屋へ案内してくれるという侍従について部屋の外へ出た。
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