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序章
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しおりを挟む「リアーヌのようなか弱い乙女を手にかけようとするなど、こんな女、私の婚約者とは認めない! 貴様のような悪逆非道な行いを犯す者は、断頭台行きか火あぶりを命ずる! 私からの最後の慈悲として、どちらか好きな方を選ぶがいい!」
つい先ほどまで私の婚約者だったはずの人が、恐ろしい顔でこちらに向かって叫んでいる。その腕の中に、彼曰く、か弱い乙女である令嬢を抱きこんだまま。
どうでもいいけど、彼がか弱いって断じているそのご令嬢、こちらを見てほくそ笑んでいるんだけど、どこら辺がか弱いんだろう? それとも、私の頭の中に入っているか弱いって言葉の意味が今まで間違っていた? いやいや、そんなはずがない。
いずれにしても、言語院の怠慢だと思うので、すぐさま抜き打ちで視察に入ることをお勧めしたい。
それに、どちらか選べとまで言われてしまったけれど、そんなこと。とっくの昔に決められている。ゆえに、考える時間すら必要としない。
なにせ、私には最期にやらなくてはいけないことが残っていた。だから、断頭台で一瞬で終わらされては、それを完遂するのに支障がでてしまう。
だから――。
「では、火あぶりでお願いできますか?」
――でも、本当は、こんな国、こんな世界。もう一秒たりともいたくない。
教会の養護施設で暮らす孤児ながら、自分以外の未来が見える上に、魔術も多少使えることが明るみになり、侯爵家の養子にと引き取られ。あれよあれよという間に、とうとう王太子の婚約者にまで引き立てられた女。それが私。
やらなくてはいけないことというのも、最後の瞬間まで皆に予言をもたらすことである。もちろん、自ら進んでなわけがなく、あくまでも、国王陛下に命じられたことだから。これに尽きる。
それに、今までずっと、我慢に我慢を重ねてきた。
身分が低い令嬢との恋に落ちて自分の為すべきことを見失い、政務を疎かにするようになった色ボケ王太子にも。
ただ周りをよく見ずに自分の好き勝手に行動する令嬢のことを、天真爛漫な少女だと評する、メガネが曇っているとしか思えないナルシスト宰相子息にも。
貴族令嬢であれば身につけなければいけない礼儀作法を身につけずにいる令嬢を、他の令嬢とは違い自然体でいる珍しい娘だと気に入る筋肉バカな騎士団の花形にも。
よく分からないし、身に覚えのないことで一々私に突っかかってきた、その他諸々以下大勢にも。
正直、我慢の限界だった。
なにより、ここにはもう、あの人がいない。
あの日、一人ぼっちで教会の前で置き去りにされた幼い私に、優しく手を差し伸べてくれたあの人。彼はもう、この世界のどこにもいない。
だったら別に、もうどうなってもいい。
「火あぶりか。いいだろう。すぐに準備を!」
国王陛下と宰相が長期の国外公務に出ていてこの国にいない今、この国の最高決定権は目の前の王太子にある。
その発言は誰に咎められることもなく、すぐさま実行に移された。
傍で見ていたと思しき騎士団の者達に囲まれ、手荒に拘束される。
養父である侯爵も、一言も声を発しない。自分も処刑されるようなことになるのを恐れているのだろう。
数十分前まで侯爵令嬢であり、王太子の婚約者として傅かれていた姿は、もはや微塵も感じられなかった。
連れていかれたのは、罪人を処刑する絞首台がある丘だった。
十字架に磔にされる私の足元に、火をつけるための藁が敷き詰められていく。
「――王太子殿下」
「なんだ。今さら命乞いか?」
「いいえ。そうではありません。私の最後の予言です」
今まで散々利用してきた予言とあって、その正確さについては王太子も知っている。訝し気にしつつも、すぐに傍までやって来た。
「あなたは、じきに国王になられます。……ただ」
「ただ?」
「あなたはその一月後、あなたが最も信頼している者に裏切られ、命を落とすでしょう」
「なっ! なんだと!? 私の周りに、そんなことをする者がいるわけがない!」
激昂した王太子は足早に傍から離れた。そして、火のついた松明を持った兵士に合図を出す。
命令を受けた兵士が僅かに頭を下げ、松明を藁にかざした。乾燥した時期だったことも相まって、火はあっという間に燃え上がっていく。
「見ろ! 悪しき心を持った女に罰が下るぞ!」
また馬鹿なことを大声で。
最期の最期までうんざりさせられるなんて、本当に最悪だ。
――そうだ。他のこと、あの人とのことを考えよう。
今世では余計な邪魔が入って駄目だったけど、来世ではどうだろう? 今よりも、もっともっと頑張れば、ずっと一緒にいられる気がする。
『アナスタシア。誰かに嫌なことをされたら、決して忘れてはいけないよ? 自分がされて嫌なことは、他の人にもしちゃいけない』
『じゃあ、そんな時はどうすればいいの?』
『そんな時は……』
あの人とのことを考えていたら、ふと昔のことを思い出した。
私が教会の養護施設から侯爵家に引き取られるほんの少し前のことだ。
あの時、あの人はなんて言っていたっけ。
……そう、そうだ。
最後の力で国全体を覆うほどの黒雲を起こし、とある映像をその雲に映す。
―――あなたが本当に王太子妃になりたいのなら、まずは王太子以外との恋愛関係を断ち切るべきだわ。
―――どうしてあなたにそんなこと言われなくちゃいけないの? あっ! テオ様! 彼女が私に酷いことをっ!
―――――私があなたのドレスを? 無理よ。だって、その日、私は一日中礼拝堂にいたもの。
―――――そんなの、デタラメでしょう? どうして? 酷い! これがないと、私はキース様と夜会に出られないのにっ!
――――――――
――――――――
その映像は全て、彼女が私に言われたりされたりと、周りにいる者達に言って回ったものの実情だった。
一番最後には、私が火あぶりにされることになった理由ということになっている令嬢の毒殺未遂の件も映し出されていた。もちろん、令嬢の自作自演である。
私の視界の隅に、あの令嬢が王太子の元に駆けてきて、首を必死に横に振る様子が映る。
王太子はというと、全ての映像が流れ終え、再び暗くなった雲をしばし呆然と見つめていた。
その間、令嬢は甲高い声で、あれは違う、やら、作り物よ、と叫びまくっているが、彼の耳に入っている様子はない。
そもそも、本来は父である国王同様賢い彼のこと。
令嬢が訴えることのちぐはぐさに、薄々気付いてはいたんだろう。ただ、彼女を愛していたから、その事実を直視できず、気付かないフリを続けてしまった。
「王太子殿下――キース様」
「……」
身体が炎に飲み込まれる寸前。
今まで決して呼ぶことのなかった彼の名を口にした。
ゆるゆると、彼は緩慢な動きでこちらに顔を向けてくる。
「どうぞ、幸せにおなりくださいませ」
元婚約者であった私からの、なけなしの手向けの言葉である。
ようやく事実と向き合えたらしき王太子の表情が、絶望一色で彩られた。
助け出すにも、もう遅い。遅すぎた。彼にとっては色々と。
今頃きっと、国民も同じものを見ている。
その後どうなるかは、王太子やその他彼らの頑張り次第だ。
でないと、これから彼らは散々な目に幾度となくあう。当然だ。国王自らが王族に囲うことを選んだ者を勝手に処刑した。しかも、無実の罪で。
『いいかい? そんな時は、その相手の忌み嫌うものの二番目をもってして、的確に突けばいい。君はそれが分かる子だからね。でも、一番目はいけないよ?』
『どうして?』
『一番目っていうのは、本当に誰にも触れられたくない部分だからだよ』
王太子と令嬢の二番目は、奇しくも同じで、自国の民に醜態を晒すことだった。
そういえば、あの令嬢は私のことを悪役令嬢って言っていたような。最後の暴露をもって悪役と言われるなら、それはそれでいいかもしれない。
だけど、それ以外で悪役呼ばわりされる謂れは一切ない。
――あぁ、やっと。
記憶の中にある、若干黒いものが見え隠れしていたあの人の笑顔を思い出しながら、そっと瞳を閉じた。
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