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修行は本場の土地で

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 少し歩くと、都槻さんが他とは少し違う造りの扉の前に立った。
 とても重厚そうな両開きの扉で、都槻さんが両手でもって少しずつその扉を開けていく。

 中をのぞくと、不思議な台を真ん中に、その周りに少し離れて椅子いすが円を描くように置かれていた。

 先に中に入った都槻さんがそのうちの一つの椅子を持ってその台へ近づいた。そしてそのままその椅子を置き、私に手招きしてくる。

 タタタッと駆け寄ると、足の長いその椅子に乗せてもらえた。


「さぁ、水鏡を覗き込んで。映像が始まるから」
「これ?」
「そう。ほら、時間は限られているんだから」
「わわっ」


 都槻さんが答える前にいつの間にか後ろに来ていたレオン様に頭を押された。

 水鏡というだけあって、薄い膜みたいに水が張っている台の中身。

 もう少しで顔をつける所だったけど、レオン様もレオン様で一応加減はしてくれたらしい。おかげで顔が水浸みずびたしになることはけられた。


「……このしずんでるやつ、さっきのほん?」
「黙って」
「あい」


 ちょっと思ったことを口にしただけなのに、すかさず千早様から叱責しっせきの声が飛んでくる。
 これ以上余計なことを言うと、あの地味に痛いハリセンが飛んでくるからやめておこう。これで本当に脳細胞が死滅したとしても、千早様はそれはそれでバカが本当にバカになったとしか思ってくれないだろうし。

 しばらく大人しくただ待っていると、水面がぼやけてきた。水面が揺れるのとはまた違ったその感じ。

 徐々じょじょに映像をした時にしっかりと目に入ったのは、一人の赤い長髪の男の人だった。


朱熹しゅき様。人間の世事に介入かいにゅうしたとして、捕縛ほばくめいおきなより出ております。第五課の長として今だ矜持きょうじをお持ちならば、抵抗なくご同行を」


 男の人の周囲を剣ややり、弓矢を持った人達が大勢で取り囲んでいる。

 朱熹様と呼ばれた男の人が、取り囲んでいる人の中でも一番えらいのだろう壮年そうねんの男の人に艶然えんぜん微笑ほほえみかけた。


「矜持を持つべきものが違う。私は第五課の長としてではなく、私個人の能力に矜持を持っている。役職はこの元老院の実力主義の風潮がもたらしただけの副産物に過ぎない」
「……あくまでも、同行する意思はない、と」
愚問ぐもん


 壮年の男の人は一度目を閉じた。
 そして、その次に目を開けた時、先ほどまで目の中にあったまよいや戸惑とまどいといった感情は全てき消えていた。
 
 ただ己の上官から任された任務を遂行すいこうするだけ。良く言えば忠義をくし、少し悪く言えば愚直ぐちょくなまでにそれを遂行した。しようとした。


おろかな」


 朱熹様がそう一言こぼすと、捕縛しようとせまる男の人達の身体を幾筋いくすじもの風がおそいかかった。

 あ、危ないっ!

 これから訪れるだろう惨状さんじょうに、ギュッと目をつむった。

 そして、その判断は正しかった。

 悲鳴が僅かに上がる中、次に目を開けた時には、先ほどまであんなにたくさんいた男の人達は一人残らずどこかへいっていた。

 いや、私でも分かる。
 欠片かけらも残さず切りきざまれてしまったんだ。

 一面に飛び散る血のあとの上に立つ朱熹様。
 その姿はあんなことをしでかした張本人だというのに、どこかさびしそうだ。


「お見事ですね」


 それは皮肉なのか、純粋な感嘆かんたんなのか。

 また別の人物が現れた。
 今も童が……んんっ、若く見える顔だけど、それよりもさらに若く見えるレオン様だ。

 ちなみに言い直すというか、思い直す前にスッと冷たい手が首筋をでた。その次の段階に移られなかったことは本当に助かったと言うべきだろう。


「僕に仕事を押し付けるなんてひどい人だ」
「副官としての職務が長としての職務に変わるだけだ。お前の本質は変わらないだろう」
「貴方も。貴方の本質は変わらなかった」


 そっか。今はレオン様が第五課の長だから、これはその前の出来事なのか。レオン様が今の副官さん達の位にあった時。
 そりゃあ生まれた時からその地位にいたわけじゃないっていうのは理解できるけど、あんまり想像できなかったなぁ。

 二人は足元を気にした様子もなく話を続けていく。


「そんなに気に入りましたか? くだんの人間を」
「あぁ、まぁな」
「ですが、それゆえに己の力を使い、本来帝位につくべきではない人間を帝位につけ、結果、一国に混沌こんとんまねいた。この罪は重い、との翁のお言葉です」
「……己の力を己の思うがままに行使することの何が悪い?」
「悪い悪くないで言えば悪いかもしれません。貴方も知らないわけではないでしょう?」


 レオン様にそう問われて、思い当たる節があるのか朱熹様は僅かに顔をしかめた。


まれに不死とうたわれる存在にも死が訪れる。それは自らの力を天の意にそむいて使った場合。……どうやら今回がそれに当たるようです」
「……」


 レオン様の言葉が合図になったかのように、朱熹様の身体が足元からサァッとはいになっていく。
 けれど、覚悟していたのか、朱熹様は決して狼狽うろたえたりしなかった。それどころか、冷えた瞳をレオン様に向けている。


「レオン。お前もいずれ私のようになる」


 レオン様は婉曲えんきょくに死の予告をされたにも関わらず、余裕綽々しゃくしゃくとしている。自分はそうならないと、言葉はなく態度で語っていた。


「己が力を使うことの何が悪いのか」


 全てが灰となって消える寸前、朱熹様は誰にともなく問いかける形で言葉を残した。


「使うことが悪いんじゃなく、使った相手が悪いんだよ。じ曲げてしまったものを戻すのは、いくら神といえど骨が折れるんだから」


 レオン様はしばらくその場に立ち、彼の間で何かしらの区切りがついたのか、振り返ることなくその場を去った。

 そして、始まった時と同じようにだんだん背景がだんだんぼやけてきて、終いにはただの水鏡に戻ってしまった。

 ……なんだかなぁ。
 なんとも言えない気持ちが胸やお腹をぐるぐると回っている感じがする。

 難しいことはまったくだけど、これを見るに誰も幸せになってないのは確かだ。

 朱熹様も、目をかけた人に幸せになって欲しかっただけだと思う。だって、本当に自分の力を使いたいだけだったら、介入したと言われなくて済むよう人外さんに使っちゃえばいいだけだもの。

 レオン様が何を考えていたのかはいまいち分からない。でも、いつものレオン様だったら、あそこで立ち止まってたりしない、と思う。さっさと歩いていっちゃうよ。いや、まだ数日そこらしか経ってない関係だけど。


「さぁ、次いくよ」
「えっ、えっ?」
「時間ないんだから」


 ここはもうちょっと感傷かんしょうひたるところじゃないの!?

 ちょ、早いっ。

 レオン様が水鏡の中に手を入れ、沈んでいた本を取り出すと、もう一冊の方と取りかえた。
 すると、すぐに同じように映像がぼやけて始まってしまう。
 おかげで息つく暇もなく、私は再び顔を水鏡に向けた。

 今度は燃え盛る炎の中だった。そこへ一人の人影が写った。

 あっ。あれ、奏様だ。

 いつもはゆるく結わえているか下ろされている長い黒髪が高い位置で結わえられ、風になびいている。

 厳しい顔で何かを、誰かを探しているのか、しきりに周囲を見回している。


伊澄いすみ様!」


 目当ての人物を見つけた奏様は、たたみの上に倒れこむ女の人の傍に駆け寄った。


「……星鈴しんりん様。あぁ、良かった。この子を、この子をお願いします」
「はい。こちらへ。さぁ、立って。ここから脱出だっしゅつしましょう。今、門を開けますから」


 自分の腕の中で必死に囲い込んでいた少女を預けた女の人は僅かに微笑み、首を左右に振った。
 それに対して奏様はまゆひそめた。


「私はここに残ります。焼け跡から私の死体が見つからなければあやしまれるでしょう」
「死体などっ! 私がいくらでも調達します!」
「いいえ。これはきっと天命なのです」


 そう言って女の人は胸に手を当てる。


「私の力はその子を産んでから徐々におとろえていった。にもかかわらず、私は自分の力を、治癒ちゆの力を使うことを止めなかった。人である身で、それはおごりだったのでしょう。自分の力が誰かを救えると」
「……確かに驕りかもしれません。しかし、残されるこの子や私の主が、彼女らがどういう気持ちになるかお分かりか?」
「……」


 奏様の腕の中で眠る少女のほおにかかった一房ひとふさの髪を、女の人がそっとはらいのけた。その顔は慈愛じあいのものだ。

 私も知ってる。お母さんが、心配そうにしつつ私に向けてくれるもの。

 母の顔だ。


「この子さえ、無事でいてくれるなら」
「……それこそ傲慢ごうまんだ」


  奏様の声音がよりかたく厳しいものに変わる。


「ごめんなさい」


 女の人は目をせ、頭を下げた。

 今までは比較的火の回りが遅かったこの辺りにも、パチパチと火の粉がぜる音がしてきた。

 時間はもうない。


「……みお。愛しているわ」


 奏様が片手に少女を抱き直し、もう片方の手を伸ばす。

 あの赤い大きな門が現れた。ギギギッと開いていく音が響く。


「……」


 最後に一瞥いちべつを向けた奏様はそのまま身をひるがえし、門をくぐった。

 門が閉まる最後の瞬間、ガラガラと何かがくずれていく音がした。


のこす者は、遺される者の感情も考えるべきだ」


 どんな夢を見ているのか、少女が流す涙を奏様が拭った所で映像は終わった。
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