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雨降って地固まる
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しおりを挟む「ねぇ、夏生さん」
夏生さん達の方へ視線を向けると、西の空の柱がちょうど視界に入る。
ただ、目を引く異質のものはその柱だけじゃなかった。その西の空から、それは鳥のように翼を羽ばたかせて飛んでくるのではなく、文字通り、自在に操る四本足を動かして空を駆けてくる。
「……疾風っ!」
最初、点のように小さかった姿がすぐに大きくなり、それの正体が見知った存在のものだと知れた時には、その名が口をついて出ていた。
いつもの可愛い小虎サイズではなく、前に西のお屋敷で見たことがある、天井にまで届きそうな程の姿に戻っている。
その巨体をそう広くはない道路の幅に収め、すっと背を屈めてきた。まるで、さぁ乗れと言わんばかりの仕草だ。
ついさっきまではこの道を通る一般人もいたけれど、近くにいた東のおじさん達が上手く説明や誘導をしているおかげで混乱が起きることはない。ただ、あまり長くこうしているわけにもいかないだろう。
どうしたものかと夏生さん達の方を振り向くと、焦れたのか、脚で掬い上げられるようにして背に乗せられてしまった。そのまま、夏生さん達が口を出す暇もなく、疾風は再び上空へと駆け上っていく。そのままひとっ飛びもすれば、東のお屋敷からだいぶ離れたところまであっという間だった。
半ば無理やりに近い形で連れ出されたものの、空中散歩もそう悪いものではない。もちろん、疾風が空気抵抗をなくしてくれて、息ができないということがない前提ではあるけれど。だから、こんな時だとはいえ、ちょっと楽しい気もする。
ただ、そうまでして速度を緩めず向かう先。こっちは気にしておきたいところ。
「どこ行くの?」
そう聞いてはみたけど、人語を解する素振りを見せる疾風だが、人語を話すことができるとは聞いていない。分かってはいるけど、つい口から出ちゃったというやつだ。
方向からして行ったことがある場所ではなさそうで、まったく見当がつかない。
徐々に近づいてくる光の柱のうちの一本――西側の光の柱がもうすぐ目の前に迫った時、ようやく疾風が巨体に似合わず軽やかな音で地上へと着地した。
こうして近くで見ると、この柱がいかに異様な造りなのかがよく分かる。
神社の中でも大社と呼ばれる社の本殿の柱のような太さで、それが一本なのかと思っていたけれど、実際には一つ一つの光の玉が寄せ集まってできたものだった。
まだ陽が高いうちからまるで光のオブジェのような様をこれでもかと見せつけているのに、陽が落ちて暗闇に映える様、あるいは夕陽に溶け込む様は息を呑むほど美しい光景に違いない。
こんな状況じゃなきゃ、もらったデジカメで撮って残したかったなぁ。
思わず上を見上げて呆けていると、疾風が低く喉を鳴らした。それまで僅かとはいえあった隙間すら埋めるように、私の体にそのしなやかな体躯をすり寄せる。
小さい姿の時は時折こうして構ってほしくて甘えてくることもあるけど、どうやら今は違うらしい。喉を鳴らしたのも、クルクルという甘え声ではなく、大型猫科動物が本気の警戒を見せる時に出すようなものだった。
明らかに何かを警戒している。けれど、それが何に対してなのかが分からない。
「疾風、どうしたの?」
手を伸ばし、滑らかな艶のある毛を何度も撫でまわしてみる。
それでも疾風の様子が落ち着くことはなく、それどころか、尾を地面に打ち付け始めた。
疾風が一緒だから、不安はない。心配もない。ただ、何が起きてるかが分からない。それだけが嫌だ。
これが見慣れた東の市中なら、いつもと違うことがあれば気づいたかもしれない。でも、ここは馴染みの薄い西の市中。同じ都とはいえ、東と西じゃ対極にあり、訪れたのもあの時の一度きり。
だから、反応が遅れた。
最初に気づいたのは臭いだった。硫黄と何かが混ざったような腐乱臭が鼻の奥をつんと突き抜けるように襲ってくる。
鼻のきく疾風のことだ。たぶん、もっと離れた位置からでも嗅ぎ取っていたからこその今までの反応だったんだろう。
そして、これと同じ臭いを一度だけ嗅いだことがある気がする。
それがどこだったか記憶の引き出しを漁っていると、その答えをくれる存在が自らの足を使ってやってきた。
「……」
歩くための足の筋肉はまだ機能しているのか、それとも何かに操られて無理やり動かされているだけなのか、骨に僅かばかりの肉がついただけの人間だったモノが列をなしてこちらへ向かって歩いてきている。
元の世界では火葬が一般的で、確か、土葬は禁止されていないものの特別に許可がいる埋葬の仕方だったはず。
ただ、こちらでは土葬もまだごく一般的で、さすがに都の中心地では行われないけど、西の郊外では埋葬地が点在していると聞いたことがある。例の病院の件も、病院の立地的に無縁仏の埋葬地からほど近いからこそ長い間行えたことだとか。
疾風の方をちらりと見上げると、疾風も警戒心は緩めないまま私の方を見下ろしてきた。その黒曜の瞳は何かを訴えかけているようだった。
――あぁ、そっか。
この瞬間、疾風が私を連れてきた理由がなんとなく分かった。
「あとで、一緒にごめんなさいしてね?」
すると、疾風が一声、威嚇のそれではない声を周囲に轟かせた。
よしよし、言質もとったし……とれたということにして、ここで上手くできれば、ちゃんと修行の成果が出たってことだよね? 皆から褒めてもらえるかも。薫くんや千早様とだって、一か月後までに力をコントロールできるようになるって約束してたし。
……うん、頑張れ!私!
深呼吸を数回して、すっと目を閉じ、意識を高めていく。
「力の量と範囲をイメージして……」
よしっ、いける!という感覚を掴んだ瞬間、再び目を開き、両手の掌をすっと前に掲げた。水の波紋が広がるように、宙にさぁっと幕が張られていく。
死者の国があるという西方からのお客様が禁域に侵入することがないよう、高さも幅も申し分なく厳重に張った結界は、我ながら過去最高の出来だった。
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