296 / 314
花ぞ昔の香に匂ひける
7
しおりを挟む◇ ◇ ◇ ◇
「おい、分かってるな?」
さる御方の目を盗み、夏生さんに耳元で囁かれる。
「ひゅぅぅぅっ。……あ、あい」
「涎垂らしながら返事されてもなぁ」
綾芽が私の口元にハンカチを押し当てようとすると、反対隣にいた櫻宮様がそのハンカチを引ったくった。そして、代わりにゴシゴシと拭ってくれる。
兄弟の見事な連携プレーだね!なんて言ってる余裕、今の私にはない。
だって、目の前にとびきり美味しそうな料理がのった皿が所狭しと並べられているのだ。しかも、どこから聞きつけたのか、私の好物が端から端まで。これで涎を垂らすなと言う方が土台無理なお話というものでしょう?
それでも、ちゃんと返事はしたのに、食べ物に関することではいつもながらに私の信用度は地に落ちる。海斗さん曰く、「ゼロ? 馬鹿言え。ゼロの底を突き破ってマイナスだ、マイナス」なんだとか。
普段は味方であるはずの劉さんも、私の背後に回り、私の手を後ろに回してそのままキュッと握ってきた。確かに、こうしていれば、無意識のうちに手が料理に伸びて、皆が止める間もなく口にいれるということもない。
もはや、私にとって拷問に等しい。
こんな半ば泣きたくなってくる羽目になるまで、遡る事、数十分。
朝一で例の島に向けて出港した私達は、昼前には無事到着することができた。天気も良く、途中で波が荒れることもなく、順調そのものだった。
ただ、今まで長時間の船旅はもちろんのこと、船に乗ってどこかに行った試しがなかったから、船酔いしたらヤダなぁーって思っておにぎりだけ食べてたら、やっぱりですよ。船を降りた瞬間、止まらぬお腹の虫の大合唱。もう、虫だけに一匹では無視されると仲間を集めて数で訴えてきた。
「かおるおにーちゃまぁー、おなかすいたぁ」
「お腹空いたなんて今言われたって……すぐ食べられるような物はもうないし。携帯用コンロで簡単に作るから、ちょっと待ってて」
「なるはやでね? すぐよんでね? ……あっ」
「なに?」
「おなかとせなかがくっつきそう」
「よし、だいぶ待たせても大丈夫そうだね」
「うそうそ! いや、うそじゃないけど、うそなの! ちがうのっ!」
「あーはいはい、分かったから」
船から降ろした荷物のうち調理器具が入ったものを漁りつつ、薫くんは他にも何人か来ている調理人のお兄さん達と話し込んでしまった。
荷物の整理を手伝ったらもっと早く作ってくれるかなって思ったけど、邪魔だから目の届く範囲で遊んでなさい、だって。ちょっと悲しみ。
仕方ないから、櫻宮様と一緒にそこら辺を見て回ることにした。相変わらずお腹の虫は煩いけど、ないものはないんだし、諦めと我慢を覚えてもらわなきゃ。
さらさらとした砂浜に足跡をつけて遊びながら、底まで見える透明度の高い海へと目をやる。足を止め、どこまでも続く青を眺めていると、自然と溜息が出た。
「うみってほんとにきれいだねぇ」
「他に海を見たことは?」
「うみはない、かな。みずうみとかはあるけど」
「ふーん。もう少し暖かくなったら泳げるから、また一緒に来ましょうね」
「うん! あ、すいかわり! すいかわりやりたい!」
それか、潮干狩りでも可!っと言おうとして櫻宮様の方へ顔を向けると、さっきまで乗っていた船をつけている桟橋に、いつの間にか女の人が立っているのが見えた。すごくヒラヒラした服を着てて、まるでほら、天女様が着ているような、奈良時代とかその辺りの女の人が着ているようなやつ。
その女の人が私達の傍までスススッと滑らかに寄ってきた。桟橋は木でできているから足音が響くはずなのに、その女の人の足音は全くしない。
「……えぇっと、しつれいかもしれなくて、さきにあやまります。ごめんなさい。それであの、いきて、いらっしゃる?」
「主様がお待ちです。共に参られませ」
「はい、か、うなずくか、ってこたえがほしかった。……あるじさまって?」
「さぁ、お早く」
「あっ、ちょっと!」
ぐいぐいと手を引っ張られ、空いた片手が咄嗟に掴んだのは隣にいた櫻宮様の服だった。皆からそう離れていなかったことが幸いしたのか、綾芽達もすぐに駆け寄ってきてくれた。
そして、櫻宮様の腕やら腰やらを帝様と綾芽が掴み、帝様のもう片方の手を橘さんが、そして橘さんの手を夏生さんが……という風にあれよあれよと繋がっていき。
「あら? 予定よりも」
「多くはない!」
「主様とやらも、招待客が多い方が楽しんでいただけるのでは?」
「……なるほど。では、全員お連れいたしましょう」
結局、その近辺にいた皆が一緒くたに巻き込まれた。
そして、今に至るわけですが。
「いやぁ、この間は本当に助かったよ。まさか数百年ぶりに会いに行った友神があんなことになってるなんて思わなくって」
「……」
迎えにきてくれた女の人が主と呼んでいたのは、温泉郷の事件の時、友神のためにと私達に頼みにきたあの少年の姿をした神様だった。
その神様から豪華なもてなしを受け、皆も少し居心地が悪そうにしている。
「でも驚いたよ。今度はここまでやって来るなんて」
「……」
「あれ? 食べないの?」
「たべ、るぅわぁない」
「え? なんて? ……あ、そっか。あれがないね」
神様はそう言って席を立ち、どこかへ行ってしまった。
姿が完全に見えなくなると、海斗さんが深くて大きな溜息をついた。
「美味そうなのに食えないって、ほんと辛ぇな」
「みぎにおなじく。……めしてろ。そうよぶのですらなまぬるい。このあと、のこったりょうりはすたっふのみなでおいしくいただきましたのすたっふ、そういうものにわたしはなりたい」
熱心に勧誘してくれている奏様には悪いけど、私の将来の夢が現在進行形で揺らいでる。まぁ、そんな夢のような職業は実際にはないだろうから、夢は夢に過ぎないのがまた悲しいところ。
さらなる現実逃避に、海斗さんと一緒になって斜め上の遠くを見つめた。こうでもしないと目に毒だ。だって、何度も言うけれど、並べられた料理はどれもこれも美味しそうな、というか美味しいに決まっているものばかり。
だというのに、大皿から誰も料理を取り分けようとしない。
分かっているからだ。皆、このような場で出される食べ物の危うさを。
「帰ったら完全に再現は無理だけど、作ってあげるから我慢しな」
「がんば、る……うん、がんばる」
すると、綾芽が一皿持ち上げ、すぃーっと私の目の前を横切らせる。もちろん、私の目もそれを追った。
「あかん。劉、手ぇ離したらあかんよ。でないと食べるわ、この子」
「なっ! いぎあり! いまのはゆうどうじんもんだったとしゅちょうするっ!」
「尋問って、えらい言われようやなぁ。テストしてみただけですー」
「もっかい! もっかいテストして!」
「あかんあかん。こういうんは抜き打ちやから意味があるんや」
「なちゅきさん! あやめが!」
「だぁーっ! もう! うるせぇぞ、おめぇら! 綾芽! こんな時までチビで遊ぶな!」
「そうだそうだ! あそぶ……な……えっ?」
こんな時なのに遊ばれてた?って疑問は、戻ってきた神様が持ってきたモノによって霧散した。
「ごめんごめん。お待たせ。はい、これもお食べ」
「これは?」
「あぁ、橘の実だよ」
「……へ、へぇ」
戻ってきた神様が手に持っているのは笊。その上に芳しい匂いをさせた小さな橙色の実が丁度人数分。しかも、橘の実ときた。
――海の向こう、少年の姿をした神様、橘の実。
ここがどこなのか、ようやく分かった気がする。
神様に日々奉仕する神職の家系か、そうでなくとも多少神道の知識がある人ならピンと来るかもしれない。現に、私以外の皆も気づいたみたい。
「……非時香菓」
私と同じ神職の家出身の巳鶴さんが、橘の実に関する別の呼ばれ方を口にする。
その昔、とある人物が常世の国まで行き、求めたという不老長寿の実。それが橘の実だと言われているのだ。もちろん、普通の橘の実もあまり食用には向いてないけどあるわけで、そっちならばいいけれど、差し出してくる相手が相手だ。
その相手――目の前でニコニコと笑う少年の姿をした神様も、その昔、常世の国に渡った、医薬や穀物、酒や禁厭その他諸々と様々な神徳を持つ神様──少彦名命。
ということはつまり、この実が不老長寿の実である可能性がある以上、まかり間違っても、この料理の中で一番手を出しちゃいけないやつということになる。
「なぁんだ、バレちゃったか」
神話に書かれていることに違わず、悪戯っ子の神様はニヤリと笑い、その笊を引っ込めた。
0
お気に入りに追加
822
あなたにおすすめの小説
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます
綾月百花
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。
旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハー異世界ラブコメ〜
ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉
転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!?
のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました……
イケメン山盛りの逆ハーです
前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります
小説家になろう、カクヨムに転載しています
愛されない皇妃~最強の母になります!~
椿蛍
ファンタジー
愛されない皇妃『ユリアナ』
やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。
夫も子どもも――そして、皇妃の地位。
最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。
けれど、そこからが問題だ。
皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。
そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど……
皇帝一家を倒した大魔女。
大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!?
※表紙は作成者様からお借りしてます。
※他サイト様に掲載しております。
俺を追い出した元パーティメンバーが速攻で全滅したんですけど、これは魔王の仕業ですか?
ほーとどっぐ
ファンタジー
王国最強のS級冒険者パーティに所属していたユウマ・カザキリ。しかし、弓使いの彼は他のパーティメンバーのような強力な攻撃スキルは持っていなかった。罠の解除といったアイテムで代用可能な地味スキルばかりの彼は、ついに戦力外通告を受けて追い出されてしまう。
が、彼を追い出したせいでパーティはたった1日で全滅してしまったのだった。
元とはいえパーティメンバーの強さをよく知っているユウマは、迷宮内で魔王が復活したのではと勘違いしてしまう。幸か不幸か。なんと封印された魔王も時を同じくして復活してしまい、話はどんどんと拗れていく。
「やはり、魔王の仕業だったのか!」
「いや、身に覚えがないんだが?」
ひねくれ師匠と偽りの恋人
紗雪ロカ@失格聖女コミカライズ
恋愛
「お前、これから異性の体液を摂取し続けなければ死ぬぞ」
異世界に落とされた少女ニチカは『魔女』と名乗る男の言葉に絶望する。
体液。つまり涙、唾液、血液、もしくは――いや、キスでお願いします。
そんなこんなで元の世界に戻るため、彼と契約を結び手がかりを求め旅に出ることにする。だが、この師匠と言うのが俺様というか傲慢というかドSと言うか…今日も振り回されっぱなしです。
ツッコミ系女子高生と、ひねくれ師匠のじれじれラブファンタジー
基本ラブコメですが背後に注意だったりシリアスだったりします。ご注意ください
イラスト:八色いんこ様
この話は小説家になろうさん、カクヨムさんにも投稿しています。
貴方の隣で私は異世界を謳歌する
紅子
ファンタジー
あれ?わたし、こんなに小さかった?ここどこ?わたしは誰?
あああああ、どうやらわたしはトラックに跳ねられて異世界に来てしまったみたい。なんて、テンプレ。なんで森の中なのよ。せめて、街の近くに送ってよ!こんな幼女じゃ、すぐ死んじゃうよ。言わんこっちゃない。
わたし、どうなるの?
不定期更新 00:00に更新します。
R15は、念のため。
自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)
異世界でのんびり暮らしてみることにしました
松石 愛弓
ファンタジー
アラサーの社畜OL 湊 瑠香(みなと るか)は、過労で倒れている時に、露店で買った怪しげな花に導かれ異世界に。忙しく辛かった過去を忘れ、異世界でのんびり楽しく暮らしてみることに。優しい人々や可愛い生物との出会い、不思議な植物、コメディ風に突っ込んだり突っ込まれたり。徐々にコメディ路線になっていく予定です。お話の展開など納得のいかないところがあるかもしれませんが、書くことが未熟者の作者ゆえ見逃していただけると助かります。他サイトにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる