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在りし日を思ふ
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青龍社の門前で皇彼方達と対峙してから一時間後。
仮御所とされている南のお屋敷へと第一報が届けられるや、即座に城下四部隊のうち幹部職にある人達が集められた。
本来なら私は東のお屋敷でお留守番だけれど、今回はあの場にいた。だから、特例として一緒に連れてこられ、巳鶴さんの膝の上で大人しく座らせられている。
そして、つい先程、夏生さんからの報告を帝様や橘さんと共に聞き終えたところだ。
帝様が口を開いたのは、呼吸を五つ分ほどたっぷりとし終えた後のことだった。
「……なるほど?」
酷く冷えた帝様の声。固く、厳しく、まさしく為政者のソレである。
でも、無理もない。自分の命ばかりか、綾芽の――半分とはいえ血の繋がった弟の命も狙われているんだから。それも、本来なら自分に忠実であるべき重臣の謀略で。
皇彼方の話では、その重臣は帝様が行う政を補佐する役目を担っている血筋の一つ、あの狩野家の現当主だということだった。
現当主は七十をすぎたお爺さんで、綾芽の元婚約者――瀬里さんの祖父にあたるらしい。その性格は絵に描いたような政治家そのもの。良く言えば、ただひたすらに自分の欲に正直、悪く言えば、周りを全く顧みず自分の利権だけを主張する輩。悪い政治家の例にぴたりと当てはまるような御仁であるそうな。しかも、タチの悪いことに、政治家人生が周囲と比較してもずば抜けて長い。だからこそ、その人に意見できる者が酷く限られているのだそう。
そのお爺さんが蘇らせたがっているのが、帝様と綾芽のお父さん。
――つまり、先代の帝様。
けれど、かつての主君に再び仕えたいという見上げた忠誠心からではない。
当代と先代、比べてどちらが狩野家に利があるか。禁忌を犯してでもやる価値があるか。それらを合算しての計画だというのだから、やっぱりどこまでいっても悪徳政治家だ。
さらに恐ろしいことに、一度成功すれば二度目以降も同じこと。どうせやるならと、蘇らせた先代の帝様を自分達の傀儡にすべく、先代の帝様が唯一欲するだろう存在――綾芽のお母さんをも蘇らせるつもりなのだという。
そしてあろうことか、先代の帝様の魂の器として綾芽か帝様、綾芽のお母さんの魂の器には孫娘である瀬里さんを選んだ。何を考えているのか分からないけど、これは瀬里さん自身も納得と承知の上らしい。
横に控える橘さんも冷静であろうと努めているようだけれど、いつも以上に引き結ばれている唇が彼の内心を如実に表していた。
「雅」
名を呼ばれ、ふいっと顔を向けると、帝様が私に向かって手招きをしている。来い来いと言われるならばと、巳鶴さんの膝の上から立ち上がりかけ……二の足を踏んだ。重力には逆らえず、そのまま腰が元の位置にすとんと収まった。
「どうしました?」
「……」
巳鶴さんの問いには応えず、すぐ傍に座っている綾芽の方をちらりと見上げる。
――えらんでないっ! わたし、えらんでないよっ! それなら……っ。
カミーユ様は要件は全て伝え終えたとばかりに逃亡した皇彼方を追いかけ、どこかへ行ってしまってもういない。葵様達も本来長く元老院を離れられないらしく、挨拶もそこそこに帰ってしまった。
だから、この場にいる人の中で、あの時、あの場にいたのは綾芽だけ。
綾芽は最初、私が帝様を選んだと思って、間違ってないと言った。さすが東の一員だって。自分が面倒見てるだけあるって。
でも、本当はそうじゃなかったとしたら?
――それなら私は綾芽を選ぶ。
聡い綾芽なら、私があの時言いかけた言葉の続きが分かったかもしれない。途中で言うのをやめたとはいえ、無我夢中で考えが至っていなかったとはいえ、二人のうちどちらかを選びそうになったあの時の言葉の続きが。
結局、私は二人どちらも失わない未来を選ぶと宣言した。
けれど、一瞬とはいえ、帝様の死を望んでしまったようなものだ。そんな自分が、当の本人にいつものように可愛がられていいとは思えない。
こちらを見返してくる綾芽からも視線を外し、じっと畳を見つめる。
すると、急に身体が宙に持ち上げられた。
「……?」
私を抱き上げたのは、帝様の横に座っていたはずの橘さんだった。
「お腹が空いているんでしょう。子供が我慢はいけませんよ。他の皆さんはまだお話がありますから、他の部屋で私と話でもしながら食事にしましょうか」
「え? おなかなんて……」
ふが、っと間抜けな声が出た。橘さんに手で口を塞がれたのだ。
橘さんが襖をあけて部屋を出て行こうとすると、桐生さんと薫くんが膝を立てて立ち上がる。いや、立ち上がりかけた。
「あぁ、桐生さん達は大丈夫ですよ。少し厨房をお借りしますね」
「ん? あ、あぁ」
橘さんの行動は彼にしてはらしくなく、ちょっと強引だけど、ありがたい。
「では、少しの間、席を外しますね」
「あぁ。雅、橘の作るものも美味だぞ。期待して待っているといい」
「……あい」
帝様は普段の私らしからぬ行動にも関わらず、普段通りに接してくる。
たとえ為政者として厳格な部分もあるのだとしても、私にはいつも優しい。そう、いつだって、どんな時だって。私は笑顔を向けてくる帝様しか知らない。
そんな帝様だからこそ、自分の一瞬の気の迷いが許せそうにない。
綾芽から向けられ続けるいつもと変わらないはずの視線が、今だけは少し、いや、酷く怖かった。
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