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在りし日を思ふ
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眉間の辺りをぐりぐりと押し潰されている感じがする。
やめて、やめてよ、と、手で払いのけようとすると、思いのほか勢いがついていたらしい。バチンと鈍い音が聞こえてきた。
「いって!」
目を開けると、隣に腰を下ろした海斗さんが頬をすりすりと擦っている。それと同時に、私の手もなんだかジンジンしてきた。
……ちょっと、ちょっと。またおのれか、海斗さん。自業自得なのに、私まで痛いなんて、もぉー最悪だよ。
私が目を狭めてジトっと睨めつけると、海斗さんも負けじと眉を顰めてきた。
「ちょい待ち。今回は俺じゃないからな?」
「んぁ?」
海斗さんが私の頭の方を顎でしゃくる。
顔を上に反らして後ろを見ると、片眼鏡をかけたお兄さんがしゃがんでいた。お兄さんはニコニコ笑いながら、私に向かってひらひらと手を振ってくる。
「……」
なるべくそちらを向いたまま、ゆっくりと身体を起こし。それからバタバタと慌ただしく海斗さんの背後に回った。
部屋の中を見渡すと、部屋にいるのは海斗さんと私、それから片眼鏡のお兄さんに、まだ寝たままの櫻宮様の四人だけ。あと、疾風。
疾風も私が起きるのと同時に目を覚ましたみたいで、すりすりと身体を寄せてきた。
アノ人? どこか行ってる。こんな時に頼りにならな……い、って違う違う。そもそも頼りになんかしていない。
「おぉ? なんだ? 人見知りするなんて珍しいな」
「そんなに警戒しなくても、取って喰いやしないよ?」
そうは言うけれど、これはもう根本的というか本能的なものだと思う。
お兄さん――元老院第三課の課長であるカミーユ様が纏う雰囲気というかお持ちの力に、私の本能が毎度のように“彼は危険だ”と全身に訴えかけてくる。
彼を分かりやすく何かに例えるなら、お腹を空かせていないときの肉食獣が近いだろう。空腹でさえなければ、肉食獣達は狩りの時の姿が嘘のように鷹揚に構えている。けれど、ひとたびそういう場面になれば、時に残酷なほど狩りの相手に夢中になるものだ。
適応能力が半端ないと太鼓判を押される私も、さすがに全力で恐怖心を煽られる相手を前にしちゃ、その適応能力も形無しだ。
これが同じ三課でも、コリン様だったら大丈夫だった。いや、前に美味しいお菓子をくれたからとか、そういう理由じゃない。まぁ、確かに美味しくて好感度上昇待ったなしだったけども。そうじゃない。そういうことじゃない。
奏様も、前に無視していいって言ってたけど、こんな存在感ありありの人はそう簡単に無視できるものでないし。
……よし、賢い手を使おう。秘儀、“いったん横においといて”! あわよくば、その間にカミーユ様の方からどこかへ行ってくれること希望!
なんとも他力本願というか、事を荒立てたくない日本人らしいというか。
まぁ、とりあえず、実行あるのみ! です!
さりげなく、かつそこそこ気にもなっていることを聞くべく、海斗さんの服を引っ張った。
「ねえねえ、あやめは?」
「綾芽なら、夏生さんと巳鶴さんの三人で南の屋敷に行って、合同会議に出てる。他の奴らは俺と一緒に一旦寝に帰ってきた」
「かいとは? でなくていいの?」
海斗さんだって、立場的には綾芽と同じなんだし、出なきゃいけなきゃいけないような気がするのは私だけ?
邪魔はしないから。部屋の隅っこで疾風と丸まっておくから。私も連れて行ってほしいなーなんて。
けれど、どうやらその願いは叶わなさそうだ。
「夏生さんから、俺と他の奴らは先に戻って寝るか身体休めるかしとけってお達しがあったんだよ。あ゛ぁー、夜中じゅう駆けずり回らされたせいで、つっかれたぁー」
「んん? ……んぎゃっ!」
海斗さんに腕を掴まれ、前に引っ張りこまれた。そのまま後ろから脇腹をがっしりと掴まれ、膝の上に引き降ろされる。しまいには、海斗さんの顎が私の肩に置かれ、おまけに目も瞑っているではないですか。
むぅ。海斗さんてば、なんだかこのまま寝てしまいそう。
さぼってここにいるというならそこら辺に転がしておいていいかもしれないけれど、この様子じゃ本当にしっかりきっちり働いてきたみたいだし。
いくら暖房が入っていて、子供体温の私を抱っこしているとはいえ、寒くはなくても疲れは取れないよ?
この姿だと、海斗さんの部屋まで引っ張っていくのも大変だ。
ここはやっぱり、布団や布団、お前が来いってヤツかな?
……とまぁ、冗談はさておいて。
問題は、この寄りかかられている身体をどうすべきか、だね。まだ完全に寝落ちる前だから、そのまま待っててもらうように言い聞かせれば大丈夫かなぁ。
いやぁ、それにしても、海斗さんのお世話をしているだけで、目の前で薄ら笑いを浮かべているカミーユ様の視線を気にしなくてもすむ。これ大事。すごく大事。
「かいとぉー。おふとんもってくるから、こたつにあごのせてまっててー」
「んぁー、布団はいらねぇよ。炬燵布団とお前で十分」
「えぇ? こたつにはいってねたらだめなんだよ? おじいちゃんがいってた」
「いや、入らねぇから大丈夫」
「え?」
海斗さんはそのまま私を抱きかかえ、炬燵布団をめくった。
あぁ、あぁ。だから入って寝たらダメだって言ってるのに。やっぱり入ってるじゃん。
……と、思いきや。まさかの行動に出始めた。
炬燵に足をいれるのではなく、逆に炬燵布団を引っ張っていく。その部分だけ広くした後、それを掛け布団代わりにして、炬燵と並行になるように寝転んだ。
確かに、これだと直接炬燵の温かい部分に足を入れているわけではないから、炬燵に入っているとは厳密には言えない……のかなぁ?
でもこれ、他に炬燵に入っている人がいたら、その人が寒くなって確実に戦争引き起こすやつだよね。今はいないからいいのかもしれないけど。
「おやおや。彼が眠ってしまうなら、私達は何をして時間を潰そうか。私もここを監視……もとい君達の護衛をするように言われてきているから、何かない時は退屈なんだよねぇ」
そう言って、カミーユ様は目の笑わない顔で笑った。
今はまだ朝方も早いうち。櫻宮様の中にある珠に力を注ぐにもまだ時間がある。となると、私がとるべき行動はおのずと決まってくる。
「……お、おやすみなさい」
私も海斗さんの横でごろりと横になった。
すると、利口な疾風が、いつの間にか私にかけられていた子供用の掛け布団を口に咥えて引っ張って持ってきてくれた。しかも、それを器用にあっちを引っ張りこっちを引っ張りして、上手にかけてくれるというサービスつき。本当によいこだ。
ふふふっと笑うと、疾風も私の横で丸くなり、時々尻尾をたしんたしんと畳にあてる。その音が心地よいリズムに思えてきた頃、私の意識も再び夢の中へと誘われていった。
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