誰が悪役転生が一度だと言ったのか

綾織 茅

文字の大きさ
上 下
1 / 15
序章

1

しおりを挟む



 大手出版社、向陽こうよう社。出版業界の低迷もどこ吹く風。電子書籍の同時対応という現代の風潮に即した対応を即座にどの分野でも取ったおかげで右肩上がりとはいかないまでも他の出版社に比べればそこそこの業績を治めている。

 そんな向陽社に勤めている社畜、もとい一人の女性編集者である小山内おさない美琴みことが鬼の形相でパソコンの画面を睨みつけていたかと思えば、次の瞬間には全ての感情をそぎ落としたかのような能面面をしていた。


「……ねっむ」

 (もう無理。眠すぎる……)


 椅子の背もたれにぐでんともたれ掛かると、見慣れた天井が視界一面に入ってくる。目蓋が自分の意思に反し欲求に忠実であろうと閉じかけ閉じまいとプルプルと震えている。きっと今の自分を誰かが見たら、妖怪・白目女とかひっどいあだ名をつけられそうだが、早朝のこの時間にココに残っている人影はまばらだ。一番近い人でも一つ向こうの列でウンウン唸りながらパソコンのキーボードを叩き込んでいる。だからようはあれだ、バレなきゃ万事オッケー。よし、それでいこう。

 あぁ、それにしても、このまま眠ってしまえればどんなに楽か。でも、今手掛けている雑誌のデータ校了締め切りはもう今日になってしまった日の正午。しめてあと四時間。そんな中、完成しているのは全体の七割強。馬鹿でも分かる。これで眠ってしまったら最後だ。

 少しでも眠気を覚ます手伝いをさせようと、椅子の背もたれにもたれかかっていた背を勢いよく起こした。

 自分のデスクの上に置かれた栄養ドリンクはもう全部空。しめて七本。この生活がかれこれ四年は続いている。もうとっくの昔によく栄養ドリンクを買うコンビニの店員のおばちゃんには顔を覚えられた。今では新作の栄養ドリンク情報を教えてもらう仲だ。

 たまーにある休肝日ならぬ休ドリンク日には

「今日はドリンクいらないの?」

 と、買って帰らないのをかえって心配されることもある。

 十秒ほど現実逃避するかのようにその空の栄養ドリンク達を見た後、パソコンの画面に並ぶ文字を目をこすりながらもう一度追いかけた。後もう少し、もう少し頑張ったらこの苦行も終わる。


「終わったら丸光のうどん、終わったら丸光のうどん」


 ギュルルウゥゥギュグルゥ

 初対面の人にはいつも決まって驚かれる腹の虫が、宿主は疲労困憊ひろうこんぱいにもかかわらず、朝飯はまだかと元気な唸り声をフロア中に聞かせた。これが入稿後から次までの余裕がある時期なら皆も笑い声をあげるが、今のフロアはある意味戦の真っ最中。誰もクスッとさえしない。


 (……あー失敗した。終わった後のこと考えたら途端にお腹空いてきちゃった)


 いい加減この追い込み時期の自分へのご褒美を食べ物から別の物へ変えるべきだと分かっているはずなのに、何年経っても変えられない。最近女を捨てていると言われがちではあるものの、物欲がないわけでは決してない。人並にブランド物のバッグや洋服だって欲しいし、新作のコスメだってチェックしたい。
 ただ、実際ご褒美にと言われるとパッと思い浮かぶのがどうしても食べ物になるのは手掛けているのが旅行関係や食べ物関係の雑誌や書籍だからだろう。こうなるともはや職業病だと他人にも自分にも言い聞かせている。

 お腹の虫がさらにボイスアップする前に黙らせようとデスクの引き出しを開け、奥をガサゴソと探る。確か、後輩ちゃんがくれた栄養補助食品があったはずだ。


「……えー、ないんだけど」


 どんなに探しても目当てのものは出てこず、代わりに出てくるのは試し刷りした印刷物につけるポストイットの束やペン、取材先で出会った人達の名刺なんかだ。
 そういえば、と若干思い当たる横のごみ箱を見てみれば、きちんとその中に投げ込まれていた。くしゃくしゃに丸め込まれたゴミとなって。


「おぅ、まじか」


 飯まだかソングを高らかに歌い上げる腹の虫達VS.自分に残された時間の仁義なき戦いの火蓋が切って落とされ……ることはなかった。


「待っとれ、虫達。今、餌を買いにいってやろうではないかー。あっはっはー」


 人間の三大欲求のうちの一つ、睡眠欲。それをゴリゴリに削らされているのだ。ここで食欲を満たしてやろうと動いても罰は当たるまい。

 テンションは完全に徹夜明けのソレだ。一周と半分回っておかしいフリでもしてないとやってられないというのもある。


「ちょっとそこのコンビニに行ってくるけど、何かいる人ー?」
「じかんー」
「ネター」
「おかあさんのひざまくらー」
「コーヒー」


 一応フロア全員に声をかけた。手をフリフリと振っていらないアピールする人達と、コンビニで購入不可なものを要求してくる頭のネジが飛んでしまった人達、辛うじて正常な理性を保っている人達の三パターンに見事に分かれた。


「了解でーす。じゃあ、ぱぱっと行ってきますねー」


 実現不可能な要求をしてきた人達のリクエストはさらっと流すことにして、コートと財布だけ持って職場を出た。




「うぅ。朝焼けが目に眩しい」


 買い物を済ませて出版社へ戻る最中、ビルの合間から上ってくる太陽が目に入った。

 かの天空の城の大佐の気持ちがよく分かる。強い光は目に毒だ。


「……危ないっ!」


 誰かの叫び声が聞こえてきた時にはもうトラックはすぐ真横まで迫っていた。目を細めて街中を歩いていたのがいけなかったのかもしれない。ただ、自分のなけなしの名誉のために横断歩道の信号は青だったと言っておきたい。

 それでも、スピードから察するにきっと平常時でも避けることはかなわなかっただろう。とうてい自慢できるものじゃないけれど、雑誌の編集で全国津々浦々観光地を巡り美味しいものを吟味したために贅肉ぜいにくがたっぷりとついてしまっている。

 ドンっと身体に衝撃が走り、数十メートル先まで飛ばされたのが分かった。身体のあちこちに走るあまりの痛みに、意識を飛ばしてしまいたくなるけど、周りに集まった人達がそれを許してはくれない。


「大丈夫ですか!? あと少し……病院……が……る」


 完全に意識を飛ばせたのは救急車が到着して、病院に搬送される途中のことだった。



しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

婚約者に毒を飲まされた私から【毒を分解しました】と聞こえてきました。え?

こん
恋愛
成人パーティーに参加した私は言われのない罪で婚約者に問い詰められ、遂には毒殺をしようとしたと疑われる。 「あくまでシラを切るつもりだな。だが、これもお前がこれを飲めばわかる話だ。これを飲め!」 そう言って婚約者は毒の入ったグラスを渡す。渡された私は躊躇なくグラスを一気に煽る。味は普通だ。しかし、飲んでから30秒経ったあたりで苦しくなり初め、もう無理かも知れないと思った時だった。 【毒を検知しました】 「え?」 私から感情のない声がし、しまいには毒を分解してしまった。私が驚いている所に友達の魔法使いが駆けつける。 ※なろう様で掲載した作品を少し変えたものです

【完結】悪役令嬢の反撃の日々

アイアイ
恋愛
「ロゼリア、お茶会の準備はできていますか?」侍女のクラリスが部屋に入ってくる。 「ええ、ありがとう。今日も大勢の方々がいらっしゃるわね。」ロゼリアは微笑みながら答える。その微笑みは氷のように冷たく見えたが、心の中では別の計画を巡らせていた。 お茶会の席で、ロゼリアはいつものように優雅に振る舞い、貴族たちの陰口に耳を傾けた。その時、一人の男性が現れた。彼は王国の第一王子であり、ロゼリアの婚約者でもあるレオンハルトだった。 「ロゼリア、君の美しさは今日も輝いているね。」レオンハルトは優雅に頭を下げる。

義弟の為に悪役令嬢になったけど何故か義弟がヒロインに会う前にヤンデレ化している件。

あの
恋愛
交通事故で死んだら、大好きな乙女ゲームの世界に転生してしまった。けど、、ヒロインじゃなくて攻略対象の義姉の悪役令嬢!? ゲームで推しキャラだったヤンデレ義弟に嫌われるのは胸が痛いけど幸せになってもらうために悪役になろう!と思ったのだけれど ヒロインに会う前にヤンデレ化してしまったのです。 ※初めて書くので設定などごちゃごちゃかもしれませんが暖かく見守ってください。

人生の全てを捨てた王太子妃

八つ刻
恋愛
突然王太子妃になれと告げられてから三年あまりが過ぎた。 傍目からは“幸せな王太子妃”に見える私。 だけど本当は・・・ 受け入れているけど、受け入れられない王太子妃と彼女を取り巻く人々の話。 ※※※幸せな話とは言い難いです※※※ タグをよく見て読んでください。ハッピーエンドが好みの方(一方通行の愛が駄目な方も)はブラウザバックをお勧めします。 ※本編六話+番外編六話の全十二話。 ※番外編の王太子視点はヤンデレ注意報が発令されています。

悪役令嬢ですが、当て馬なんて奉仕活動はいたしませんので、どうぞあしからず!

たぬきち25番
恋愛
 気が付くと私は、ゲームの中の悪役令嬢フォルトナに転生していた。自分は、婚約者のルジェク王子殿下と、ヒロインのクレアを邪魔する悪役令嬢。そして、ふと気が付いた。私は今、強大な権力と、惚れ惚れするほどの美貌と身体、そして、かなり出来の良い頭を持っていた。王子も確かにカッコイイけど、この世界には他にもカッコイイ男性はいる、王子はヒロインにお任せします。え? 当て馬がいないと物語が進まない? ごめんなさい、王子殿下、私、自分のことを優先させて頂きまぁ~す♡ ※マルチエンディングです!! コルネリウス(兄)&ルジェク(王子)好きなエンディングをお迎えください m(_ _)m 2024.11.14アイク(誰?)ルートをスタートいたしました。 楽しんで頂けると幸いです。

悪役令嬢は天然

西楓
恋愛
死んだと思ったら乙女ゲームの悪役令嬢に転生⁉︎転生したがゲームの存在を知らず天然に振る舞う悪役令嬢に対し、ゲームだと知っているヒロインは…

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

侯爵令嬢の置き土産

ひろたひかる
恋愛
侯爵令嬢マリエは婚約者であるドナルドから婚約を解消すると告げられた。マリエは動揺しつつも了承し、「私は忘れません」と言い置いて去っていった。***婚約破棄ネタですが、悪役令嬢とか転生、乙女ゲーとかの要素は皆無です。***今のところ本編を一話、別視点で一話の二話の投稿を予定しています。さくっと終わります。 「小説家になろう」でも同一の内容で投稿しております。

処理中です...