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非常識なのはあちらかこちらか
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しおりを挟む「じゃあ、婆ちゃん。いい?」
幾分憐憫の情がこもった視線を向けてくる少年に、しばらく目を瞑っているように言われ、手を繋がれた。
さっきの声のせいで若干どころかむしろ不安しかないけれど、大丈夫だという少年の言葉を信じて大人しく従うしかない。
十も数えないうちに鳥の鳴き声や風の音が聞こえなくなった。
「……もう大丈夫。ゆっくり目を開けて」
「……」
人間、驚くと声が出なくなる。それは本当だった。
思考回路がそこまで追いつかなくなり、思考や言語を司る脳の前頭葉部分が働くのを放棄してしまったのかもしれない。
目の前には海外の宮廷ドラマを再現したかのようなセットが現れていた。
いや、セットなんかじゃないというのは分かってる。ただ、それをまだ頭が認めたくないだけで。
五段ほどある階段の上にゆったりと人一人が寛げるほどの大きな椅子が置いてあり、そこには片方の肘置きに両手を凭れかけて座る私と同じくらいか少し若いくらいの男の人が座っていた。
色素の薄い茶色の髪に、目は遠目だからよく分からないけれど、なんだか少し赤みがかかっているような気がする。全体的に細いシルエットの彼は見るからに病弱そうだ。
「君、名前は?」
(この声……さっきまでいた小屋で聞こえてきた声と一緒だ。
とすると、彼がなんらかの方法で声だけをあの小屋まで届かせていたってこと? なんらかの方法って言っても、ここまで来ると魔法っていう選択肢しか残されていないのだろうけど)
「この婆ちゃん、頭打ったらしくて記憶がないんだって! だから名前は分からねぇよ」
「本当?」
「え、えぇ。気付いたらあの森にいて」
それは本当だ。ただし、記憶はしっかりある。
「そう。他には何を忘れているの?」
「えっと……この世界のことが全く分かりません。あとは自分の名前と、歳と、住んでいたところと……」
「随分忘れてるんだね。なのに、医学知識だけは残ってたんだ?」
「え、えぇ」
「へぇ、面白いね。お婆さん、ここで過ごしなよ。丁度お婆さんみたいな人に頼みたいことがあるんだ。だから、それを手伝ってくれる代わりに衣食住を保証してあげる。なんだったら給金も出そう」
「……その頼みたいことの内容を事前に教えていただくことはできないんでしょうか」
「うん。適度に疑り深いところもいいね。生きていく上で大事なことだもんね。……ジン、このお婆さんに説明してあげて」
「承知いたしました」
椅子の後ろから、先程まではいなかったはずの長身の男の人が姿を現した。腰を通り越して足先まであるような長い白髪に、瞳の色も同じく白い。この人も線が細く、薄幸の佳人感が漂っている。
着ているのは古代ギリシャの人達が着ていたような布を体に巻きつけるタイプの薄い服だ。チラリと見えてしまった左胸の少し上辺りには何か黒い紋のような物が浮かんでいた。
「貴女にはこの世界で治療術を広めてもらいます。魔術師に頼らずとも、救える人間の数を増やせるように」
魔術師に頼らずに治療できるようになるって当たり前のことが当たり前じゃない。さっきも少年から聞いたけど、本当にここはそんな世界なのだ。
「……分かりました。今まで普通の人間が治療をしていないとなると、治療器具は期待できませんね。とりあえずは薬草とかを栽培して……」
「水とか土とか必要なものがあったら、まずジンに聞くといいよ。あと身の回りのことも。ジン、用意してあげて」
「かしこまりました」
ジンと呼ばれる人に丸投げに近い形で命じると、男の人は立ち上がった。
そのまま踵を返してどこかへ去っていこうとしている。
(あっ! まだ名前聞いてない!!)
「あの! お名前を聞いてもよろしいでしょうか?」
「僕? そっか、君、この世界のこと覚えてないんだっけ。僕の名前はシアン。シアン・ロウ・アイゼンシュタット。この国の皇子で、この世界の犠牲者だよ」
「犠牲者?」
「じゃあ、僕は疲れたから。三人とも、後は頼んだよ」
ジンと小屋からここまでついてきてくれた親子は黙って頭を下げている。
琴葉も慌ててそれに倣った。
(なんだかとんでもない世界に来てしまったのね。でも、いいわ。この世界でしかできない経験があると思えば)
「それではひとまず貴女が使っていただくお部屋を準備しますので少々お待ちください」
「あ、ありがとうございます。あの、これからどうぞよろしくお願いいたします」
「……おう!」
「こちらこそよろしくお願いします」
腰を曲げてお辞儀した琴葉に少年がニカッと笑ってくれ、ジンも僅かに口元を緩めていた。
(とりあえず、まずはあの黒豹の様子を見に行きたいんだけど、誰かあの場所にもう一度連れて行ってくれると嬉しいわ)
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