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第十三章―年が明けた先

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 年が明け、二十日ばかり過ぎた日の黄昏時。

 伊織達の代は全員、山中の一所に集まっていた。
 とはいえ、集まった理由が理由だけに、同胞とはいえ、見られるわけにはいかない。そこで、朝昼晩と同胞達が交代で哨戒する経路にかからない場所を選んだ。

 左近は立ったまま木に寄りかかり、腕組みして伊織の言葉を待っている。


「左近、お前の方はどうだ?」
「順調だよ。誰も僕を疑ってる様子はない。どうでもいいけど、心配になるくらい」
「ならいい」


 左近は木に寄りかかったまま足首を組み、伊織を流し見た。その顔には、僅かに相手に対する嘲笑の色がある。
 左近が青年でないことを疑うどころか、八咫烏に正体が知られないかということを心配してくるほど。疑いの余地がないほど完璧に左近が青年のフリをしているといえば彼らの面目もたとうが、同じ忍びとしては及第点など到底贈れるはずもない。

 伊織もそれについては同感であるため、そのまま言葉を続けた。


「左近が聞きだした情報によると、相手は鉢屋衆が仕えていた尼子一族の遠縁にあたる男だ。年は三十二。いつぞやの馬鹿のように容易たやすければ良かったんだが、飯母呂一族は配下は玉石混合だが、頭は見る目があったらしい。もし、一族が滅ぼされていなければ、いずれその遠縁の男も中枢まで行っていただろうと目されている」
「つまり、一筋縄ではいかない相手というわけですね」
「それなら、最期の相手にとって不足なし!」
「あの馬鹿殿が相手だったら死んでも死にきれないけど、そいつだったらいずれの事を考えると、先に潰しておいた方が他の為にもなるだろうしねー」


 吾妻に彦四郎、そして与一も満足そうにしている。
 彦四郎など、先の城を落とした際は暴れたりなかったのだろう。片手の拳をもう片方の掌に打ち付け、好戦的に笑っている。

 今回、左近が立て、伊織が手を加えた策では、松平家嫡男を謀殺したように、直接的に手を下すわけでない。だからこそ・・・・・楽しみなのである・・・・・・・・


「あのさ、前に話してた策なんだけど。ちょっと修正の相談があるんだよね」
「なんだ?」
「実はね、年が明ける前に部の年――瀧右衛門達から相談されたんだ」
「瀧右衛門? なんて?」


 左近に相談という事にも驚かされるが、今はそこを深堀りしている暇はない。伊織は片眉を吊り上げ、先を促した。

 左近は微かに目を伏せ、口を開く。


「人を殺めたことがありますか?って」
「……あぁ。まぁ、不安だろうな」
「そういや、自分とこにも来たわ。なんや深刻そうな顔して」


 大岩に腰かけた蝶が僅かに身を乗り出した。

 蝶の元に行けと言ったのは左近である。そして、結局、彼の元にも行ったらしい。それだけ人を自分の手にかけるという行為は、理性と感情の間でぎりぎりまで揺れ惑い、先達に多くの助言を求めたくなるもの。
 そんな彼らからの相談を随分あっさりと蝶は打ち明けたが、彼と一体どういう会話をしたのか、先に相談を受けた身として、左近も多少は気になるところ。だが、この場でそれに触れることはしない。

 左近は足を組み直し、言葉を続けた。


「知らない相手で、自分達に直接の害がない相手が初めてだったら、普通、立ち直るのにそれなりの時間がかかるよね?」
「……なるほど。そういうことか」


 伊織に始まり、皆も左近の言いたいことをすぐに察した。


「確かに。私達がその相手ならば、必要に迫られて速やかに退けなければならず、彼らのように末端でも明確な排除理由が分かる。考えましたね」
「まぁね」


 一番最初に手にかける相手が見知らぬ相手でなければ、次の任務の際に戸惑いが生じることは少ないだろう。

 元々・・そういう予定だった・・・・・・・・・ので、相手をするのが同胞のうち、不確定だったことから変わるだけ。策自体をそう変更することもない。


「それなら、厳太夫達もいる間がいい! 弥生の末までくらいか?」
「厳太夫達なら、この間の合議で、宮彦が里内に留まる間は残ることが決まった。あちらも片付いていないといえば片付いていないからな」


 宮彦の件は誰かが引き継ぐことになるだろう。
 あの子もまた、この戦の世がもたらした事件の被害者でもある。あの子が受けた心の傷は時間と共に癒していくほかない。


「宮彦かぁ。このまま八咫烏に入ったりしてな」


 隼人が、隣り合わせで立つ左近の方へと視線を寄越した。


「それはないでしょ。あって里の外に出て、情報提供か、物資提供くらいだと思うよ?」
「分からんぞ?」
「あいつも忍びの講義やら鍛錬やらにいつも興味深々だからなぁ」


 彦四郎や源太が腕を組み、左近の言葉に含み笑いで反論する。しかも、その二人だけではない。他の皆も、大なり小なり二人の言葉を支持すべく、頷いて見せた。
 
 すると、話がそれているぞと、伊織が軌道修正を図るべく口を挟んだ。


「宮彦のことは一旦置いておいて。その日をいつにするか決めよう。密書や手回しはすぐやれる。往復も考えて二月もあれば十分だ」
「僕も山中の罠の整理にそれくらい欲しいかな」


 そこで、それまで聞き役に徹していた兵庫と慎太郎がようやく口を開いた。


「桜の時期」
「満月の晩」


 二人の言う二つは、八咫烏の忍びであれば避けるべしと言われているものである。
 桜の時期は花見をする者が朝に夕にと出歩く。そして、満月の晩は言わずもがな。さらに、桜の時期で満月の晩など、人目につきやすくなることを考えると、最も避けなければならない組み合わせだ。

 しかし、それは普通の場合。


「あぁ、いいな、それ!」
「私達が絶対に選ばない組み合わせですね」
「まぁ、最後くらいいいだろ」
「そうだね。そしたら、最期までよく見ていられるから」


 左近の言葉に、周りは思い思いの表情を浮かべ、しんと黙りこくってしまう。

 しばらくすると、気持ちを切り替えるべく、伊織が手を叩いた。


「よし。なら、弥生、満月の日の晩だ。いいな?」


 全ての要望を網羅した日程に、皆も頷く。


「これで少しは閻魔様も命勘定の差が埋まるいうて喜んでくれはるかねぇ?」
「それはないだろ」
「それどころか、命一つで一度地獄に落ちるなら、何百回と落ちないといけないかもね」
「仕方ありません。それは甘んじて皆で受けましょう」
「皆で、ね」


 皆で冗談を言い、笑い合うのもあと少し。

 それでも、左近達の意思がひるがえることは絶対にないと言えた。

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