上 下
93 / 117
第十二章―過去との別離

しおりを挟む


 着いたのは、とある公家が所有していた屋敷。こちらも他の公家の例に漏れず、昔の栄華はとうに消え失せ、敷地の広さばかりがはばをきかせている。

 ちらちらと提灯ちょうちんあかりが見え、壮年そうねんの南蛮人の男が門まで駆け寄ってくる。ずっと門の方を見ていたのか、時宜じぎにかなった出迎えであった。


《お帰りなさいませ》
《ただいま》


 壮年の男はお辞儀をし、主人を出迎える。左近のことは前もって伝えてあったらしく、さほど気にせず面を素通りした。
 しかし、そんな彼にも予想外の客人がいた。アドリアーノが抱き抱えている小太朗である。じっと見つめられるので、小太朗も居心地が悪いらしく、もぞもぞと身動みじろぎしている。


《アドリアーノ様、その子供は?》
《彼同様、大事なお客様だ。手荒な真似はしないように》
《かしこまりました》


 再び頭を下げ、壮年の男は持ってきた提灯で足元を照らし、先を歩き出した。アドリアーノと左近はその後をついていく。

 歩きながら、左近は先程のアドリアーノの言葉に口角を上げた。


《南蛮には、大事なお客様に小刀を突きつける人がいるんですね》
《そりゃあいるさ。聞き分けがいい奴ばかりではないからね》
《用意は全て整っております。こちらへ》


 屋敷の中に入り、案内されたのはそこそこ広いが窓などはなく、壁を厚く塗り込めたいわゆる塗籠の一室であった。このような場所は古くから寝所として使われている。おそらく、元の主人たちもそのように使っていたのであろう。

 ここでようやく小太朗が下された。その時に、アドリアーノが着ていた外套がいとうを肩からかけられる。一目散に駆け寄ってきた小太朗に、左近も腕を広げて抱き寄せた。


《さて、その子はいいとして、君は縛らせてもらうよ。逃げられるわけにはいかないからね。……おい》
《はい》


 壮年の男があらかじめ用意してあった縄を使い、左近の両手を後ろ手で縛り上げる。そして、左近を座らせ、揃えさせた両脚も縛り上げた。
 何度か縄の頑丈さを確かめ、アドリアーノの方を見上げ、こくりと頷く。アドリアーノも満足げに一度頷いた。

 小太朗も床に両膝をつき、左近の肩にしがみついた。自由に身動きが取れなくなった左近を見て、心配そうに眉を下げている。


「せんせい」
「大丈夫。これくらいなんでもないよ」
「……」


 不安そうにしている小太朗の頭を撫でてやりたいが、今はそれは叶わない。

 すると、アドリアーノがおもむろに拍手をしだした。それを左近はじとりと睨み上げる。


《いやぁ、実に素晴らしい師弟愛だ》
《……ここまでついて来たんです。もう小太朗を解放してもよいのでは?》
《いや、まだ駄目だよ。物と金の引き渡しを終えるまでが取引なんだ。途中で警戒を緩めると、信用問題にかかわることになりかねないからね》


 やはり、彼は根っからの商人である。商売の大事がなんたるかを心得ていた。

 そして、また来るよと言い残し、アドリアーノと男は塗籠から出て行った。
 すかさず小太朗が左近の手の縄を外しにかかる。しかし、向こうも決して逃さぬようしっかりと結んでいるので、子供の手で解くのは難しいだろう。指の先だけが痛むばかりである。


「小太朗。縄はいいから、手を止めて話を聞いて」
「でもっ」
「聞きなさい」
「……はい」


 小太朗は手を止め、左近の前に腰を下ろした。自分では役に立たないのかと、肩を落とし、しょんぼりとしている。

 しかし、いつまた彼らが戻ってくるか分からないので、その前に言い聞かせておかなければならないことがある。ここで慰めている暇は残念ながらない。

 左近は小太朗と目を合わせ、口を開いた。


「誰かが入ってきた時は、目を閉じて、耳もしっかり塞ぐこと。僕が合図を出すまでそれを続けること。できるね?」
「……っ」
「小太朗、できるね?」


 一度目で返事が出来なかった小太朗に、左近は念を押す。すると、ようやく口をひき結んだ小太郎がこくりと頷いた。


「よし、いい子だ」


 左腕にぎゅっとしがみついて座る小太朗に、左近は安心させるために色々な話をしだした。大半が同じ時を過ごした隼人の雛であった頃の失敗談である。
 そのおかげか、強張っていた小太朗の顔にも徐々に笑みが戻った。これには、本人不在の場でばらされた隼人も、仕方がないと許してくれるだろう。彼も雛には甘いのだから。



 どれほどそうして過ごしていたか、左近の耳には先程から外を何かが引きずりまわされる音が届いていた。

 小太朗に聞こえないうちは知らぬふりを押し通そうとしていたが、さすがに塗籠の近くまで来てしまえば、否が応でも小太朗の耳にも入った。


「せんせぇ、なにか、ひきずってくるおとが」
「僕の後ろに。少し早いけど、さっき言ったことをやって」
「は、はいっ」


 左近は膝立ちになり、小太朗を背後に隠すと、しっかと戸を見つめた。

 しばらくすると、戸が静かに開けられたが、顔を出したのはアドリアーノではなく、お付きの壮年の男でもなかった。左近と着ている物こそ違えど、顔は瓜二つ。左近の双子の兄弟である青年だった。

 そして、彼の手には、ぐたりとしたアドリアーノの襟首が掴まれている。あの引きずられる音は、アドリアーノ自身だったというわけである。

 アドリアーノを床に放り捨て、左近の前に片膝をついた青年は、左近の頬をするりと片手で撫でた。


「左近。遅くなってごめんね」
「……殺したの?」
「ううん。約束を守らなかったから、少し痛めつけただけ。ほんのちょっとだよ」


 どうやら両者の交渉は土壇場どたんばで決裂したようである。そして、彼の言う約束が何なのかは分からないが、それは左近には関係のないこと。追求するつもりはない。
 むしろ、今、左近にとって大事なのは、アドリアーノの生死であった。もし、彼が殺していれば、小太朗のことを考えてしかるべき対処をとる。が、そうではないらしいので、左近は早々にアドリアーノから興味をなくした。

 しかし、ここで左近にある葛藤が生まれる。

 “アドリアーノの背に、蹴りの一つでも入れてやりたい”

 雛を巻き込み、こんな目に合わせてくれたのだ。そのための報復は受けるべきであろう。
 しかし、目と耳を覆っているとはいえ、すぐ近くに小太郎がいる。左近は泣く泣くそれを諦めた。


「さ。行こうか」
「……分かった。でも、少し待って」


 左近は脚絆きゃはんの中に隠していたしころを取り出し、両足の縄をまず切った。それから、足の爪先に錣を挟み、両手の縄も切る。
 もっと早くこうすることもできたが、下手に相手を刺激するのは下策であると、あえて縛られたままでいたのである。

 縛られていた手首や足首を回した後、小太朗の方を振り向き、彼の膝を揺すった。


「小太朗」
「……もういいですか?」
「目はそのまま。耳はもういいよ」
「はい」


 左近に耳元で言われた通り、小太朗は耳から手を離し、膝の上に揃えて置いた。


「屋敷までの道は覚えてる?」
「すこししかおぼえてません」
「そう。なら、覚えているところまで……」
「その子も連れて行こう」


 連れていくよと続けようとした言葉は、青年によって先を取られた。


「それは駄目」
「ここでじゃなくて、別のところで考えたらいいじゃない。そいつも起きてしまうよ?」
「……」


 左近は、まだ気を失ったままのアドリアーノへちらりと視線をやった。確かに、青年の言葉にも一理ある。左近としても、敵が二組よりも一組の方が動きやすい。

 再び小太朗に視線を戻した左近は、小太朗の身体を抱きしめた。


「小太朗。僕が必ず皆の所へ戻してあげるからね」
「せんせいは? せんせいもいっしょ?」
「……うん。一緒だよ」


 とはいえ、彼が現れ、此処まで出張でばってきたのだから、そう簡単には行かないだろう。
 ただ、小太朗だけは。小太朗だけは何としても学び舎へ戻さなければならない。それが師であり、先輩でもある左近の役目。

 そのために必要な、雛を安心させるための嘘など、八咫烏ならばいくらでも口にすることができた。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

異・雨月

筑前助広
歴史・時代
幕末。泰平の世を築いた江戸幕府の屋台骨が揺らぎだした頃、怡土藩中老の三男として生まれた谷原睦之介は、誰にも言えぬ恋に身を焦がしながら鬱屈した日々を過ごしていた。未来のない恋。先の見えた将来。何も変わらず、このまま世の中は当たり前のように続くと思っていたのだが――。 <本作は、小説家になろう・カクヨムに連載したものを、加筆修正し掲載しています> ※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・地名とは一切関係ありません。 ※この物語は、「巷説江戸演義」と題した筑前筑後オリジナル作品企画の作品群です。舞台は江戸時代ですが、オリジナル解釈の江戸時代ですので、史実とは違う部分も多数ございますので、どうぞご注意ください。また、作中には実際の地名が登場しますが、実在のものとは違いますので、併せてご注意ください。

柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治

月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。 なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。 そんな長屋の差配の孫娘お七。 なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。 徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、 「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。 ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。 ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。

マイアの魔道具工房~家から追い出されそうになった新米魔道具師ですが私はお師匠様とこのまま一緒に暮らしたい!~

高井うしお
ファンタジー
 森に住む天才魔術師アシュレイとその弟子マイア。  孤児になったところを拾われてアシュレイと平和に暮らしていたマイアだったが、十六歳になったある日、突然に師匠のアシュレイから独立しろと告げられる。  とはいうものの対人関係と家事能力に難ありなどこか頼りない師匠アシュレイ。家族同然の彼と離れて暮らしたくないマイアは交渉の末、仕事を見つければ家を出なくて良いと約束を取り付け魔道具を作りはじめる。  魔道具を通じて次第に新しい世界に居場所と仲間を見つけるマイア。  そんなマイアにアシュレイの心は揺れて……。  この物語は仕事を通じて外の世界を知った少女の自立をきっかけに、互いの本当の気持ちに気付くまでの物語。

最後の風林火山

本広 昌
歴史・時代
武田軍天才軍師山本勘助の死後、息子の菅助が父の意思を継いで軍師になりたいと奔走する戦国合戦絵巻。 武田信玄と武田勝頼の下で、三方ヶ原合戦、高天神城攻略戦、長篠・設楽原合戦など、天下を揺さぶる大いくさで、徳川家康と織田信長と戦う。 しかし、そんな大敵の前に立ちはだかるのは、武田最強軍団のすべてを知る無双の副将、内藤昌秀だった。 どんな仇敵よりも存在感が大きいこの味方武将に対し、2代目山本菅助の、父親ゆずりの知略は発揮されるのか!? 歴史物語の正統(自称)でありながら、パロディと風刺が盛り込まれた作品です。

時代小説の愉しみ

相良武有
歴史・時代
 女渡世人、やさぐれ同心、錺簪師、お庭番に酌女・・・ 武士も町人も、不器用にしか生きられない男と女。男が呻吟し女が慟哭する・・・ 剣が舞い落花が散り・・・時代小説の愉しみ

うつしよの波 ~波およぎ兼光異伝~

春疾風
歴史・時代
【2018/5/29完結】 これは、少年と共に天下分け目を斬り拓いた刀の物語。 豊臣秀次に愛された刀・波およぎ兼光。 血塗られた運命を経て、刀は秀次を兄と慕う少年・小早川秀秋の元へ。 名だたる数多の名刀と共に紡がれる関ヶ原の戦いが今、始まる。   ・pixivにも掲載中です(文体など一部改稿しています)https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=9864870 ・本作は史実を元にしたフィクションです。IF展開・恋愛描写はありません。  ・呼称は分かりやすさ優先で基本的に名前呼びにしています。  ・武将の悪役化なし、下げ描写なしを心がけています。当初秀吉が黒い感じですが、第七話でフォローしています。  ・波およぎ兼光は秀次→秀吉→秀秋と伝来した説を採用しています。 pixiv版をベースに加筆・修正・挿絵追加した文庫版もあります。 https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=74986705

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

処理中です...