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第十二章―過去との別離
ろ
しおりを挟む着いたのは、とある公家が所有していた屋敷。こちらも他の公家の例に漏れず、昔の栄華はとうに消え失せ、敷地の広さばかりが幅をきかせている。
ちらちらと提灯の灯りが見え、壮年の南蛮人の男が門まで駆け寄ってくる。ずっと門の方を見ていたのか、時宜にかなった出迎えであった。
《お帰りなさいませ》
《ただいま》
壮年の男はお辞儀をし、主人を出迎える。左近のことは前もって伝えてあったらしく、さほど気にせず面を素通りした。
しかし、そんな彼にも予想外の客人がいた。アドリアーノが抱き抱えている小太朗である。じっと見つめられるので、小太朗も居心地が悪いらしく、もぞもぞと身動ぎしている。
《アドリアーノ様、その子供は?》
《彼同様、大事なお客様だ。手荒な真似はしないように》
《かしこまりました》
再び頭を下げ、壮年の男は持ってきた提灯で足元を照らし、先を歩き出した。アドリアーノと左近はその後をついていく。
歩きながら、左近は先程のアドリアーノの言葉に口角を上げた。
《南蛮には、大事なお客様に小刀を突きつける人がいるんですね》
《そりゃあいるさ。聞き分けがいい奴ばかりではないからね》
《用意は全て整っております。こちらへ》
屋敷の中に入り、案内されたのはそこそこ広いが窓などはなく、壁を厚く塗り込めたいわゆる塗籠の一室であった。このような場所は古くから寝所として使われている。おそらく、元の主人たちもそのように使っていたのであろう。
ここでようやく小太朗が下された。その時に、アドリアーノが着ていた外套を肩からかけられる。一目散に駆け寄ってきた小太朗に、左近も腕を広げて抱き寄せた。
《さて、その子はいいとして、君は縛らせてもらうよ。逃げられるわけにはいかないからね。……おい》
《はい》
壮年の男があらかじめ用意してあった縄を使い、左近の両手を後ろ手で縛り上げる。そして、左近を座らせ、揃えさせた両脚も縛り上げた。
何度か縄の頑丈さを確かめ、アドリアーノの方を見上げ、こくりと頷く。アドリアーノも満足げに一度頷いた。
小太朗も床に両膝をつき、左近の肩にしがみついた。自由に身動きが取れなくなった左近を見て、心配そうに眉を下げている。
「せんせい」
「大丈夫。これくらいなんでもないよ」
「……」
不安そうにしている小太朗の頭を撫でてやりたいが、今はそれは叶わない。
すると、アドリアーノがおもむろに拍手をしだした。それを左近はじとりと睨み上げる。
《いやぁ、実に素晴らしい師弟愛だ》
《……ここまでついて来たんです。もう小太朗を解放してもよいのでは?》
《いや、まだ駄目だよ。物と金の引き渡しを終えるまでが取引なんだ。途中で警戒を緩めると、信用問題にかかわることになりかねないからね》
やはり、彼は根っからの商人である。商売の大事がなんたるかを心得ていた。
そして、また来るよと言い残し、アドリアーノと男は塗籠から出て行った。
すかさず小太朗が左近の手の縄を外しにかかる。しかし、向こうも決して逃さぬようしっかりと結んでいるので、子供の手で解くのは難しいだろう。指の先だけが痛むばかりである。
「小太朗。縄はいいから、手を止めて話を聞いて」
「でもっ」
「聞きなさい」
「……はい」
小太朗は手を止め、左近の前に腰を下ろした。自分では役に立たないのかと、肩を落とし、しょんぼりとしている。
しかし、いつまた彼らが戻ってくるか分からないので、その前に言い聞かせておかなければならないことがある。ここで慰めている暇は残念ながらない。
左近は小太朗と目を合わせ、口を開いた。
「誰かが入ってきた時は、目を閉じて、耳もしっかり塞ぐこと。僕が合図を出すまでそれを続けること。できるね?」
「……っ」
「小太朗、できるね?」
一度目で返事が出来なかった小太朗に、左近は念を押す。すると、ようやく口をひき結んだ小太郎がこくりと頷いた。
「よし、いい子だ」
左腕にぎゅっとしがみついて座る小太朗に、左近は安心させるために色々な話をしだした。大半が同じ時を過ごした隼人の雛であった頃の失敗談である。
そのおかげか、強張っていた小太朗の顔にも徐々に笑みが戻った。これには、本人不在の場でばらされた隼人も、仕方がないと許してくれるだろう。彼も雛には甘いのだから。
どれほどそうして過ごしていたか、左近の耳には先程から外を何かが引きずりまわされる音が届いていた。
小太朗に聞こえないうちは知らぬふりを押し通そうとしていたが、さすがに塗籠の近くまで来てしまえば、否が応でも小太朗の耳にも入った。
「せんせぇ、なにか、ひきずってくるおとが」
「僕の後ろに。少し早いけど、さっき言ったことをやって」
「は、はいっ」
左近は膝立ちになり、小太朗を背後に隠すと、しっかと戸を見つめた。
しばらくすると、戸が静かに開けられたが、顔を出したのはアドリアーノではなく、お付きの壮年の男でもなかった。左近と着ている物こそ違えど、顔は瓜二つ。左近の双子の兄弟である青年だった。
そして、彼の手には、ぐたりとしたアドリアーノの襟首が掴まれている。あの引きずられる音は、アドリアーノ自身だったというわけである。
アドリアーノを床に放り捨て、左近の前に片膝をついた青年は、左近の頬をするりと片手で撫でた。
「左近。遅くなってごめんね」
「……殺したの?」
「ううん。約束を守らなかったから、少し痛めつけただけ。ほんのちょっとだよ」
どうやら両者の交渉は土壇場で決裂したようである。そして、彼の言う約束が何なのかは分からないが、それは左近には関係のないこと。追求するつもりはない。
むしろ、今、左近にとって大事なのは、アドリアーノの生死であった。もし、彼が殺していれば、小太朗のことを考えてしかるべき対処をとる。が、そうではないらしいので、左近は早々にアドリアーノから興味をなくした。
しかし、ここで左近にある葛藤が生まれる。
“アドリアーノの背に、蹴りの一つでも入れてやりたい”
雛を巻き込み、こんな目に合わせてくれたのだ。そのための報復は受けるべきであろう。
しかし、目と耳を覆っているとはいえ、すぐ近くに小太郎がいる。左近は泣く泣くそれを諦めた。
「さ。行こうか」
「……分かった。でも、少し待って」
左近は脚絆の中に隠していた錣を取り出し、両足の縄をまず切った。それから、足の爪先に錣を挟み、両手の縄も切る。
もっと早くこうすることもできたが、下手に相手を刺激するのは下策であると、あえて縛られたままでいたのである。
縛られていた手首や足首を回した後、小太朗の方を振り向き、彼の膝を揺すった。
「小太朗」
「……もういいですか?」
「目はそのまま。耳はもういいよ」
「はい」
左近に耳元で言われた通り、小太朗は耳から手を離し、膝の上に揃えて置いた。
「屋敷までの道は覚えてる?」
「すこししかおぼえてません」
「そう。なら、覚えているところまで……」
「その子も連れて行こう」
連れていくよと続けようとした言葉は、青年によって先を取られた。
「それは駄目」
「ここでじゃなくて、別のところで考えたらいいじゃない。そいつも起きてしまうよ?」
「……」
左近は、まだ気を失ったままのアドリアーノへちらりと視線をやった。確かに、青年の言葉にも一理ある。左近としても、敵が二組よりも一組の方が動きやすい。
再び小太朗に視線を戻した左近は、小太朗の身体を抱きしめた。
「小太朗。僕が必ず皆の所へ戻してあげるからね」
「せんせいは? せんせいもいっしょ?」
「……うん。一緒だよ」
とはいえ、彼が現れ、此処まで出張ってきたのだから、そう簡単には行かないだろう。
ただ、小太朗だけは。小太朗だけは何としても学び舎へ戻さなければならない。それが師であり、先輩でもある左近の役目。
そのために必要な、雛を安心させるための嘘など、八咫烏ならばいくらでも口にすることができた。
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