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第十二章―過去との別離

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 小太朗を抱きかかえたまま、アドリアーノは月明かりの中、夜道を歩いて行く。どこか行くあてがあるのか、その足取りは迷いがない。左近も小太朗の方へ視線をやりながら、渋々彼の横を歩いた。

 夜間ということもあり、周囲に人はおらず、小刀を取り出したままでも誰も見とがめる者はいない。
 小刀を奪えないこともないが、もし他に仲間がいれば、小太朗が再び敵の手に落ちてしまう可能性がある。全ての不確定要素がなくならない限り、次の行動には移せない。一人ならまだしも、小太朗という人質がいる以上、慎重にならざるを得なかった。


《僕を連れていくと、貴方に何の見返りが?》
《見返りを求めないこともあるさ》
《ご冗談を。貴方は商人。商人が何の利もなくこんな事を引き受けるはずがない》
《それは君、随分と商人を誤解しているよ。利益度外視って言葉があるくらいだ。私達にだって、例外はつきものさ》


 ニヤリと笑うアドリアーノに、左近は眉をしかめた。


《……あの日、あそこにいたのは罠だった?》
《あぁ、あれは本当に体調を悪くしたんだ。君達のことを知ってはいたが、話に乗るかどうかは決めていなかった》
《誰から話を?》
《さっきから質問攻めだな。自分の今の状況をもっとよく考えた方がいい》


 そう言って、アドリアーノは小刀を小太朗の首元に近づけた。
 小太朗も息を呑み、自分に許される範囲で首から上を反らした。目には涙が浮かび、月明りでうるんで見える。

 
《……助けるんじゃなかった》
《それは酷いな》


 左近がそれ以上聞くのをやめたことで、ようやく小刀を持った手は下ろされた。

 小太朗の首元から離れていく小刀を目で追いかけていた左近は、再び小太朗の方へ顔を向ける。すると、小太朗の肩が震えているのが分かった。
 それもそのはず。怖さも多少はあるだろうが、少しの間のつもりで外に出ているから、上には何も羽織っていない。一方、左近はといえば、こちらも何かあった時にすぐ動けるようにと、着ていた替えの忍び装束だけだが、寒さには慣れている。しかし、小太朗はそうではなさそうだ。


「小太朗、寒い?」
「ちょっと。でも、平気で……くしゅんっ」
「平気じゃあないね」


 生憎あいにくと、温石おんじゃく打竹うちたけといった身体を温められるようなものは今、手元にない。

 何もないよりましかと、左近は頭巾を取り、肩からかけてやる。それを見て、アドリアーノも小太朗の顔を覗き込んだ。


「さむい?」
《ちょっと。この子に直接話しかけるのはやめて下さい》


 眉をひそめた左近が、小太朗とアドリアーノの顔の間に手を差し込む。ちろりと左近の方を見たアドリアーノは、ほんの僅かに片眉を上げた。


《私が話せることには驚かない?》
《えぇ。貴方の様子からして、全く分からないなんてことはないと踏んでいましたから》
《それは鋭い》


 アドリアーノは、ばれていたかと肩をすくめた。そして、一度小太朗を担ぎ直した。小太朗の身体が小さく震えているせいで、抱える方も不安定になっていたのだろう。


《……どこかでこの子に何か羽織るものを。京の冬はこれからとはいえ、もう夜は寒い。風邪をひいてしまいます》
《もう少し行ったところで合流することになっているから、そこまでは我慢してくれ》
《……分かりました》


 足を早めだしたアドリアーノの言葉を鵜呑うのみにしてもいいかは大いに疑問が残る。が、彼とて大事な人質に風邪をひかせたうえに悪化させてしまったとあっては、足手まといになるだけで何の意味もなくなる。根っからの商人であるアドリアーノが、そんな大事な人質ものをダメにするような愚行は犯さないだろう。

 左近は長崎で、南蛮、明、朝鮮と、様々な国から来た商人達が日本の商人達と商談を交わす姿を実際に何度も目にしている。商売人を見る目は、同じ代の誰よりも確かだという自負もある。
 そんな左近が、一人の人間である彼は信用ならないが、商人である彼は信用に値すると、そう判断した。


「小太朗。もう少しだから、我慢できる?」
「はい」


 無理をしていそうな小太朗に、少しでも温かくなるようにと、左近は小太朗の手を握ってやった。

 そして、アドリアーノの言う通り、目的地には四半刻もかからずに辿たどり着いた。

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