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第十章―貴方の生まれた日

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 二刻半五時間後、学び舎へと無事に帰りついた。
 門をくぐって奥へ行く一行から、子供達にさとられないよう、ひっそりと庄八郎だけが外れる。そのまま門前に留まり、山中の方を振り返った。


「左近先輩は戻られたか?」
「……いえ。まだです」


 門番として傍にいる二つ下の後輩へは顔を向けず、視界に入る山中を左から右へとくまなく視線を走らせながら尋ねる。
 庄八郎のその様子に、その後輩も何かあったのかと身構える。おのずと、その返答も固い声音となった。


「……そうか」


 そうなると、やはり都で会ったのは左近であるとは考え辛い。

 館の方に戻った可能性もなくはないが、あそこにはもう左近の私物はほとんどないはずである。それに、あの場ではまだそうと思っていなかったので、まじまじと見たわけではないが、腰に差していた脇差は里のものではなかった。だとすれば、それは個人の私物であるはず。それを持参していたということは、罠の状況を確認した後、一度は学び舎の長屋に戻らねばならない。しかし、ここで門番をしていた後輩は戻っていないと言う。

 それはつまり、彼らの勘が正しかったことを証明していた。


 庄八郎と門番がいる門から少し離れ、厳太夫と勘助を子供達が取り囲んでいる。
 帰りは行きよりも急がされたせいでだいぶ疲れたが、いい店を見つけたし、値段も今日の礼だと店主の老人が勉強してくれるらしい。子供達にとって、とても充実した日であり、疲労感以上の満足感で胸いっぱいのようだ。


「それじゃあ、せんぱい。ありがとうございました」
「「ありがとうございましたー」」


 ぺこりとお辞儀をして、子供達は皆で自分達の長屋の方へ戻っていく。楽しそうに話をしながら歩く彼らの背を見送りながら、厳太夫と勘助は庄八郎を待った。

 その庄八郎も、子供達と入れ違いに二人の元へ合流する。

 ふるふると左右に首を振る庄八郎に、厳太夫と勘助は天を振りあおいだ。

 左近ではないと分かったところで、‟では、あれは誰だ?”という疑問が再度頭をもたげてくる。
 確かに、極々ごくごくまれにいわゆる影武者を務められるほど似ている者もいるが、あれは似ているという程度をはるかに超えていた。しかも、人違いだと言い出すこともなく、会話を続けてもいる。明らかに何らかの思惑おもわくがあったことは確かであった。

 すると、勘助が何やら糸口に関してひらめいたらしい。はっとした顔つきで、他の二人を交互に見る。


「榊先生なら何かご存知じゃないか?」
「確かに。行ってくる」


 学び舎を翁に任されている榊のこの日の過ごし方は大体決まっている。午前中に身体を動かした後、午後には学び舎に戻り、事務処理や翁へ雛達の報告をする際のまとめ作業を行っているのだ。もう陽が傾きかけているが、まだ自分の仕事部屋で書き物などをしている頃だろう。

 厳太夫が踵を返し、建物の中に向かおうとする。しかし、その足はすぐに止められることになった。


「厳太夫」
「……っ、と。先輩」
「どこに行ってたの? 子供達と」


 門から入ってきたのは、今、彼らが危惧きぐしている事態の渦中かちゅうの人であった。いつもと同じ濃紺の忍び装束を土埃つちぼこりまみれさせた左近は、いつもと変わらず口元に微笑を浮かべ、小首を傾げている。

 どう見ても都に行って、自分達と何食わぬ顔で会っていたとは思えない。

 厳太夫は友二人と目配せしあった。


「……やはり」
「……あぁ」
「間違いないな」


 疑惑は絶対的な確信に変わる。


「先輩。つかぬ事をお伺いするのですが」
「ちょっと待ちなよ。僕の質問の答えは? 無視?」
「すみません。都に連れて行きました。理由は、今はまだ言えません」
「今は? ということは、いつかは言えるの?」
「……重箱の隅をつく。それでこそ先輩です」
「は?」


 揶揄からかっているのかと、左近は笑みを浮かべたまま、一段声音を低くする。

 いつもならば真っ先に誤解を解きにかかるのだが、厳太夫達にとって、今はそれどころではなかった。


「今日、都で先輩そっくりの武家装束の男に出会いました」
「……どこで?」


 厳太夫からのしらせを聞いた瞬間、左近の口角がすっと落ちる。左近の問いには、厳太夫に続いて勘助が口を開いた。


「先日、一緒に行った甘味処かんみどころの近くの鍛冶かじ屋です」
「……あそこか。それで?」
「何故かは分かりませんが、そいつは先輩に成りすましていました」


 庄八郎の言葉に、左近は僅かに目を細めた。背後を首だけで振り返り、自分が今まで登ってきた山中の方へ目を配る。


「……けられてないだろうね?」
「はい。それは間違いなく」
「そう。一応、ぞく侵入の危険ありって報告して。ただ、僕に似た奴に出会ったことは他言無用だから。お前達も。いいね?」
「……はい」
「分かりました」


 すぐに八咫烏の館と翁の元へ厳太夫が、建物内にいる榊の元には庄八郎が走る。

 厳太夫が石段を数段飛びで下りていると、横のしげみから隼人が狼達を連れて出てきた。どうやら彼らの散歩中であったらしい。挨拶あいさつを一言簡単に済ませ、厳太夫は再び足早に石段を下りていった。

 一方、左近と勘助は、視界にとらえていた隼人が上ってくるのを待っていた。


「左近? ここで何やってんだ? 勘助も」
「うーん。賊が来そうな予感がするから、気をつけるんだよって話してたんだ。ね?」
「はい」
「……大丈夫なのか?」
「一応、翁や榊先生には報告に行かせたから」
「あぁ、なるほど。だから厳太夫とそこですれ違ったのか」


 話している最中も隼人が背を撫でていた狼達が、彼の足元をくるくると回る。散歩して腹が空いたらしい。隼人は一瞬、そちらに気を取られた。


一箇所いっかしょ、確認忘れてたから、ちょっと行ってくる。今日は館にとまるから」
「あっ、おい!」


 隼人の制止の声も聴かず、左近はそのまま山中へと姿を消した。完全にすきをつかれた格好の隼人は、左近が消えた方角をしばらく見続ける。

 もちろん、左近や勘助の様子から、それだけではないだろうことに気づかない隼人ではない。特に、左近の様子には今まで十分注視してきた。長年寝食を共にしてきた関係性は、もはや親兄弟よりも深いものなのである。


「勘助」
「はい」
「後で、厳太夫と……庄八郎もか。二人を連れて俺の部屋に来い」
「……はい」

 
 隼人は狼達を連れ、小屋の方へと歩いて行く。その背を見送った勘助は、再び厳太夫と左近が消えた山中へと目を向けた。

 日がもう少しで落ちる頃。
 夕焼けの茜色に空が染まる、逢魔おうまが時に差しかかろうとしていた。

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