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第十章―貴方の生まれた日
ろ
しおりを挟む講義が終わり、以之梅の子供達と宮彦は雛用の長屋に戻ってきた。他はまだのようで、長屋のある区画はしんと静まり返っている。
縁側に横並びになって座り、最初はこれから何をして遊ぶかという話に夢中になっていた彼ら。そのうち、藤兵衛が一人で何やら深く考え込み始めた。
「……ねぇ、さこんせんせいって、うまれたひはじゅうがつとおかっておっしゃってたよね?」
「え? うん」
「それがどうかしたの?」
「まえに、いこくのひとは、おしょうがつじゃなくて、うまれたひにとしがふえるんだってきいたことがある」
「へー」
「……きょうって」
「くがつ、にじゅうご」
「「……」」
お互い、隣にいる者へ左右交互に目を向ける。藤兵衛の言いたいことが分かった皆は、元々小さな身体をさらに寄せ合い、外に漏れぬよう小声で相談をし始めた。
それから四半刻ほど経った頃。
学び舎の門前で、門番と話ながら人を待っていた宗右衛門が、こちらに向かって石段を上がってくる二人組の姿を捉えた。
「しゅすいせんぱい! うきょうせんぱい! おまちしてました!」
今日の二人は山中の哨戒任務当番で、丁度休憩に入るところであった。館に戻るよりも学び舎に行く方が近いからと、ここの井戸水を飲んで木陰で一休みでもしようと登ってきたのだ。
駆け寄ってきた宗右衛門の頭に手を置き、ぐりぐりとかい撫でてやる。
「水練のことか?」
「あんまり根詰めてやろうとするなよ?」
今のところ、主水と宗右衛門の水連は一時中止となっている。
というのも、左近に頼まれたからといって、そう何度も他の以之梅の子供達に黙ってこっそりと出かけられるわけでもない。それに、慣れていない子供が入るには、少々水が冷たすぎる時期となってきた。いくら見張りがついているとはいえ、足がつって溺れてしまう可能性もなくはない。
さらに、宗右衛門自身の頑張りもあって、誰かが手を掴んでいれば、ふくらはぎの辺りくらいまでの水中ならば動き回れるようにはなった。初めは水に足を浸けるのさえ怖がっていたのだ。七日に一度ほどで約四か月。彼にしてみれば、すごく進歩した方であろう。右京の言う通り、無理は禁物である。
そんなわけで、伊織にも間に入ってもらって左近を説得し、前回をもって一時中止と相成ったわけである。
宗右衛門が一人で自分達を待っていたこともあり、二人はてっきりそれに関する相談事かと思ったのだ。しかし、宗右衛門が慌てて首を左右に振ったので、一旦宗右衛門から視線を上げ、二人で目を見合わせた。
「じゃあ、何の用があったんだ?」
「……あの、さこんせんせいがおすきなのってなんですか?」
「は?」
「あー、あの人がお好きなのは……なぁ?」
「ごぞんじならおしえてください!」
「ご存知はご存知だが、そんなこと知ってどうするんだ?」
「……じつはですね」
宗右衛門はくいくいっと自分の方に手招く。二人はしゃがみ込み、宗右衛門の口元へ耳を近づけた。
一方、藤兵衛と彼に手を引かれる宮彦は、再び建物の中に戻っていた。自分達の部屋がある階を通り過ぎ、さらに上の階を目指していく。
後もう少しで最後の段という時に、階段横の部屋から部の竹の半蔵が出てきた。ふぅふぅ言いながら階段を登ってくる後輩達の姿を見つけ、部屋に戻って級友を呼び寄せる。
「おい、ちょっと来てみろよ。なんか小さいのが、さらに小さいのの手を引いて来てるぞ?」
「え?」
先程の講義の後片付けをしていた瀧右衛門はその手を止め、半蔵と共に外に出た。そして、階段の手すりに掴まって下を見下ろす。すると、宮彦の方が先に瀧右衛門達に気づいた。
「とーべー。あの、えっと、えっとねぇ」
「うん? ……あっ! たきえもんせんぱい、はんぞーせんぱい、こんにちは」
「おぅ」
少し待ち、最後の段まで自力で辿り着いた二人を、半蔵がぐりぐりと頭を撫でてやる。
地上から五階分。山中の石段ほどではないにしろ、結構な段数がある。もっと楽に会う方法、例えば、長屋で待っているなど、方法はいくらでもある。なのに、わざわざ大変な階段を登ってきてまで自分達に会いに来てくれたのだ。その心意気が憎い。
「どうした?」
「この階まで来るの、大変だっただろうに。さぁ、とりあえず入りなよ」
「はい。えっと、おじゃまします」
「ます」
さすがに疲れを見せた宮彦は半蔵が抱きかかえ、二人は部之竹の部屋へと招き入れられた。中にはまだ半蔵と瀧右衛門以外にも残っていて、二人が自力で登ってきたと聞くと、甲斐甲斐しく茶や菓子の準備をし始めた。
「それで? 何かあったの?」
「えっと、せんぱいたちにおききしたいんですけど」
「うん?」
「俺達に分かることなら何でもいいぞ?」
「えっと、さこんせんせいがおすきなものってわかりますか?」
部屋の中に、目に見えない閃光が走った。部之竹の全員の手が一瞬にして止まり、身体もろとも固まる。
「「……」」
長く続く無言に、藤兵衛は首を傾げた。
「せんぱい?」
「あ、いや。何でもない。すまん」
「先輩のお好きなものは……うーん。……やっぱり、絡繰り造りじゃないかなぁ」
それだけは言うまいと、思っていたところの瀧右衛門の発言である。本人除く部之竹皆から、非難の声なき声が彼に届く。
「だって、嘘を教えるわけにもいかないだろう?」
「にしたって、もっとこう……なぁ?」
藤兵衛の耳には、その会話は届いていない。半蔵達の言い争いをよそに、菓子を食べる宮彦をじっと見ながら、藤兵衛がぽつりと呟いた。
「からくりづくり。……そっか、そうですよね」
「役に立った?」
「はい! ありがとうございました!」
これで解決と、笑顔を浮かべた藤兵衛も、出された茶と菓子に手を付け始める。
それとは対照的に、半蔵達の心には不安が蔓延していく。それは、対象となっているのが左近である以上、どうしても仕方のないことであった。
そして、時をほぼ同じくして、小太朗と利助の二人も食堂でお菊の手伝いがてら情報を集めに来ていた。
小太朗は豆をさやから出し、利助は胡麻をすり鉢ですっている。その合間に尋ねられたことに、葉物野菜を洗いつつ、お菊は首を傾げた。
「そうねぇ。やっぱり、同じ代の皆かしらね」
「ほかには? なにかない?」
「えっと、おくりものにできそうなやつで!」
「贈り物にできそうなもの? ふふっ。貴方達から貰えるものだったら、何でも喜びそうな気がするけど?」
「なら、ふみとかでも?」
「えぇ。もちろん」
「えー」
確かに、師となる以前の左近であれば、当たり障りないよう器用に断ったかもしれない。しかし、今は違う。そうなった要因である彼らからの贈り物を無碍にすることは決してない。むしろ、お菊の言う通り、喜んで貰うであろう。
そうかなぁと、二人は少し物足りなげな様子で口を尖らせる。その自覚のない彼らに、お菊は改めて笑い声をあげた。
最後の一人。三郎も、もちろん相手の目星をつけて動いていた。
庭の周りを走り回っている彦四郎を見つけ、自分から飛びかかっていく。
「ひこしろーせんぱーい!」
「おぉーっ!」
「やーあっはっはぁー!」
彦四郎本人のせいであることが大半なのだが、後輩達が自分から近づいてくることが滅多にないため、これには彦四郎の機嫌もいや増すというもの。飛びかかってきた三郎の両脇に手を差し入れ、そのままぐるぐると回転し始めた。
元々、身体を動かすことが大好きな三郎も彦四郎と似た質なので、この二人の相性は抜群であった。いきなり始まった高速回転に三郎も怖がる素振りを全く見せず、むしろ歓喜の声をあげている。
三郎の声が枯れてきて、ようやく彦四郎は動きをとめた。声を上げ過ぎてぜぃぜぃと喉を鳴らす三郎を肩車してやり、そのまま井戸へ向かう。水を汲んで飲ませ、一休みしたところで彦四郎は話を切り出した。
「そういえば、なんか俺に用か?」
「あ、わすれてました。あの、さこんせんせいのすきなものって、なにかしってますか?」
「左近の? お前達だろ」
「ん?」
「ん?」
二人で、鏡合わせのように同じ方向に向かって首を傾げる。どういう意味か問おうと、三郎が口を開きかけた時。
「何を二人で首を傾げ合っているんです?」
吾妻が二人の騒ぐ声を聞きつけ、建物の中から歩いて出てきた。
「おぉー、吾妻」
「彦。貴方、少しやり過ぎですよ」
「すまん! ちょっと興がのってしまってな!」
「まったく」
にかりと笑う彦四郎に、吾妻もそれ以上はこの場ではとやかく言わない。すぐに三郎に視線を移し、目線を合わせるために身体を屈ませた。
「それで? 三郎は一体何が疑問だったんですか?」
「えっと、さこんせんせいのすきなものってなにかなぁって」
「左近の? まぁ、貴方達でしょうね」
身体を起こし、そう言い切る吾妻に、彦四郎も我が意を得たりとばかりににやりと笑う。三郎の頭に手をのせ、わしわしと撫でた。
「ほらな? 俺の言った通りだろ?」
「えー。そういうのではなくって! もっとほかの!」
「他。他ねぇ」
目を見合わせる吾妻と彦四郎に、三郎は期待に満ちた眼差しを寄越した。
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