戦国乱世は暁知らず~忍びの者は暗躍す~

綾織 茅

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第九章―織田木瓜と三つ葉葵

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 宗右衛門と主水の秘密の鍛錬が始まってから、早十日ばかりが過ぎた。
 暦は文月をまわり、暑さは一層増していく。
 夏場は黄昏時を過ぎてようやく涼しさが戻るため、翁の屋敷での合議も毎回その刻限に集まり出し、実際に始まるのは夜五つ20時になろうかという時分である。

 ただし、実際始まるのはその時分なのだが、里に残る八咫烏全員が集う合議では、全員に茶と茶請けが振舞われることになっている。そうなると、それらを用意する持ち回り番が必要である。その当番が、今回は伊織達の代となっている。

 そのため、左近達も雛達の鍛錬を終え次第、すぐに里へと下りてきていた。

 しかし、そうなると困るのは左近達よりも下の代である。当番ではないとはいえ、上の代よりも遅く来るわけにはいかぬと、非番の者はまだ陽のあるうちから里の雑用を手伝いつつ控えていた。


「厳太夫、勘助、庄八郎」


 茶を淹れた湯呑と茶請けを差し出しつつ、左近は目の前に座る三人の名を呼んだ。

 返事をしなければと三人も頭では理解しているが、それよりも何よりも誰がこれらを用意したのかが気になって気になって仕方ない。
 ちらりちらりと視線を部屋の中へやって、部屋の隅で吾妻と正蔵、兵庫が茶や茶請けの支度をしているのを見つけ、ほっと息をついた。

 ――よし。与一先輩じゃあない。これは飲み食いしても大丈夫なヤツだ。

 そして、ようやく左近の方へと顔を向ける。


「申し訳ございませんでした」
「何でしょう?」


 左近も、彼らが心配しただろう事は最もであると分かっているので、返事が遅かったことにとやかく言うつもりはない。

 早々に自分の聞きたいことを切り出した。


「宗右衛門の様子はどうかな?」
「どう、と、言われましても」
「それなりに頑張っているようですよ? 主水が吾妻先輩にこれ以上怒られないようにと」
「ん? 吾妻、何か言ったの?」
「いえ。ちょっと」


 新たに部屋に入ってきた者の茶を淹れていた吾妻は、ふいっと視線を逸らす。

 吾妻に何か言われたという話は宗右衛門からも主水からも聞いていなかったので、左近は首を傾げるばかり。


「まぁ、まだ生まれたての小鹿並みにぷるぷる震えてはいますが」
「なにそれ」
「先輩もたまには様子を見に行っては?」
「うーん。しばらくはやめておくよ。君達みたいに滝から叩き落すのは忍びないし」
「俺らもあんっ……貴方の後輩ですよねっ!?」 
「何言ってるのさ。だからだよ」
「はいっ!?」
「おい。よせ、勘助。やめろ」


 その左近達の話声に、近くで任務帰りで気が立っていると思しき上の代の者が声を荒げた。


「お前達、静かにせんかっ!」
「よいよい。以之梅のことであろ? お前もそう怒鳴ってやるな」
「……翁がそうおっしゃるなら。……お前達、合議中は慎むように」
「「はい」」


 そうこうしているうちに刻限となり、皆も集まり終えた。
 今回の合議の主題は、学び舎の安寧を犯した報復対象に関する報告である。

 諜報の任務についていた吾妻と彦四郎が少し前に進み出て、翁に再度報告する形で皆にも告げる。


「今般の対象である、岡崎城主は狩りだけでなく舞踊も好むということで、下洛してきた公家とその家人という設定で岡崎城下に滞在。の近侍にも歌舞音曲、武芸に手習いまで大変優れた者がおりまして、まずその者の目に留まるよう事を運びました。その後、無事城主とも面会が叶い、日をあけず都の話や舞いを披露しに来るようにと請われましたので、その際、城内のあらかたの縄張り図を作製しております。それは、こちらに」


 吾妻が懐から折り畳まれた紙を取り出す。
 皆が覗き込むと、何があらかたかという思いが頭を過ぎる。仔細に至るまで丁寧に書き込まれているというに、これ以上どこを整えるというのだろうか。

 そして、その感嘆と呆れが入り混じる空気の中、彦四郎が言葉を続けた。


「吾妻が対応中、女中や僅かに残された侍達にそれとなく話を聞きましたところ、城主は我らの代が支城を落とした際の話は、例の城主と国人達の仲違いによるものとしてさほど重要視していないようです。その代わり、徳川殿の重臣である酒井殿は危惧されていたようで、岡崎城に三河国衆が詰めることは不要であるという命を一時撤回してもらいたいと、先ごろ徳川殿へ書状を出したようですが、許可はおりなかったとのこと」


 彦四郎が言葉を切ると、再び吾妻が引き継いだ。


「また、築山殿と武田家の内通を証明する偽書を、誤って・・・城主のご正室であられる御方様のお付きにお渡ししております」


 二人は口角を上げ、翁を見る。

 誤ってもなにも伊織の策通りわざとであるわけだが、渡されたお付き女中の様子を思い出しているのか、見たところ随分と満足げである。さぞや相手の良い顔が見られたのであろう。

 翁が持っていた扇子を膝に打ち付け、パチンと音を立てて閉じた。


「土台は揃ったというわけじゃな?」
「はい。我々の見立てですと、ひと月、ふた月程で全て終えられるかと。御方様は大層熱心にその文をお読みになっておられたということでしたから」
「そうか。それは何より。……報告は以上か?」
「はい」
「うむ。吾妻に彦四郎、ご苦労じゃった」


 二人は労いの言葉に頭を下げ、元の位置へと擦り下がった。

 その後、翁から各代に向けて追加で命が下り、伊織の策をさらに効果的なものにするべく詰めていく。

 皆で最終確認をし、それぞれが己の役目をわきまえる。
 こうも大人数で事にあたる以上、勝手は禁物である。それを今一度、翁は皆に示した。

 話が一段落し、そろそろ解散となるかという時であった。


「それはそうと……左近、与一」
「「はい」」
「団次から先の肝試しでの一件、聞いておるぞ? 下の代が可愛くてならんのは分かるが、ほどほどにするように」
「はい」
「承知しております」


 左近と与一はにこりと微かな笑みを口元に浮かべる。

 それを見て、厳太夫達下の代が思うところはただ一つ。
 ――この人ら、ちぃとも反省してねぇな。

 もちろん、それは翁や周りも分かっているだろうが、翁に対して承知の返事をした。それだけで翁はともかく、他はそれ以上何も言えなくなる。

 今回、さすがに二人にとっても如何いかんともしがたい事態となったことは翁も承知しているため、翁自身もそれ以上とやかく言うつもりはなかった。


「では、各々自分の役目を果たすがよい」
「「はっ」」


 八咫烏の面々は一斉に頭をざっと下げ、それぞれ部屋を後にしていく。

 伊織達の代も、学び舎へ戻る前に後片付けをすまそうと、動かす手を早める。厳太夫達も湯呑を集めたりなど、自分の周りのことには手伝いを申し出た。


「あぁ、そうじゃ。伊織、お前は残るように」
「分かりました」


 片付けを全て終え、部屋を出ていこうとした伊織を翁が呼び止めた。

 伊織は部屋の中から顔を出し、既に部屋を出ていた左近達に向かってじとりと半眼を向ける。


「お前達。今、俺の部屋は兵法書が広がっているから、今日は俺の部屋に集まるのは無しだからな」
「えー」
「そんなの気にしないのにー」
「かまへん、かまへん。行こ行こ。どうせ散らばるんやし」
「だーかーらぁ、お前らなぁ! 部屋の主が駄目だって言ってんだろうが!」


 一旦翁に断りを入れ、部屋を出た伊織は皆の所へ飛んできた。
 先手を打って却下したというのに、それでもあえての強行突破を宣言されれば無理もない。

 そこへ、湯呑を洗いに行っていた吾妻と正蔵、兵庫が戻ってきた。三人は合議後の自分達の習慣を鑑みて何を揉めているのかすぐに察知したようだ。

 はいはいと、吾妻が蝶と伊織の間に手刀を振り下ろし、両者の間をあける。


「伊織、大丈夫ですよ。今回は正蔵と蝶の部屋にしましょう」
「げっ!? 何言うてはんの!?」
「さぁ。先に戻って片付けるなら、今のうちですよ?」
「なっ、えっ!? ちょお、待ってや! 正蔵! ぼさっとしてる暇やあらへんで! はよ行かな!」
「えっ? 僕は見られて特に困ることは」
「連帯責任! ほら、はよう!」
「そんなぁー。うわっ! ちょっ、待って!」


 途端に慌てだした蝶に腕を引っ張られ、正蔵はそのまま走って連れて行かれた。

 結局、あの様子では入れるまでに時間もかかろうと、伊織と翁の話が終わるまで他の皆は別の部屋で待っており、蝶と正蔵以外は皆で帰ることになった。

 ちなみに、その後二人の部屋に行ったのだが、明らかに物が詰め込まれているだろう押し入れの戸から、布団の端が見え隠れしていた。

 正蔵は苦笑いを浮かべ、なるべくそちらへ視線をやらず。
 一方、もう一人の部屋の主はといえば、へへっと反省の色なく笑っており、常日頃からもっと整理整頓をするよう言ってあっただろうがっ!と、頭に角が生えた伊織から雷が落とされたのは言うまでもない。

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