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第四章―それぞれの覚悟

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 山の中腹にある高台。
 見晴らしの良い開けたその場所は、八咫烏達にとっていずれかえる土地である。襲撃の晩から日をまたいだ今日もまた、この地に同胞がほうむられた。その数、九つ。

 八咫烏の埋葬方法は、里にむくろがあれば火葬で執り行うと定められている。そうでなくとも葬送の送り火として、必ず火をいてきた。

 ここは山に囲まれた土地。骸を骨となるまで焼くまきになる木には事欠かない。刈り取られた後にはまた新たな木の苗が植樹され、この山の木の一部となる。

 そうした埋葬方法は、この土地に根差した初代から続けられてきた。


「……」


 墓穴はかあなを掘るために持ってきた踏鋤ふみすきを地面に突き立て、それにもたれかかるようにして、空を見上げる青年が一人。かかとをつけたまましゃがみ込んだ青年――左近の視線の先には、火葬を終えて消火を待つだけとなった間、名残りを惜しむかのように天高くくゆる煙が一筋、穏やかな風になびいている。

 以之梅の五人には、今日は長屋の自分達の部屋で大人しくするように言いつけてある。それは左近が自分に命じられた役目を果たすのと、この葬送に立ち会うためであった。

 今日埋葬した者達の中には当然世話になった者も多く、その者達との思い出が走馬灯のように頭を巡っていく。
 こんな時に思い出すのは、共に切磋琢磨せっさたくました鍛錬の時間ではなく、何気ない日常での会話だった。他愛もないことで笑い、喜び、怒り、泣いた。そんな日々。今日の飯に好物が出るだの、里の女から想いを告げられただの、やれ罠の仕掛け方をもっと考えろだの。そんなこと。もっともっとあるはずなのに、そんなこと。でも、それでも、大切な想い出だったのだと知れる。


「……お疲れ様でした」


 流した涙は両目から一筋。手向ける言葉も一言。

 それでも、それには大切な同胞への惜別せきべつの念が十二分に込められていた。


「……っ。せんせっ」


 かすれ聞こえる声の方に目を向けると、骨壺を埋めた盛り土の傍で、学び舎の師であった男の名を嗚咽おえつ混じりにこぼす雛達が並び立っていた。

 保之竹の師であったという彼は、大層雛達に好かれていた。
 訃報を聞いた雛達は、最初その知らせを告げた八咫の者に掴みかかったという。信じられず、嘘をつくな、と。本来そのような態度を取ることは許されていない酷い剣幕で。
 ようやくその知らせが真のものであると知れたのも、骸となった当人に引き合わせた時だったらしい。膝から崩れ落ちる者、骸に駆け寄る者、その場に立ち尽くす者。その反応は様々だったというが、心にぎるものには変わりなかっただろう。

 彼らの姿に、左近は彼が教える以之梅が師の死を知らされた時の姿を見た。そして、それは決して遠くない未来に必ず訪れる。
 以之梅に今だ師の死を知らせないのも、彼らの幼さだけが理由。しかし、あと二年も待たずしてこの学び舎を出る保の年の子供達は、十分に知る必要があった。


「いいか、お前達。今から少し難しくて厳しいことを言う。聞きたくないことかもしれないが、ちゃんと聞け」


 左近と共に墓穴を掘るために来ていた隼人が、子供達に静かな声音で声をかけた。その言葉に、子供達はなんとか自分達の背後に立つ隼人に向き直る。


「死は、どんな生物にも等しく訪れる。それが早いか遅いかの差だけで、どんな存在も特別扱いされることはない。泣くなとも悲しむなとも、今、この場では言わねぇよ。お前達の気持ちがよく分かるともな。それはお前達だけの気持ちだ。……でもな。それを外に見せるのは、今日、この場だけにしろ」
「だから……だから、死に慣れろって言うんですかっ!? こんなっ、こんなことで失ってっ」


 子供達の中でも一番勝気な少年が隼人にみついた。
 左近も周りにいる八咫烏も、つかみかからないうちは見ているだけに留めるが、それも時間の問題だろう。


「先輩はっ、大切なものを失ったことがないから……っ」
「それ以上口を開けば容赦しないよ」


 いつの間に移動したのか。左近の片手が、少年の頬を鷲掴みした。

 少年も、その隣にいる子供達も知らないのだ。子飼いの生き物達を含め、同じ代の友、かつての師の一人、数多の同胞。大切なものを失う痛みを、隼人は誰よりも知っている。
 彼らは知らずとも、左近は傍で見てきた。その度に、隼人が人知れず、ひっそりと涙を流していたことを。


「何も知らないくせに、そんな口を叩けるようになるほど強くなったの? ん?」
「……っ」
「おい、左近。よせ」
「隼人は黙ってて」
「黙っててって、そういうわけにもいかないだろ。お前の握力でそんな掴み方すんなって」
「じゃあ、こういう掴み方じゃなければいいの?」


 そう言って左近は手を離すと、今度は少年の胸倉を掴んだ。それを見て、隼人は困ったように眉尻を下げる。

 組の垣根を越え、仲の良い彼らの代。その中でも、長屋の部屋も同じである彼ら二人のきずなは固い。そんな友に浴びせられた少年の心ない一言は、知らなかったこととはいえ、そう簡単に許せるはずもない。

 普段は飄々ひょうひょうとしているくせに、一度導火線に火がつけられれば、あっという間に爆発してしまう。こんな姿、まかり間違っても自分の教え子には見せないだろうが、見せた時にはきっとしばらくの間はおびえられることになるだろう。

 こんな時、常であれば隼人が抑えにかかるが、今回は当事者の一人でもあるため、それは望めない。彼らの代の頭である伊織は、今後のことについてそれぞれの代の頭だけが集まる合議のため、日の出と共に館に出向いていて不在である。


「口はわざわいの元だと、学ばなかった?」
「お前が言うか。……って、そうじゃなくてだな」


 隼人がどうしたものかと考えあぐねている時、左近の背後から彼の頭に向けて拳が振り下ろされた。


「……何するんですか」


 左近の背後を取った伝左衛門に、左近は首だけ後ろを向けて睨みつけた。


「何するんですかじゃねぇよ。その手を離してやれ」
「嫌です」


 隼人と同じことを言う伝左衛門に、左近はふいっと顔をそむけた。


「あんだと、こら」
「先輩は邪魔しないでください」
「邪魔してんのはお前の方だよ。隼人がこいつらをさとしてる途中だっただろうが」
「せっかくの隼人の助言を最後まで聞くことなく、あまつさえ口答えするような奴に、諭すという生易しいやり方では一生かかってもその意味が分からないと思いますが」
「馬鹿たれ。だからって、怒っていいのは隼人だけだ」
「だから、僕はただ怒っているのではなくて、そのふざけた根性を叩きなおしてやろうと」
「もうお前いいからこっち来い!」


 少年の胸倉を掴む左近の手に手刀を食らわせ、すかさず襟首を掴んで届かない場所まで左近を引きずっていく。弁の立つ後輩を持つと苦労する。伝左衛門とて同胞を失い、感傷に浸りたいのにその時間すら満足に与えられない。

 こちらはこちらで懇々こんこんと説教をし始める伝左衛門と、それを受ける左近を横目に、隼人は再び口を開いた。


「誰にでもいつかは訪れるものだからこそ、人は必死に生きようとする。護りたいものがあればあるだけ、生きようとする。お前達の師あのひとにとって、自分の矜持きょうじもそうだが、なにより護りたいものはお前達だったんだろう。……そして、そんなお前達は、あの人の死によって最後の教えを受けた。なんだか分かるか?」


 子供達は隼人の顔を見つめるだけで無言を貫いた。


「それは、死を正しく恐れろ、ということだ」
「……恐れはっ、忍びの、三病の一つ、ですっ」
「あぁそうだ。だが、感情がある人である限り、それを文字通り厳守することは難しい。だから、恐れるんだ。恐れ過ぎてもいけない。恐れなさ過ぎてもいけない。正しく恐れる心を忘れた忍びは、結果として命を落とし、もたらすものは何もない」


 隼人は一度言葉を区切り、既に先に逝った友が数人眠る木の下に目をやった。


「お前達は身近な者の死を知った。その涙を忘れるな。その痛みを忘れるな。その痛みは、将来、己が同じ状況に陥った時、死んでなるものかと己を奮起させる力となる。任務を果たすということももちろんだが、なにより己の大切な者達に同じ想いをさせないための、な」
「……」
「だからこそ、正しく恐れろ。死は等しく訪れるが、少しでもそれにあらがってみせろ」


 そして、隼人は視線を子供達に戻し、先程まで左近に掴みあげられていた少年の頭に手を乗せた。


「大切な何かを失った者は、それに捕らわれて抜け出せず弱り果てるか、前を向き、それに見合った己になろうと強くなる。……お前達は、どちらだろうな?」


 ぎゅっと握られた子供達の拳はまだ固い。

 けれど。

 彼らは再び滂沱ぼうだの涙を流した。それは先程と違い際限のないものではなく。今、このひと時に流し切ろうとしているようだった。それを見るに、隼人の問への答えは窺い知れる。

 そんな子供達を、隼人は腕を広げ自らのふところの内に抱きしめた。

 子供達にとって、隼人のその温もりは、彼らが以の年の時に同じようにして与えられ、味わった懐かしいもの。それは今もなお変わらず、とても温かかった。
 もう会えない師に抱きしめられた時とはやはり違う。けれど、どちらも温かかった。

 それを思い出して、さらに涙が出た。

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