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第四章―それぞれの覚悟

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 夜は長く、まだ明けることはない。
 地下では子供達が身を寄せ合い、互いを励ましあっている。救いなのは、この地下まで地上の音が漏れ聞こえてこないことだろう。


「……誰か来る」
「はい」


 階段を下りてくる音がする。正蔵と八咫烏の先輩にあたる男が得物を構え、入り口の左右を固めた。それ以外の八咫烏達も子供達の前に立ち、息を詰める。


「お前達、向こうをむいていろ」
「え?」
「早く!」
「さぁ、皆。言われた通りに」


 いいわね?と、お菊が意味の分かっていない年少の者達に言い聞かせ、入り口とは反対側に寄せ、壁の方を向いて座らせる。年嵩の子供達が自分より下の子供達をかばうようにして座り、その子供達を背にして腕を広げるお菊自身は、しっかりと入り口の方へ目を向けていた。

 足音の主がここまで辿たどり着くのにあと少し。正蔵達の得物を握る手にも力がこもる。


「……っ」


 足音の主が姿を入り口に見せると同時に、正蔵達の得物が足音の主の首元に交差して止まった。あと一瞬でも気づくのが遅ければ、二人の得物が足音の主の首を飛ばしていただろう。


「いやぁ、勘違いで殺されたくはないかなぁー」
「……与一」


 手を上げて見せる与一に、張り詰めた緊張の糸が僅かに緩んだ二人がそれぞれ得物を下ろす。下りてくる時には声をかけろと叱責しっせきされた与一は、笑みを浮かべてそれをかわした。

 誰かを探すように中を見渡す与一の目が、雛達の中のある一点で止められる。


瀧右衛門たきえもん。君の日頃の成果を見せてもらう時が来たよー」
「え?」
「さぁ、早く。僕について来て」
「は、はい!」


 名を呼ばれた少年が立ち上がり、与一の元へ駆けていく。

 こうなることを望んでいたものの、いざその瞬間がやってくると緊張するのか、表情が強張っている。しかも、自分一人だけなのだからなおさらだ。
 少年と同じ部の年の他の雛も、一人先を行く友を羨ましという感情より心配の情の方が勝ち、じっと見つめている。


「与一。雛を連れて行くのはどうかと」
「大丈夫。伊織の許可はとってるからー」
「伊織の? なら、仕方ない、のかな?」
「そうそう。ほら、行くよ」
「はいっ」
「気をつけて」
「はい」


 与一が少年――瀧右衛門を連れ、再び地上へ戻っていった。

 地上には与一以外にも医術の心得のある者は少なからずいる。ただ、そのうえさらに雛にも手伝わせる事態となっていることに、この場に残る八咫烏達の間にも目に見えない範囲で僅かに焦りが見えた。

 すると、しばらくしてまた誰かが下りてくる足音がする。再び正蔵達が得物を構えようとしたが、杞憂きゆうに終わった。


「正蔵。俺だ。今から下りる」


 伊織の声が先にして、少し経った後に本人が地下室に姿を見せた。八咫烏達が皆、伊織へと駆け寄る。もちろん、地上の状況を確認するためである。


「あまりかんばしくはない……いえ、なかったというべきでしょう。先程、賊の雑兵にまぎれた吾妻と彦四郎が、賊の頭と思われる者を捕えたと報せが。なので、現在は指示系統が総崩れとなった烏合うごうの衆を仕留めにかかっています」


 わっと沸き起こる安堵の声に紛れ、伊織達の先輩にあたる男は声量を落とした。


「実際は?」
「今のところ、十名が重傷。……それとは別に、分かっているだけで、九名が……」
「……そうか」


 同じように声量を落としつつ、言葉をにごす伊織に、傍にいた八咫達は表情を曇らせる。

 五十名ほどのうち、半数近くが死傷。これでは手放しに勝ち戦と喜んでばかりもいられない。着々と戦力をぎに来ている賊共に、次はほぼ確実に落とされる。

 翁の指示を待ち、その後速やかに事を動かすことになるだろう。

 
「そういえば、与一が瀧右衛門に治療の手伝いをさせるって連れて行ったんだけど」
「は? 瀧右衛門はまだ雛だろう?」
「え? 伊織の許可はとってるって言ってたけど?」
「……やられた」
「え?」


 額を押さえる伊織に、正蔵はまさかと顔を青くする。


「俺はあいつに、人手が足りないから手伝わせてもいい?と聞かれたんだ。で、左近の方を指していたから、暴走する前に丁度いいと思って許可を出したんだ。……今考えると、左近がいた方向に館があった」
「正しくは許可してないってことか?」
「……いえ、あいつに上手く誘導された俺の失態です。今さら連れ戻してももう遅いでしょうし……やらせましょう」


 まさかまさかのことが起こるのが戦だが、よもや身内から中のことでまさかな出来事を起こされるとは。

 伊織は固まっている子供達の元へも行き、声をかけた。


「せんせい! さこんせんせいと、はやとせんせいはごぶじですか!?」
「あぁ」


 小太朗が尋ねた問いの答えに、以之梅の五人が手を取りあって喜ぶ。


「……黙々と仕掛け罠を発動させ回っている奴が、無事でないはずがない」


 正蔵達もその喜ぶ姿を見て、心休まるのも束の間。伊織が付け加えるように呟いた一言が、妙に空恐ろしく感じられた。


「まぁ、とにかく烏合の衆とはいえ、まだ数は多い。もうしばらくの辛抱だから、ここでじっとしていろ。分かったな?」
「「はいっ!」」


 伊織は後を再び正蔵達に任せ、地上に戻っていった。

 先程までの鬱々うつうつとした空気は薄れ、皆の顔にようやく安堵の色が見える。先の襲撃時は伝令すらままならず、地上に戻されるまで何も分からない状況が続いたからなおさらである。
 安心できると不思議なもので、どこかに行っていた眠気が突然襲ってくる。三郎が大きな欠伸あくびをしたかと思えば、保の年の雛が膝を貸してやるから休めと言う。その言葉にありがたく従った三郎はそのまま横になった。他の以の年や呂の年の子供達も目をこすり始めている。


「皆。後で起こしてあげるから、そのまま寝てしまいなさい」


 お菊がそう言うと、年少の子供達はその場にそれぞれ横になった。目を閉じると、お菊が寝かしつける口調で優しくうたう子守歌が耳に入る。

 地上では血と硝煙と苦悶くもんの声が辺りに満ちる。けれど、地下に満ちるのは、子供特有のそれぞれの体温と、優しい子守歌。

 対照的なその境界は、本当はとてももろい。

 その一例である、与一に連れられた瀧右衛門は、目を覆いたくなるような現実を前に、必死で手を動かしていた。いつか役に立てるようにと覚えた止血法。鍛錬で怪我をした時のものとは比べ物にならないほどの流れる血を見続けた。これが現実、これが戦、と、自分に言い聞かせながら気を奮い立たせる。


「恐れるな」
「……っ!」


 治療していた男から声をかけられ、瀧右衛門はハッとして顔を見る。血の気が引いて顔色が悪い。一番酷い出血箇所は与一が焼きごてで焼いて塞いだ。それでも、それ以外からにじみ出る血を止めている真っ最中で、本来なら声を出すべきではない。言葉を発しようとすると、微々たるものとはいえ力が入り、それが血を流れやすくしてしまう要因となる。八咫の忍びならそれが分かっているだろうに、それでも雛と分かってか声をかけてきた。


「恐れは、敵だ」
「……はいっ」


 瀧右衛門は大きく返事をして、一度深呼吸をした。

 この時代、これが普通なのだ。
 今までが先輩達や学び舎の師達に、見えないよう、見せないよう守られていただけで。

 自分は、年が明ければ八咫烏へ上がる部の年。地下で後輩達に語った覚悟は揺るがせてはいけないし、揺らがない。なにより、皆よりも一足早く現実を知ってしまっただけ。同胞の生死に、本人以外で一番に向き合わなければいけない自分がこんなことでどうするのか。
 
 瀧右衛門の表情が変わったことが分かった治療を受けていた男は、目を寸の間細め、そのままそっと閉じた。

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