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第一章―雛の笑み
ち
しおりを挟む閉めきった戸の向こう側。外の闇の中から、梟の鳴き声がか細く聞こえてくる。
翼をはためかせる羽音や草を踏みしめる音がし始めたのは、夜行性の動物達が狩りなどを始めたためであろう。
雛達が眠る長屋の方からは健やかな寝息が漏れ出す亥の上刻。
飼っている狼や梟達の様子を見に外へ行っていた隼人が戻ってきた。帰りに食堂に寄ってきたのか、その手に持っている盆には、二人分の湯呑と握り飯をのせた皿がのっている。
部屋で一人静かに読み物をしていた左近は机の上の場所をあけ、そこに隼人が持ってきたものを並べていく。握り飯も二人分あったが、元々食が細い左近は湯呑だけを受け取った。
「ありがとう」
「教師一日目、お疲れ」
「隼人もね」
薄く微笑む左近の視線はすぐに手元の冊子に落ちた。
「なに読んでたんだ?」
「あぁ、これ? 高槻先生が書いていた日誌だよ。皆のことが細かいところまで書かれている。先生、真面目だったもんね」
「……あぁ」
その日誌に綴られているのは几帳面な字で、子供達の性格やそれに沿った今後の指導方法、その日の出来事など。後で書き足そうと思っていたのか、ところどころ空白の部分も残ったままである。
その部分を、左近がそっと撫でた。
「ねぇ、隼人」
「あ?」
「襲撃犯の首謀者、あとどれくらいで分かるんだろう?」
「……団次先輩達が走り回ってるんだ。すぐに違いない。……堪えろ。まだだ」
「うん。分かってる」
閉じられた日誌の書き手は、もう既にこの世にない。
散らす命があるならば、散らされる命があるのもまた道理。
けれど、それを黙って受け入れられるほど、人間ができているわけでもなかった。
子供達には決して見せられないような烈しさを持つ怒りは、まだどこにも矛先を向けられず、火の気のない煙のように燻り続けている。
そして、左近と隼人が部屋の外から中を窺う気配に気づいたのはほぼ同時であった。お互いに目配せし、確かめ合う。
しかし、すぐにその気配の主達に声をかけることはしなかった。
「僕達五人全員が再び集えたのは奇跡だよね。先輩達や他の組には散って逝った者も大勢いる」
「だからこそ、だろ。俺達は彼らに次代を託された。学び舎始まって以来の問題児揃いの代と言われた俺達が、だ。この奇跡を必然だったと思えるように、俺達の技術を雛や後輩達に盗ませるんだろ? ……ま、盗めるもんなら、だけどな」
「そうだね。頑張ってもらわないと」
「だろ?」
わざと聞こえるように話をしながら、隼人が足音を立てないように戸へ忍びより、さっと戸を開け放った。
「お前らも入って来いよ」
「ははっ。やっぱりバレてたか」
「あたりめぇだ。俺が茶と夜食を食堂から持って出てきた時から、後ろをふらふらついてきてただろうが」
源太と、その後ろに兵庫と伊織も揃っていた。
かりかりと頬をかく源太を隼人が軽く肘で小突く。
「いやー。お前らの部屋って相変わらず入るの怖くてさ。隼人の飼ってる動物やら鳥やらが飛び出してくるか、左近の仕掛けか。良くてどっちか悪くて両方。わっかんねぇからなぁ」
「流石に僕も戻ってすぐに数カ所同時進行で取り付けるのは無理だよ」
「え? もう作ってんのか? どこだよ。教えとけよ」
「おまっ! 俺があれほど仕掛ける時には、せめて俺達には先に教えて回れと!」
「ごめんごめん。忘れてた」
あっけらかんと答える左近に、伊織は頭を抱え込んでその場に蹲ってしまった。言い聞かせても言い聞かせてもこの調子なのだから、いっそ自分の言い聞かせ方が悪いのかもしれない。そんな反省すら伊織の頭を過ぎっていく。
全員を部屋の中に招き入れ、隼人が戸を閉めようとする。すると、戸にのばした隼人の手の下から、他にもまだ部屋の中を覗き込む者がいた。
「あれあれー? 面白そうなことやってるねー。僕らも混ーぜーてー」
楽しげな声をあげたのは、濡れた髪に手拭いをあてている与一であった。その後ろにいる慎太郎や吾妻、彦四郎の髪も同じように濡れている。
そういえば。隼人はこの四人が山中に湧いている温泉に入ってくると言っていたことを思い出した。
「与一。俺は部屋に戻る」
「えっ、戻っちゃうのー? まだ頭も乾かないし、話していこうよー」
断られることがないと分かっている与一が返事よりも先に部屋へ入ろうとすると、少し眠たげな慎太郎が与一に声をかけた。今日の昼間、慎太郎は山中の哨戒担当であったので、疲れがたまっているのかもしれない。
隼人としては寝かせてやりたい気もしたが、慎太郎と長屋で同室の与一は基本的に人を振り回す質である。今もまた、抵抗する気もなくして大人しくしている慎太郎の腕を引き、部屋の中へと入っていった。
いつの間にか、部屋の中には同じ代の竹組、梅組が揃っている。こうなると、残るは松組の二人。
「仲間外しはよくないな。俺、二人も呼んでくる!」
「ついでに足りない分の茶となんか食べるもんもー」
「りょーかい!」
そう言って走っていった彦四郎が戻ってきた時に持ってきたのは、何やら不機嫌そうな蝶と、苦笑交じりの笑みを浮かべた正蔵。それから、それなりの量の食事の残りと茶……ではなく酒であった。
机に並べられたのをみると、これから始まるのはただ集まって話すのではなく、もはや宴会の様相を呈している。
酒ではなくて茶だ。足りないどころか多すぎだ。しかし、ついていかなかった自分も悪いのか。と、彦四郎の目付け役である吾妻は額に手を当て、目蓋を閉じて顔を天上へ向けた。
一方、一人顔をしかめている蝶に何があったのかと聞けるはずもなく、隣に座った正蔵に伊織が尋ねた。すると、正蔵も正蔵で、別に大したことでは、と、顔を僅かに背けて言葉を濁した。
強引な所が目立つ彦四郎のことだ。おそらく床につこうとしていた二人を無理に引きずってきたのかもしれない。さもありなんと、伊織もそれ以上は聞かなかった。
「ごほん。では、代表して乾杯の音頭を……伊織先輩、どうぞ!」
「俺かよ! ……まぁ、いいけどな」
全員に盃が回ったことを確認した彦四郎が、少々気が緩んで油断していた伊織へとお鉢を回す。
思わず声を荒げた伊織だったが、全く問題ない。これくらいの無茶ぶりならば過去に何度もあってきた。むしろ、その無茶ぶりの中でもましな方である。
伊織が背を正すと、皆も自然とそれにならった。
「今回、俺達がこうして戻された件に関して、思う所ある奴がほとんどだと思う」
「我らが同胞、そして雛達に刃を向けた輩へ報復もままならぬとはな」
「立派な首輪だよね。雛達の師という立場の鎖は、そう簡単に弛まない」
「……あぁ。だが、常識外れなのが俺達の代だろう? ただし、情報を待て。先輩達は敬わなければならない。我ら忍びの本分である、情報収集の花形はお譲りしよう」
自分も行きたいとごねそうな彦四郎や左近、与一は何も言わない。それは知っているからだ。情報を集める意味を。その先を。
その証拠に、左近と与一は不敵な笑みを漏らしている。
「集まった後は?」
隼人のその言葉を待っていたと言わんばかりに、伊織もニッと笑う。
「俺達の領分だ。各々、存分に腕を揮わせてもらおう。当然だろう?」
伊織が上げた盃に、二つ返事で応えた皆も続く。
起こさずともよいものを起こした襲撃者達は僅かな間、泡沫の甘い夢を見ていることであろう。その後に待つ、自らに課せられた代償も知らず、考えず。
知らずにいられるということは、なんと幸せなことなのか。
飲み干された酒の雫がついた唇を、伊織は舌で拭い取った。そのまま、その唇は緩やかに弧を描いていく。
情報を、手ぐすね引いて先で待つ。彼らは、鳥は鳥でも知恵を持ち、鋭く磨かれた爪を持つ烏達。静かに宿り木を飛び立つ彼らは、獲物を決して逃さない。
そう、決して。
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