脱走王子と脱獄王女

狐島本土

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エピローグ

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「テオ。わたし今日はもう休むね」

 ルーヴァは話も途中で出て行こうとする。

「ちょっと待って」

 オレは引き留めようとした。

「隠し事があるのはわかってるよ?」

 だが、振り返ったルーヴァの予想外の言葉に、硬直してしまう。なんのことを言っているのかわからなかった。だが、オレの中には確かに隠し事がいくつもある。

 偽法の条件。

 愛玩奴隷としての人生。

 転生してきた異世界人であること。

 無価値な男であったこと。

「ルーヴァ、オレは」

「いいの。わたしだって隠し事はあるから」

 首を振って、そう言うと部屋を出ていった。

「アニキ」

「……」

 頭をくしゃくしゃと掻いて、言葉を探す。

 無力だ。

 正直に話すしかない。

 結論はとっくに出ている。

 先のことを考えすぎていた。魔王になる。それは大事なことだ。けれど、オレはルーヴァを結局のところ騙している。騙したまま魔王になって、それで良かったということには、たぶんならない。わかりきっていた。

 隠し事があるという気持ちは変わらない。

「ベロン。獣車を操れるか?」

 オレは言った。

「! もちろんですぜ!」

「うん、なら、これからよろしく頼む。だから、今夜はもう邪魔しないでくれよ?」

「アニキ、ベッチョンベッチョンだ!」

 まったく響かない励ましだ。

 ルーヴァの部屋まで追いかけて、ドアをノックする。緊張している。不安なのだ。隠していることを、オレという人間が何者なのかを口にしてしまえば、なにもかもが終わってしまうような気がしている。

 オレだって勢いだった。

「ごめんなさい。わたし、今夜は一人に」

 ドアを開かず、向こう側からくぐもった声でお断りされる。正直なところ、ホッとする気持ちがある。言わなくていい、相手がそのアリバイをくれることに、逃げる気持ちが喜んでいる。

「ルーヴァ」

 だが、それではダメだ。

「偽法、ってキスした相手の魔力を奪うんだ」

 ガン!

 ドアが思いっきり開いて、オレは突き飛ばされるように廊下に尻餅をつく。開いたドアに身体を隠すようにして顔をのぞかせたルーヴァの目が見開かれていた。

「それって」

 ドアノブがバチバチと電気を帯びている。

「マリにキスをされた。説明はなかったけど、たぶんオレが魔王の証を持ってることに気付いてたんだと思う。力を貸してくれた」

「そ、そう、なの。なら、しょうがないわね」

 口ではそう言っていたが、ルーヴァの目はまったく納得していなかったし、ドアノブから木製のドアが焦げた臭いを出してもいた。

「それだけじゃなくて、精霊騎士の力も偽法はたぶん奪えると思う。ランナに拾われて女装させられた後、同僚の精霊騎士から逃げるために、愛玩奴隷としての経験を使った。簡単に言うと……」

「言わないで!」

 ルーヴァが叫ぶと同時にドアが弾けた。

「テオ。違うの。わたしは、隠していることをすべて喋ってほしい訳じゃないわ。もう過ぎたことだもの、知らなくていいなら」

「ルーヴァ……ッ!」

 部屋に引っ込もうとする王女の手を握る。

 ビリビリと雷が全身を走って、意識が遠のきそうになり、膝が落ちるのを、なんとか堪える。これは耐えなければいけない痛みだ。

 オレたちが向き合うために。

「無茶よ、耐えられない」

「聞きたくないことはあると思う。わかる」

「わ、わからないわ。テオは、い、いろいろと経験があるんだもの。わたしの、だって、偽法がそうなら、わたしはそれを認めるしかないんだから。テオが、わたし以外と」

「怒ってくれていい」

 力を込めれば簡単にふりほどけるオレに捕まれて魔力を抑えている、そんなルーヴァにオレは言った。その優しさに甘えてはダメなのだ。

「今ならまだ、間に合う」

「なにが間に合うの?」

「オレをルーヴァの手で殺すこともできる」

「!」

 驚くルーヴァのもう一方の手を掴んで、オレの手を両手で握って貰う。これから喋ることで、本心ではオレを許せないと思えば、たぶん死ぬことになるだろう。

 もう、ほとんど立っているのでやっとだ。

「最後のチャンスだ」

「なにを言ってるの? わたしがテオを殺すなんてことありえないわ。だって」

「もし、ルーヴァの魔力を偽法で手に入れたら、その雷じゃ、オレを殺せなくなるかもしれない。そういう意味だ」

「ぶっ」

 鼻血が前に飛んできて、顔にかかった。

「え、それって、わたしと」

「キスしたい」

 オレは正直に言う。

「だけど、話を聞いてからにしてほしい」

「う、うん」

 ルーヴァは、部屋の中にオレを引き込む。入り口のドアは壊れたが、中の部屋のドアはまだ残っているので外から聞かれるのを避けようという判断のようだ。キセーが暗殺を画策してたことを考えると、他の客などたぶんいないとは思うが。

「そ、それで?」

 ルーヴァは、ベッドにぴょんと腰掛けた。もじもじと、さっきまで情緒不安定だったのが嘘のように期待感を滲ませている。感情が極端に振れすぎる雷の魔力を、おそらく父の魔王は心配していたはずだ。

 父と娘、唯一、同じ魔力を受け継いだ関係。

「ロポゴフから偽法の説明を聞いて、魔王になれる確信が持てた。ルーヴァにそれを預けた魔王の遺言の意味も、だいたいわかったと思う」

 オレは渡されたタオルで顔を拭いて言った。

「どういうこと?」

 ルーヴァは首を傾げる。

「オレなら、姉妹が選んだ新たな魔王候補の唇を奪って、魔王の証を集められる」

「お、男相手で!」

 鼻を抑えて、耳まで赤くして首を振る。

「愛玩奴隷としては珍しくない」

 オレは言った。

「偽法をルーヴァに預けたのは、たぶん姉妹で争いたくない娘だとわかってたからだ。新たな魔王候補同士の代理戦争は、たぶん意図しなくても発生すると考えていたんだと思う。この解決法まで見通してたんだ。知りたくはないと思うけど、たぶん魔王自身、必要に迫られて、男の魔力を奪ったこともあったはずだから」

「……」

 ルーヴァは言葉を失っていた。

「偽法をオレが手にしたことで、解決法への道のりはかなり短縮された。これは想像だけど、ルーヴァのために自尊心を捨てられる男であれば、魔王は娘の相手として認める、という遺言だということのような気がする。最初から自尊心がない男に当たるのは想定外だと思うけど」

「わかったわ」

 ルーヴァは深く頷いた。

「つまり、わたしの為にテオは男とか女とか、これから色々な相手とキスすることになるってことね。浮気じゃなく」

「いや、浮気だよ」

 オレは言った。

「え?」

「合理的な解決法だけど、オレの気持ちがルーヴァだけなら、もう他のだれともキスをしないで魔王を目指すと宣言するべきなんだ」

「それは、でも、テオは人間だから」

 ルーヴァは言う。

「魔族と真っ向から戦える訳じゃないわ。他の証を持つ魔王候補が現れれば尚更のことよ」

「魔王候補をまだ決めていない姉妹がいたら?」

 フォローしてくれるのはうれしいが、もうここまで来て後には引き下がれない。解決法を実行するかどうか、最悪のパターンをきちんと理解して貰うのだ。

「それは」

「オレがまず考えたのはそれだよ。実際、姉妹のほとんどはまだ決めてない可能性が高いと思う。もしだれか新たな魔王候補の男を選んでいたとしたら、幽閉されてるルーヴァの持つ証を狙って動いたはずだ」

「そうだと思うけど」

 頷きながら、しかし目で否定する。

「で、オレは、姉妹の唇を奪うことになる」

 オレは畳みかけた。

「き、決めてないなら、別の方法だって」

 ベッドの天蓋に雷が駆け抜ける。

「それでも奪うのが手っ取り早い。そう言って押し切ろうとオレは即座に思った。そういう人間なんだ。愛玩奴隷で辛い経験もしたけど、なんだかんだ言って、快楽に溺れてた面もあった。そういう人間なんだ。ルーヴァ」

「テオ、わたし、そんなこと言われても」

「理解してくれなくていいよ」

 オレはタオルを捨ててベッドに近づく。

「理解できないと思う。オレは、この世界でも魔界でもない、関係ない世界から転生してきた」

「て、転生?」

「あまりにも酷い、どうしようもない人生だったから、神様がもっかいやり直せって言ったんだよ。やり直すに当たって、一個願いを叶えてくれるという特典付きで」

「……!」

 ルーヴァはオレの目線を感じたようで、スカートの裾を抑えて、ベッドの奥へと逃げていく。ああ、白い脚だ。嘗め回したい。今のオレのテクニックなら、それだけでどうにかできる。

 なにも言わなければ。

「どんな特典を貰ったと思う?」

 だから言う。

「わ、わからないわ。テオ。あなたがなにを言っているのか、わたしにもわかるように、もうすこし順を追って説明してよ」

「この顔だよ」

 オレはベッドに飛び乗り、ルーヴァに迫る。

「一目見て、ルーヴァがいい男だと言った、この顔を貰ったんだ。元々は男だろうが女だろうがよりつかないような顔だよ。醜男に、性格まで最悪で、どうしようもなかったんだ」

 そして、この態度が、オレの本性だ。

「……」

 ルーヴァは目に涙を浮かべてオレを見た。

「キスをする。それからセックスもする」

 宣言した。

「ルーヴァが欲しい。だけど、オレは他の姉妹もたぶん欲しくなる。節操なんかない。そういう人間だ。死んでも、転生しても変わらない」

「テオ」

「不釣り合いなんだっ」

 オレは流れ込む電流も構わずルーヴァの肩をベッドに押しつけ、その身体を跨いで言う。殺してくれ。オレなんかが選ばれるべきじゃなかった。それが確かな真実だ。

「だけど、ルーヴァが大好きなんだっ!」

 魔力の輝きがオレの視界を飲み込んでいく。


 そうしてオレは。


 新たな人生の結末はまだわからない。

 雷鳴が轟く不穏なベッドの上で、泣きながら手を伸ばした先に、ルーヴァの頬があって、まるで捨て子を拾ったみたいな顔でオレを見ている。金色の長い髪がさらりと動いて、ありえないほどの絶世の美人で、オレはキスをされた。

 イケメンだったから?

「テオ、女神ってどんな顔してたの?」

「ルーヴァみたいな顔だった。もうそれしか思い浮かばない」
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