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第5話 エルフィンの料理

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 眼の前に置かれた料理は、香ばしく焼かれた丸いパンが二つと、黒い陶器のお皿に盛られたクリームシチューだった。

 もう、空腹で耐えきれなくなっていた俺は、すぐさまその料理に手が伸びそうになった。
 けれど、隣でじっと見ているミルの視線を感じると、子供に下品な姿を見せるわけにもいかない。なんとか理性を保ちながら行儀よく座り続けていた。

 そんな俺の姿を見て、ミルの母親は「どうぞ、ご遠慮なさらずに食べてください」と声をかけてきた。
 必死で自分の理性を保ちながら空腹を紛らわそうとしていた。けれど、そんな強がりは周りの人たちからすれば、簡単に気づかれていたことだろう。
 そう考えると、なんだか恥ずかしくなってくる。

 ゴブリンがカッコつけても、たかが知れている。
 そう思った俺は、母親の言葉を聞くとすぐにパンに手を伸ばし、二つに裂きちぎった。ちぎったパンをスープに浸すと、口に放り込む。

「うん……」

 空腹のため、何を食べても美味しく感じるはずの状態だったが、正直に言うと不味い料理だった。
 異世界だから、味覚が違うのだろうか?
 それとも、料理人の腕が……。

「この店はお母さん一人でやっているのですか?」

「はい。小さな店ですので、一人でやっています。それにお客さんもほとんどいないので、従業員を雇えるお金もないんです」

「では、料理人も雇っていないのですね」

「料理はすべて私が作っています」
 そう言ってから、ミルのお母さんは自分の腕をこすりながら俺から目をそらした。
「もしかして、私の作った料理、美味しくないですか?」

「えっ」
 俺はとっさに言葉が出てこない。
 確かに不味いのだが、正直に伝えるのも失礼な気がする。

 ミルのお母さんはスラッとした細面の美人だった。その美人が、こんな不味い料理を作るなんて想像が出来なかったが、現実に起こってしまっていることなので仕方がない。
 俺はやんわりと、事実を述べた。

「ごちそうになっている分際で言いにくいのですが、ちょっと旨味が足りていない気がします」

「そうですか。自分でも分かっているんです。私、料理がかなり苦手なのです。それが原因で、お客が来ない店になってしまっているのです」

 どうして、料理の苦手な女性が、料理屋などやっているのだろうか?
 何か、事情でもあるのだろうか?
 そんな疑問が浮かんできたが、会って間もない人に、根掘り葉掘り聞くわけにもいかない。

「調理場をお借りしてもいいですか?」

「構いませんが、どうされるのですか」

「こう見えても俺、料理人の端くれなのです」
 実際は、料理専門学校を出て、ファミレスで働いていただけだ。けれど、一応料理の勉強はしてきたので、料理人を名乗っても間違いではないだろう。

 席を立った俺は、カウンター奥にある調理場へと移動した。
 唖然とした。
 食材と物が無秩序に置かれ、とても料理を作るような環境ではなかったのだ。わずかにまな板らしき台の上に包丁が一つ置いてあるのが分かった。

「スープに玉ねぎが入っていましたが、まだ余りはありますか?」

「はい、後ろのかごに入っていると思います」

 言葉通り、後ろにある木のツルで作られた入れ物に、玉ねぎが三つ入っていた。俺はその中から、一つ取り出し、まな板の上で素早くみじん切りにしてみせた。縦と横に切り込みを入れてから細かく切る、料理学校で習った方法だ。

「すごい」
 俺の手さばきを見て、ミルが声を上げた。

「こんなに早く、細かく切れるなんて」
 ミルの母親も俺のみじん切りに感心している。

 切った玉ねぎを鍋に入れたところで、ミルの母親に火を起こしてもらうようお願いした。
 母親は火種から乾いた小枝を使い、石で組まれた窪みにある場所に薪を組み、そこへ火を入れた。
 やがて薪は明るい炎を出しながら燃え始めた。

 燃える石台の上に鍋を起き、玉ねぎを素早くかき混ぜる。
 じっと、この作業を続けていると、やがて玉ねぎは飴色のドロドロとしたやわらかい物体へと変化した。

 俺は、作ったばかりの飴色の物体を、鍋に残ったスープの中に放り込んだ。
 それを火にかけ、かき混ぜた。
 温かくなったスープを皿に取り分ける。スープからは湯気が出ており、旨味のある成分が鼻を刺激した。

「ミル、お母さん、もしよろしければ食べていただけませんか?」

 俺はスープをよそった皿をテーブルに置いた。

「すごく良い匂いがする」
 ミルがそう言い、テーブルに駆け寄ってきた。
 子供用の肘掛けのある小さな椅子にミルが座り、スープを口にした。

「おいしい! こんなおいしいスープ食べたことがない」

 子供の素直な感想が、俺の頬を緩ませた。

「お母さんも食べてみて!」

 その言葉でミルの母親もスープをスプーンですくい、口に運んだ。
 そして、母親の動きが一瞬止まった。

「すごい……」
 母親は小さくつぶやいた。
「料理の味が全く変わってしまっている。これは、魔法か何かなのですか?」

「いえ、魔法なんかではありません。スープに旨味を足しただけです」

「味は塩コショウでつけるものではないのですか?」

「ええ、それだけでは足りません。美味しい料理には旨味が必要なのです」

「旨味……、そんな言葉、聞いたこともありませんでした」

「ねえ、お母さん、ゴブマールお兄さんに助けてもらおうよ」
 ミルが明るい声で言う。
「お兄さんが家に来てくれたら、きっとこの店は繁盛するよ」

 助けてもらう……。
 何度かミルからこの言葉を聞いている。

「何か、この店のことで、困っていることがあるのですか?」
 俺は率直にお母さんに聞いた。

「はい。実はお恥ずかしい話なのですが、もう借金でこの店を売り払わなくてはならないのです」

「お兄さん、私とお母さんを助けて。お兄さんの料理でこの店を救って!」

「……」

 最初はどういうことなのか分からなかったが、今は何となくこの店の将来が理解できてきた。

 ハッピーロードではここは空き地になっていた。
 主人公の勇者がこの地を訪れるのは、荷馬車を襲うゴブキングたちを皆殺しにしてからまだ先のことだ。
 つまり、勇者がこの土地にくるころには、この料理屋は潰れて空き地になっている。もうすぐ、この店は売られて、空き地になってしまうのだ。
 そんな事になったら、この親子はどうなってしまうのだろうか?
 母親は独身だと言っていた。
 この先、二人は暮らしていけるのだろうか?

 そう考えると、何とかしなければという思いが湧いてきた。

「もしよろしければ俺をここの料理人にしていただけませんか?」

 その言葉を聞き、ミルの顔が輝いた。

「嬉しい話ですが、あなたにお給料をお支払いすることができません」

「お給料はいりません。その代わり、ここに住まわせてもらえませんか。物置小屋で結構ですので、寝泊まりさせていただけると助かります。実は、今日も泊まる場所がない状態なのです」

 勢いで言ってしまったが、自分の言葉に後悔していた。なぜなら俺はモンスターなのだから。いくら人の良さそうな親子でも、モンスターと一緒に寝泊まりなどできるわけがない。
 けれど、母親からは意外な答えが返ってきた。

「そんなことでよろしければもちろん構いません」

「えっ、俺はゴブリンなのですが、信用していただけるのですか?」

「あなたは、ミルの恩人です。そんなあなたを裏切るようなことはできません。いつまででも可能な限り、ここで寝泊まりしてください。ただ……」
 そう言った母親の顔はなぜか曇っていた。何かを言い淀んでいるように見えた。

「ただ?」

「いえ、なんでもありません」

 母親は、何か気になることがあるようだったが、そのことを詮索するのもどうかと思った俺は素直に礼を述べた。
「ありがとうございます。俺は美味しい料理を作って、この店を守ってみせます」

 そうは言ったものの、俺の頭には一つの疑問が浮かんでいた。
 ハッピーロードはシュミレーション型のゲームだ。
 なので、主人公たちの行動によって、ゲームのシナリオを変えることは可能だ。
 けれど、ここは、ゲームに全くでてこない店だ。
 ゲームの設定を変えてしまうようなことが、果たしてできるのだろうか?
 どうあがいても、この店は潰されてしまい、すぐに空き地へと様変わりするのではないのだろうか?
 そんな不安を抱きながらも、俺はある光景を思い出していた。
 そう、ローラ姫の姿だ。
 金髪のローラ姫が、なぜか黒髪のミナエに姿を変えていた。
 なぜだか分からないが、設定が変化していると考えられるのではないのか。
 難しいことは分からないが、やってみなければ始まらない。

 必ずこの店を立て直す。ミル親子を路頭に迷わせはしない。

 俺は心にそう誓ったのだった。
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