上 下
4 / 55

第3話 ローラ姫

しおりを挟む
 話を聞くと、ミルの家は料理屋を営んでいるらしい。
 料理屋の名前は「エルフィン」ということも分かった。
 しかし、ハッピーロードの中で、エルフィンという名の料理屋は登場しない。おそらく、ストーリー展開には関係のない店なのだろう。
 なので、その店がどこにあるのかは今の時点では全くわからない。
 ただ、五歳の子供が歩ける距離などしれている。
 ここからそう遠くない場所にエルフィンはあるはずだ。

「料理屋なら、家の周囲にもいろいろなお店があるのかい?」

「うん。近くに大きな武器屋さんがある」

 首都ドートには、武器屋が三つある。
 クリスタルソロス城の位置から考えると、一番近い武器屋は町の西側大通りにある。
 そこに違いない。

 俺はミルを連れて町に入る。
 舗装されていなかった土の道が、石畳の開けた通りに変わった。
 屋根の尖った二階建ての家が並び、道の脇では果物を山のように乗せた荷車が止まっていた。

 通りには人々が行き交い、中にはエルフやボブゴブリン、コボルトの姿もチラホラ見かけた。
 俺もミルが横にいるおかげで、一応は安全なゴブリンだと思われているようだ。
 ただ、他のボブゴブリンたちは人間と同じような服を着ているのだが、俺の方はあまりにも粗末な布でできた服を着ている。
 そんな俺の姿を見て、怪訝な表情をしながら通り過ぎていく人たちもいた。

 ハッピーロードで記憶している土地勘を頼りに、道を曲がりドートで一番の大通りに出た。この道は、クリスタルソロス城までつながる町のメインストリートである。
 その大通りに出ると、なぜか多くの人が道の両脇に並び立っていた。
 脇道が人でいっぱいだったので、通りの中を歩こうとしたとき、一人の男性から声をかけられた。

「おいゴブリン、そんなところを歩いては駄目だ。今からローラ姫の馬車が通るんだ。ウロチョロせずに、さっさとそこを空けるんだ」

 乱暴な声に押され、俺はすぐにミルの手を引き、脇へと移動した。
 おそらく人々はローラ姫の馬車を見物しようとしているのだろう。その場から動こうとする者は誰ひとりいない。

 ローラ姫のことはよく知っている。
 ハッピーロードの中でもメインキャラの一人だ。
 そう、ゲーム終盤で必ず死んでしまう悲劇のヒロインだ。
 ローラが死なないと、ゲームがクリア出来ない仕組みになっているとさえ言われている。不幸を一人で背負っているようなプリンセスなのだ。

 そんなことを考えていると、通りの先が歓声に包まれてきた。
 姫を乗せた馬車が近づいてきているようだ。
 通りから脇に避けただけの俺とミルは、絶好の位置で馬車を見届けることが出来そうだった。
 馬車は、人々の歓声に応えるように、ゆっくりと進んでくる。
 やがて、二頭の白馬に引かれた、天蓋のない馬車が俺の前をゆっくりと通り過ぎていった。
 ローラ姫は俺に背中を向け、通りの逆側に並ぶ人たちに手を振っている。
 後ろから見る姫の姿を見て、俺はなんだか不思議な気持ちになってきた。
 ローラ姫の後ろ姿を見ていると、髪が黒いせいかもしれないが、この異世界に住む人ではなく、元いた世界、日本人女性のような感じがしたのだ。
 確か、ゲームではローラ姫は金髪だったはずだが……。
 俺が不思議に思っていると、背中を向けていたローラ姫が体を反転させ、俺たちに向かって手を振り始めた。

 ローラ姫の顔がこちらを向いた。
 ミルの手を握っている俺の手が、氷のように固まってしまった。
 ローラ姫の顔を見て、あまりにも驚いてしまったのだ。
 彼女は、俺がよく知っている顔をしていた。
 そう、馬車に乗るローラ姫は、恋人のミナエにそっくりだったのだ。
 いや、そっくりなんて表現は間違っている。
 そこにいたのは、ミナエそのものだった。
 俺に会いにきて、交通事故で死んでしまったあのミナエがそこにいたのだった。

 あっけに取られながら立ち尽くしていると、ゆっくりと馬車は目の前を通り過ぎていった。ふと、ローラ姫の視線が俺の顔に向けられた。しかしそれは一瞬の出来事だった。そのまま彼女の視線は流れていき、あっという間に馬車も人々の群れに隠れてしまい、何も見えなくなってしまった。

「ミル、一つ聞きたいことがあるんだけど」

「なに?」

「ローラ姫は、髪の毛は昔から黒色だったかい?」

「ローラ姫はいつも黒い髪をしているよ」

 どういうことだろう。
 あそこにいたのは、間違いなくミナエだ。
 ミナエも俺と同じように、何らかの理由で、このゲームの世界に紛れ込んでしまったのか。
 彼女は、自分が別の世界から来たことを分かっているのだろうか?
 俺のことを覚えてくれているのだろうか?

 いろいろな疑問が頭に浮かんでくる。
 けれど、その中でも、ずっと頭に張り付いている疑問がある。
 それは。

 時間が経って、ゲームの終盤になると、ミナエはローラ姫のように死んでしまうのだろうか?
 もしそうなら、元の世界でも交通事故で死に、そしてこの世界でも勇者の犠牲になって死ぬことになる。
 そんな悲しいことが重なってしまっていいのか?

 とてもじゃないが、納得のできる話ではない。

「なんとかして、ミナエを救う方法はないのだろうか」

 馬車に乗るミナエの笑顔は、亡くなる前に俺に見せた別れ際の明るい笑顔と全く同じものだった。

「なんとしてでも、ミナエの命を救わなければいけない」

 俺は心の中で固くそう誓ったのだった。
しおりを挟む

処理中です...