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第2話 ヒール

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 町が目の前に迫ってきたとき、空を見上げた。白色ロールパンのような雲が、重なり合いながら大きく立ち上っていた。
 何度も後ろを振り返ってみたが、もうあのゴブリンは追ってこない。

 これで安心して良いのだろうか。
 いや、安心などできるわけがない。俺はこの先、どうすればいいのだ?
 今晩どこで眠ればいいのか?
 どこか安心できる場所があるというのか?

 そう言えば無性に腹が減ってきている。けれど、食料の持ち合わせもなく、どこかで食事のありつけるあても当然ない。金があればなんとかなるかもしれなかったが、俺の体のどこを探してもそんなものは出てこなかった。

 このままゴブリンの姿でうろついたとしても、俺の命はすぐに尽きてしまうのではないのか。
 というのも、ゲーム『ハッピーロード』では、ゴブリンはスライムの次に弱い雑魚モンスターだったからだ。
 冒険者たちは、経験値を積むために、ゴブリンを見つけると片っ端から叩き潰していく。叩き潰すとはつまり、殺すということだ。

 町なんかに行くと、冒険者がうようよいる。そして俺は、すぐに消されてしまう。
 俺が向かう方向は、これで合っているのか?

 仲間たちを裏切った俺が、ゴブリンの住むもとの場所に戻るわけにもいかない。
 すでに俺は、ゲームオーバー寸前の状態ではないのか。

 そんなことを考えている時だった。
 町に真っすぐ伸びている道の先から、何やら音がしていることに気づいた。
 じっと、耳を済ましてみる。ゴブリンの大きな耳のおかげだろうか、小さな音もよく聞こえてくる。
 何か、鼻をすすっている音のようだ。
 道の脇、草むらの中からだ。
 俺は音のする方へと足を進め、腰くらいに伸びる雑草をかき分け、奥へと歩いていった。
 10メートルほど進んだ時だった。
 草むらの中で、小さくうずくまっている女の子を発見した。女の子は、5歳くらいだろうか、左足を両手で抱えながらすすり泣いている。

「どうしたの?」
 俺はやさしく女の子に話しかけた。

 振り向いた女の子が、俺の姿を見るなり、顔をひきつらせながら大声で泣き始めた。
 そうだった。
 俺は、雑魚とはいえ、ゴブリンなのだ。モンスターなのだ。
 とても子供がなついてくれるような生物ではない。
 このまま、何も見なかったことにして、子供を置いてこの場を離れたほうがいいのだろうか。
 けれど。
 俺はもう一度、座り込んでいる子供を注意深く観察してみる。白い上着は土で汚れてしまい、スカートから伸びる細い足の膝小僧は擦りむいて薄っすらと血がにじんでいる。
 このまま、この子を放っておけば、それこそ他のモンスターの餌食になりかねない。

「怖がらなくてもいいよ。俺はボブゴブリンだ。つまり人間の味方のゴブリンだから、君を襲ったりはしないよ」
 そう言いながら、俺はかがみ込み、自分の顔を女の子の目の高さまで下げてみた。

 それでも女の子は大声で泣き続けている。
 当たり前だが、よほど、俺のことが怖いのだろう。特に顔が近づいたことで、余計に怖さが増してしまったようだ。

 さあ、どうしたらいい?
 なんとか、この子を安心させる方法はないのか?

 迷った俺は、その場から三歩下がり、女の子との距離を取る。
 そして、優しい声を出そうと、小さく咳払いをしてから女の子に改めて声をかけた。

「僕の名前はゴブマール。君の名前を教えてくれないかな」

 女の子は涙で濡れた目をこちらに向けた。肩で息を吸っていて、体は小刻みに震えている。

「名前、教えてくれるかな」
 俺は、心のなかでウイスキーとつぶやきながら、口角を上げ笑顔を作った。

 女の子はじっと俺を見つめ、やがて小さな震える声でこう言った。

「ミル」

「ミルちゃんか」
 俺は、笑顔で頷きながら言葉を続けた。
「どこか、怪我でもしたのかい?」

「足が痛くて歩けない」

「足のどの辺かい?」
 そう言いながらゆっくりと俺はミルに近づいた。

「ここ」
 ミルはそう言って、左足の足首をさすった。

 俺もそっと左足に触れてみる。

「痛い!」

 少し触っただけで、ミルは悲鳴を上げた。
 左足首は赤みを帯び、右足首の二倍の太さまで腫れ上がっている。

 これは、骨折しているかもしれない。
 骨折しているなら、動かすとかなりの痛みを伴う。それに、今より悪化させてしまう可能性だってある。
 しかし、このままここでじっとしていても、ミルを助けることはできない。

 いったいどうすれば……。

 ミルの横で考えあぐねていると、不思議なことが起こった。
 急に、頭の中に四角い窓が現れたのだ。
 そして、その四角い窓にはこんな文字が書かれていた。

『ヒールを使用しますか?』

 これは?
 もしかして、ゲームのコマンド画面なのか?

 確か、ゲームの序盤、プレイヤーに操作の説明を兼ねたコマンドが出現していた。それが、これなのか?

 俺は、ステイタス内にある『はい』の文字に意識を合わせ、ボタンを押すようなイメージを流した。

『ヒールが選択されました。消費体力は10です』

 そんなコマンドメッセージが流れると、俺の体に異変が生じる。なんと、右手が白く輝きだしたのだ。
 ハッピーロードをやり尽くしている俺には、これが何を意味しているのかすぐに理解できた。
 俺は、輝く白い手をミルの左足首にかざした。
 どんどんと右手をミルの腫れた足首に近づけ、やがてその肌に俺の光る手のひらが接地した。

「あ、気持ちいい」
 ミルはすぐにそうつぶやいた。

 二倍に腫れ上がった足首が、すっと元の太さに戻っていく。それとともに、赤みも消失していく。

 先程まで苦渋に満ちていたミルの顔が、急に明るく変化した。

「どうして……、もう痛くない」

「そうかい。それは良かった。歩けるかい?」

 ミルがその場で立ち上がり、足踏みを始める。

「うん、歩ける」

「じゃあ、お家に帰ることができるね。気をつけて帰るんだよ」
 俺がそう言うと、ミルの笑顔が消えた。
「どうしたんだい?」

「道に迷って、家がどこだか分からないの」

「そ、そうなのか」

「でも、家は自分で見つけて帰ります。ありがとう、ゴブマールお兄さん、」
 ミルの口から始めて俺の名前が出てきた。
 それにしても、一度聞いただけで名前を覚えているなんて、頭のいい子だ。

「五歳ほどの子供が、一人で帰るだなんて……」
 ミルを無事に家まで送り届けたい。 
 けれど俺は、この世界のことをまだよく分かっていない。
 町の様子だって分からないし、地図も持ち合わせていない。
 ふと、見上げると、海のように澄んだ空に、わた菓子のような雲が広がっていた。
 向こうに、太陽の光に反射する白壁の建物が見えた。三つの塔が並んでいる。

 あれは。

「ミル、あそこに見えるのはクリスタルソロス城かい?」

「うん」

 だったら、この町は、首都ドートだ。
 ドートなら、どこに何があるかはしっかりと頭に入っている。
 なぜならゲーム内ではあるが、ハッピーロードでさんざん歩き回っている土地だからだ。

「よし、ミル、お兄さんと一緒に家に帰ろう。家を探し出してあげるよ」

 そう言うと俺は、ミルの手を取り、町に向かい歩き始めた。
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