1 / 61
第1章
(1)
しおりを挟む
ドアノブに手をかけ、バスルームを出ようとしたシリルは動きを止めた。
部屋の明かりが消えている。室内の様子を窺おうとして目を凝らすと、軽い足音とともに薄闇の中から人影が走り寄ってきた。
「早く、こっちです。早く、早く」
「あ、おいっ」
腕をとられて、強引に引っ張られる。
バスローブ姿のまま手を引かれた彼は、ひろびろとしたリビングを横切り、窓際まで連れてこられた。
見事な眺望が眼下にひろがる、一面の巨大なパノラマ・ウィンドウ。その一角には出入り口が設けられ、街を一望できる贅沢なバルコニーが設置されていた。
娯楽都市バベル・リゾート。通称、不夜城バベル。
その中でも屈指の五つ星ホテル、ル・グラン・シャリオ。その最上階のインペリアル・スイートが今夜の宿だった。
はじめは休暇中のお忍びということもあり、デラックスかエグゼクティブクラスの部屋をとるつもりでいた。しかし、シリルの愛用機、イーグルワンがコロニーのゲートを通過した時点でその身上がバレてしまい、チェックインしたホテルでは、自動的に最上級の部屋が用意された、という次第だった。
――まったく、おちおち羽を伸ばすこともできないとはな。
内心でぼやいてシリルは苦笑する。とはいえ、国の要ともいうべき立場で、かつて使用していた擬装用のIDを用いて身分を詐称するわけにもいかない。ホテルの従業員らには、あくまで私的な訪問なので、あまり事を大袈裟にすることのないようにとだけ言い含めておいた。
ローレンシア王朝第9代君主シリル・イアン・ローレンシア。それが、いま現在のこの国におけるシリルの立ち位置だった。
法の規定の枠外で自儘に仕事を請け負う運び屋。同時に、所属組織を持たない非正規の傭兵。
かつて、シリル・ヴァーノンと名乗り、血縁の存在すら知らぬまま孤児院で育った彼は、己の力だけを頼みに自由に生きてきた。その自分に課せられた、国の命運を握る使命。
先王崩御の後、次代君主としての資格を得、国王としての権限を有するまでに払われた犠牲は大きかった。
望んで得た地位ではない。むしろ、強制的にその資格を押しつけられ、国主としての義務を果たすべく、その座に据えられた。それでも、自分をおいてほかに責務を担える者がいなかったがゆえに、シリルは己に課せられた役目を受け容れるに至った。
国王の座に即いて5年。堅苦しい宮廷の作法や決まりごとは窮屈このうえなかったが、王城を離れてみても、重すぎる肩書のせいでなかなか解放感を味わうことはできない。それでも――
ふと傍らを見て、たったひとりをこうして満足させられるなら、特別待遇もそう悪くはないと思った。
窓の向こうへ転じた視線の先で、コロニーの天井部が大きく開放された夜空がひろがる。通常は密閉された空間となる設計が、この都市にかぎっては異色の構造となっていた。娯楽都市としての演出を最大限に活かすための、特別なサンルーフ機能だった。そこに、光の筋が数本立ちのぼる。直後、濃紺の闇を照らして、色とりどりの大輪の花がパッとあざやかに咲き誇った。
午前零時。悪天候の場合を除き、世界最大のリゾート施設であるこの都市は、毎夜、華やかな光の祭典が催される。シリルがその催しの存在を知り、実際目にしたのは、やはり5年前、王座に即く直前のことだった。
あれからあまりに多くの出来事があり、自分の置かれている状況もまた激変した。
もう一度この場所で、夜空を彩る華やかな光の祭典を目にする日が来るとは思いもしなかった。かつて交わした約束は、もう二度と果たされることはない。そう思っていたからだ。けれど、状況はふたたび大きく変わり、一度はたしかに夢と潰えた約束を、こうして果たすことが叶った。
自分の傍らで、おなじように花火に見入る存在に心が満たされる。
声ひとつ発するでなく、次々に打ち上がる大輪の花を一心に視つめるクリスタル・ブルーの瞳。微動だにせず、花火を鑑賞するために据えられたソファーに座ることも、バルコニーへ出ることもせずにただじっと、その場に立ち尽くす。
「おまえとの約束が果たせて、本当によかった」
しばし窓辺に並んで佇み、天空であざやかに展開される光の花々を堪能した後、シリルは穏やかに声をかけた。相手からもなんらかの反応が返ってくるものと思い、なにげなく傍らを見やる。途端に、目を瞠った。
「どうした? なんで泣いてる」
問われた言葉に驚いたように、振り返った瞳が大きく見開かれた。そこから、透明な雫がさらに溢れ落ちた。
部屋の明かりが消えている。室内の様子を窺おうとして目を凝らすと、軽い足音とともに薄闇の中から人影が走り寄ってきた。
「早く、こっちです。早く、早く」
「あ、おいっ」
腕をとられて、強引に引っ張られる。
バスローブ姿のまま手を引かれた彼は、ひろびろとしたリビングを横切り、窓際まで連れてこられた。
見事な眺望が眼下にひろがる、一面の巨大なパノラマ・ウィンドウ。その一角には出入り口が設けられ、街を一望できる贅沢なバルコニーが設置されていた。
娯楽都市バベル・リゾート。通称、不夜城バベル。
その中でも屈指の五つ星ホテル、ル・グラン・シャリオ。その最上階のインペリアル・スイートが今夜の宿だった。
はじめは休暇中のお忍びということもあり、デラックスかエグゼクティブクラスの部屋をとるつもりでいた。しかし、シリルの愛用機、イーグルワンがコロニーのゲートを通過した時点でその身上がバレてしまい、チェックインしたホテルでは、自動的に最上級の部屋が用意された、という次第だった。
――まったく、おちおち羽を伸ばすこともできないとはな。
内心でぼやいてシリルは苦笑する。とはいえ、国の要ともいうべき立場で、かつて使用していた擬装用のIDを用いて身分を詐称するわけにもいかない。ホテルの従業員らには、あくまで私的な訪問なので、あまり事を大袈裟にすることのないようにとだけ言い含めておいた。
ローレンシア王朝第9代君主シリル・イアン・ローレンシア。それが、いま現在のこの国におけるシリルの立ち位置だった。
法の規定の枠外で自儘に仕事を請け負う運び屋。同時に、所属組織を持たない非正規の傭兵。
かつて、シリル・ヴァーノンと名乗り、血縁の存在すら知らぬまま孤児院で育った彼は、己の力だけを頼みに自由に生きてきた。その自分に課せられた、国の命運を握る使命。
先王崩御の後、次代君主としての資格を得、国王としての権限を有するまでに払われた犠牲は大きかった。
望んで得た地位ではない。むしろ、強制的にその資格を押しつけられ、国主としての義務を果たすべく、その座に据えられた。それでも、自分をおいてほかに責務を担える者がいなかったがゆえに、シリルは己に課せられた役目を受け容れるに至った。
国王の座に即いて5年。堅苦しい宮廷の作法や決まりごとは窮屈このうえなかったが、王城を離れてみても、重すぎる肩書のせいでなかなか解放感を味わうことはできない。それでも――
ふと傍らを見て、たったひとりをこうして満足させられるなら、特別待遇もそう悪くはないと思った。
窓の向こうへ転じた視線の先で、コロニーの天井部が大きく開放された夜空がひろがる。通常は密閉された空間となる設計が、この都市にかぎっては異色の構造となっていた。娯楽都市としての演出を最大限に活かすための、特別なサンルーフ機能だった。そこに、光の筋が数本立ちのぼる。直後、濃紺の闇を照らして、色とりどりの大輪の花がパッとあざやかに咲き誇った。
午前零時。悪天候の場合を除き、世界最大のリゾート施設であるこの都市は、毎夜、華やかな光の祭典が催される。シリルがその催しの存在を知り、実際目にしたのは、やはり5年前、王座に即く直前のことだった。
あれからあまりに多くの出来事があり、自分の置かれている状況もまた激変した。
もう一度この場所で、夜空を彩る華やかな光の祭典を目にする日が来るとは思いもしなかった。かつて交わした約束は、もう二度と果たされることはない。そう思っていたからだ。けれど、状況はふたたび大きく変わり、一度はたしかに夢と潰えた約束を、こうして果たすことが叶った。
自分の傍らで、おなじように花火に見入る存在に心が満たされる。
声ひとつ発するでなく、次々に打ち上がる大輪の花を一心に視つめるクリスタル・ブルーの瞳。微動だにせず、花火を鑑賞するために据えられたソファーに座ることも、バルコニーへ出ることもせずにただじっと、その場に立ち尽くす。
「おまえとの約束が果たせて、本当によかった」
しばし窓辺に並んで佇み、天空であざやかに展開される光の花々を堪能した後、シリルは穏やかに声をかけた。相手からもなんらかの反応が返ってくるものと思い、なにげなく傍らを見やる。途端に、目を瞠った。
「どうした? なんで泣いてる」
問われた言葉に驚いたように、振り返った瞳が大きく見開かれた。そこから、透明な雫がさらに溢れ落ちた。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
虐げられている魔術師少年、悪魔召喚に成功したところ国家転覆にも成功する
あかのゆりこ
BL
主人公のグレン・クランストンは天才魔術師だ。ある日、失われた魔術の復活に成功し、悪魔を召喚する。その悪魔は愛と性の悪魔「ドーヴィ」と名乗り、グレンに契約の代償としてまさかの「口づけ」を提示してきた。
領民を守るため、王家に囚われた姉を救うため、グレンは致し方なく自分の唇(もちろん未使用)を差し出すことになる。
***
王家に虐げられて不遇な立場のトラウマ持ち不幸属性主人公がスパダリ系悪魔に溺愛されて幸せになるコメディの皮を被ったそこそこシリアスなお話です。
・ハピエン
・CP左右固定(リバありません)
・三角関係及び当て馬キャラなし(相手違いありません)
です。
べろちゅーすらないキスだけの健全ピュアピュアなお付き合いをお楽しみください。
***
2024.10.18 第二章開幕にあたり、第一章の2話~3話の間に加筆を行いました。小数点付きの話が追加分ですが、別に読まなくても問題はありません。
魔術師の妻は夫に会えない
山河 枝
ファンタジー
稀代の天才魔術師ウィルブローズに見初められ、求婚された孤児のニニ。こんな機会はもうないと、二つ返事で承諾した。
式を済ませ、住み慣れた孤児院から彼の屋敷へと移ったものの、夫はまったく姿を見せない。
大切にされていることを感じながらも、会えないことを訝しむニニは、一風変わった使用人たちから夫の行方を聞き出そうとする。
★シリアス:コミカル=2:8
偏食の吸血鬼は人狼の血を好む
琥狗ハヤテ
BL
人類が未曽有の大災害により絶滅に瀕したとき救済の手を差し伸べたのは、不老不死として人間の文明の影で生きていた吸血鬼の一族だった。その現筆頭である吸血鬼の真祖・レオニス。彼は生き残った人類と協力し、長い時間をかけて文明の再建を果たした。
そして新たな世界を築き上げた頃、レオニスにはひとつ大きな悩みが生まれていた。
【吸血鬼であるのに、人の血にアレルギー反応を引き起こすということ】
そんな彼の前に、とても「美味しそうな」男が現れて―――…?!
【孤独でニヒルな(絶滅一歩手前)の人狼×紳士でちょっと天然(?)な吸血鬼】
◆閲覧ありがとうございます。小説投稿は初めてですがのんびりと完結まで書いてゆけたらと思います。「pixiv」にも同時連載中。
◆ダブル主人公・人狼と吸血鬼の一人称視点で交互に物語が進んでゆきます。
◆現在・毎日17時頃更新。
◆年齢制限の話数には(R)がつきます。ご注意ください。
◆未来、部分的に挿絵や漫画で描けたらなと考えています☺
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
【完結】雨降らしは、腕の中。
N2O
BL
獣人の竜騎士 × 特殊な力を持つ青年
Special thanks
illustration by meadow(@into_ml79)
※素人作品、ご都合主義です。温かな目でご覧ください。
【完結】帝王様は、表でも裏でも有名な飼い猫を溺愛する
綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
BL
離地暦201年――人類は地球を離れ、宇宙で新たな生活を始め200年近くが経過した。貧困の差が広がる地球を捨て、裕福な人々は宇宙へ進出していく。
狙撃手として裏で名を馳せたルーイは、地球での狙撃の帰りに公安に拘束された。逃走経路を疎かにした結果だ。表では一流モデルとして有名な青年が裏路地で保護される、滅多にない事態に公安は彼を疑うが……。
表も裏もひっくるめてルーイの『飼い主』である権力者リューアは公安からの問い合わせに対し、彼の保護と称した強制連行を指示する。
権力者一族の争いに巻き込まれるルーイと、ひたすらに彼に甘いリューアの愛の行方は?
【重複投稿】エブリスタ、アルファポリス、小説家になろう
【注意】※印は性的表現有ります
俺の好きな男は、幸せを運ぶ天使でした
たっこ
BL
【加筆修正済】
7話完結の短編です。
中学からの親友で、半年だけ恋人だった琢磨。
二度と合わないつもりで別れたのに、突然六年ぶりに会いに来た。
「優、迎えに来たぞ」
でも俺は、お前の手を取ることは出来ないんだ。絶対に。
目立たないでと言われても
みつば
BL
「お願いだから、目立たないで。」
******
山奥にある私立琴森学園。この学園に季節外れの転入生がやってきた。担任に頼まれて転入生の世話をすることになってしまった俺、藤崎湊人。引き受けたはいいけど、この転入生はこの学園の人気者に気に入られてしまって……
25話で本編完結+番外編4話
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる