16 / 35
第6章
1
しおりを挟む
――自分は、取り返しのつかない罪を犯してしまった。どれほど強い後悔の念に苛まれようと、犯した罪は、生涯をかけても贖うことさえできない。その現実をまえに、ただただ恐怖し、途方に暮れている――
文面は切々と訴える。謝って許されるはずもないことは重々承知している。けれども、こうして筆を執らずにはいられなかったのだ、と。
『ごめんなさい。ごめんなさい。自分が生まれてきてしまったことを心から申し訳なく思っています。あのとき私は、なぜ、あんなにも愚かで残酷なことを平然としてのけられたのか、自分でも当時の心境を理解することができません。この手で奪ってしまったものを自分の生命と引き換えにできるなら、どんなにいいでしょう……』
己の犯した罪の重さに、いまさらながら恐れおののき、自分自身の良心に責め苛まれつづける毎日を送っている。
生きる価値のない自分。そんな自分が、いまなお、こうしてのうのうとこの世に在りつづけていることを、ひたすら耐えがたく思い、罪の意識と深い悔恨に押し潰されそうになっている――
己の悲劇性に酔いしれることに終始した文面。受け取る側の気持ちを無視し、一方的にこみあげる感傷のみを書き連ねただけの内容。その幼い残酷に、鳴海は言葉を失くして茫然と立ち尽くす。
なぜ、こんなにも無神経に、人の心を平然と踏みにじることができるのだろう……。
『先生、本当にごめんなさい。私にできるのは、決して許されることのない罪を、これからも巨大な十字架として背負いつづけていくこと、それだけなのでしょうか。
私が先生にもたらしてしまった苦しみと悲しみのすべてを、そのまままるごと引き受けることができたらどんなによかったかと思います。どうか先生の心に、ほんのわずかでもあたたかな光が照らしてくれることを、心からお祈りしています……』
鳴海の存在が、新進気鋭のチョコレート職人として脚光を浴びはじめたことでもたらされた思わぬ余波。
SNSを中心に、『ル・シエル・エトワール』の商品が徐々に話題を集めたことで、かの人物は鳴海の現状を知るに至った。
思わぬかたちでの転身を知ってしまったら、もう黙っていることはできなかった。許されないとわかっていて、それでもせめて、ひと言だけでも詫びたかった。手紙の主は、懸命にそう訴えた。
身勝手な言い分が、この先も決して癒えることのない傷を、さらに深く抉って容赦なく心を引き裂く。許しを請うことを目的に哀惜の思いを綴り、みずからの苦しみ訴えることで手紙の主は己にのしかかる罪の意識を軽くしようとしている。ひょっとしたら、鳴海の口から『許す』という言葉が聞けることまでを期待し、計算しているのかもしれない。
なんという虫のいい話だろうか。
【あたしがこんな思いをして、こんな目に遭ったのに、先生ひとりだけ幸せなんて許せないっ。なにもかも根こそぎ奪ってやりたかったっ。
――先生もあたしとおなじ絶望のどん底で、苦しみもがいてのたうちまわればいいんだ……っ!!】
鳴海は手紙を強く握りしめる。
どうして許すことなどできるだろう。自分はもう二度と、喪ってしまった大切なものをこの手に取り戻すことができないというのに。
期待しないでほしい。優しさや救いを求めないでほしい。
自分は生涯、決してその謝罪を受け容れることはできないのだから。
罪の意識から逃れたい一心で憐れみを誘おうとする傲慢な軽率さを、鳴海は心の底から嫌悪せずにはいられなかった。
文面は切々と訴える。謝って許されるはずもないことは重々承知している。けれども、こうして筆を執らずにはいられなかったのだ、と。
『ごめんなさい。ごめんなさい。自分が生まれてきてしまったことを心から申し訳なく思っています。あのとき私は、なぜ、あんなにも愚かで残酷なことを平然としてのけられたのか、自分でも当時の心境を理解することができません。この手で奪ってしまったものを自分の生命と引き換えにできるなら、どんなにいいでしょう……』
己の犯した罪の重さに、いまさらながら恐れおののき、自分自身の良心に責め苛まれつづける毎日を送っている。
生きる価値のない自分。そんな自分が、いまなお、こうしてのうのうとこの世に在りつづけていることを、ひたすら耐えがたく思い、罪の意識と深い悔恨に押し潰されそうになっている――
己の悲劇性に酔いしれることに終始した文面。受け取る側の気持ちを無視し、一方的にこみあげる感傷のみを書き連ねただけの内容。その幼い残酷に、鳴海は言葉を失くして茫然と立ち尽くす。
なぜ、こんなにも無神経に、人の心を平然と踏みにじることができるのだろう……。
『先生、本当にごめんなさい。私にできるのは、決して許されることのない罪を、これからも巨大な十字架として背負いつづけていくこと、それだけなのでしょうか。
私が先生にもたらしてしまった苦しみと悲しみのすべてを、そのまままるごと引き受けることができたらどんなによかったかと思います。どうか先生の心に、ほんのわずかでもあたたかな光が照らしてくれることを、心からお祈りしています……』
鳴海の存在が、新進気鋭のチョコレート職人として脚光を浴びはじめたことでもたらされた思わぬ余波。
SNSを中心に、『ル・シエル・エトワール』の商品が徐々に話題を集めたことで、かの人物は鳴海の現状を知るに至った。
思わぬかたちでの転身を知ってしまったら、もう黙っていることはできなかった。許されないとわかっていて、それでもせめて、ひと言だけでも詫びたかった。手紙の主は、懸命にそう訴えた。
身勝手な言い分が、この先も決して癒えることのない傷を、さらに深く抉って容赦なく心を引き裂く。許しを請うことを目的に哀惜の思いを綴り、みずからの苦しみ訴えることで手紙の主は己にのしかかる罪の意識を軽くしようとしている。ひょっとしたら、鳴海の口から『許す』という言葉が聞けることまでを期待し、計算しているのかもしれない。
なんという虫のいい話だろうか。
【あたしがこんな思いをして、こんな目に遭ったのに、先生ひとりだけ幸せなんて許せないっ。なにもかも根こそぎ奪ってやりたかったっ。
――先生もあたしとおなじ絶望のどん底で、苦しみもがいてのたうちまわればいいんだ……っ!!】
鳴海は手紙を強く握りしめる。
どうして許すことなどできるだろう。自分はもう二度と、喪ってしまった大切なものをこの手に取り戻すことができないというのに。
期待しないでほしい。優しさや救いを求めないでほしい。
自分は生涯、決してその謝罪を受け容れることはできないのだから。
罪の意識から逃れたい一心で憐れみを誘おうとする傲慢な軽率さを、鳴海は心の底から嫌悪せずにはいられなかった。
0
お気に入りに追加
17
あなたにおすすめの小説
海神の唄-[R]emember me-
青葉かなん
ライト文芸
壊れてしまったのは世界か、それとも僕か。
夢か現か、世界にノイズが走り現実と記憶がブレて見えてしまう孝雄は自分の中で何かが変わってしまった事に気づいた。
仲間達の声が二重に聞こえる、愛しい人の表情が違って重なる、世界の姿がブレて見えてしまう。
まるで夢の中の出来事が、現実世界へと浸食していく感覚に囚われる。
現実と幻想の区別が付かなくなる日常、狂気が内側から浸食していくのは――きっと世界がそう語り掛けてくるから。
第二次世界恐慌、第三次世界大戦の始まりだった。
【完結】雨上がり、後悔を抱く
私雨
ライト文芸
夏休みの最終週、海外から日本へ帰国した田仲雄己(たなか ゆうき)。彼は雨之島(あまのじま)という離島に住んでいる。
雄己を真っ先に出迎えてくれたのは彼の幼馴染、山口夏海(やまぐち なつみ)だった。彼女が確実におかしくなっていることに、誰も気づいていない。
雨之島では、とある迷信が昔から吹聴されている。それは、雨に濡れたら狂ってしまうということ。
『信じる』彼と『信じない』彼女――
果たして、誰が正しいのだろうか……?
これは、『しなかったこと』を後悔する人たちの切ない物語。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。
千津の道
深水千世
ライト文芸
ある日、身に覚えのない不倫の告発文のせいで仕事を退職させられた千津。恋人とも別れ、すべてが嫌になって鬱屈とする中、バイオリンを作る津久井という男と出会う。
千津の日々に、犬と朝食と音楽、そして津久井が流れ込み、やがて馴染んでいくが、津久井にはある過去があった。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
【9】やりなおしの歌【完結】
ホズミロザスケ
ライト文芸
雑貨店で店長として働く木村は、ある日道案内した男性から、お礼として「黄色いフリージア」というバンドのライブチケットをもらう。
そのステージで、かつて思いを寄せていた同級生・金田(通称・ダダ)の姿を見つける。
終演後の楽屋で再会を果たすも、その後連絡を取り合うこともなく、それで終わりだと思っていた。しかし、突然、金田が勤務先に現れ……。
「いずれ、キミに繋がる物語」シリーズ9作目。(登場する人物が共通しています)。単品でも問題なく読んでいただけます。
※当作品は「カクヨム」「小説家になろう」にも同時掲載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる