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エピローグ

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「陛下」

 執務室から覗く窓外の景色をなんとはなしに眺めていたシリルは、控えめにかけられた声に振り返った。

「ああ、どうした?」
 答えながら、くわえていた煙草を目の前の灰皿で揉み消す。

「お疲れでございますか」

 やはり控えめな語調で問われ、「いや」と言葉少なに応じた。そして、手にしていた書類に視線を戻した。

「よろしければ、お茶をお淹れいたしましょうか?」
「ああ、そうだな。もらおうか」

 シリルの言葉に従い、侍従長のベルンシュタインは壁ぎわのキャビネットから茶器を取り出した。
 とりたてて急ぎの決済もなく、謁見や会議、視察予定もない午後。
 静かな室内で、穏やかに時間が流れた。

「先程、天然水管理局から、エトラ山岳北東部の麓で、あらたな湧水地が発見されたとの報告が入りました」

 白磁に、茶葉から抽出されたあざやかな紅が映えるカップを執務卓に置きながら、ベルンシュタインは報告した。
 侍従長の口から告げられた場所を脳内地図で検索したシリルは、すぐに該当箇所の当たりをつけて得心した。そこは、シリルが運び屋時代に発見し、時折利用していたオアシスのひとつだった。

「水質調査団からのデータが上がり次第、詳細をまとめた資料と報告書を提出するとのことでございます」
「わかった」

 天然水の利権を王室が手放してから、まもなく1年が過ぎようとしていた。その帰属は国家に権限が委譲され、あらたに管理全般を受け持つ専属部署が設けられることとなった。王室が専有してきた利権を放棄するにあたり、相応の混乱と騒ぎが巻き起こったことは言うまでもない。だがシリルは、そのひとつひとつに丁寧な対応を重ね、問題となる点を根気強く取り除いていった。

 王位にいて5年。望んで受け容れた地位ではなかったが、山積する事案を夢中で処理するうちに、いつのまにか時間は流れるように過ぎ去っていた。しかし、そんな怱忙そうぼうに身を置く日々にも、ようやく区切りがつきつつある。近頃、時折ぽっかりと訪れる無為の時間に、苦痛をおぼえる瞬間があった。

 言いようのない虚しさに、溺れそうになるひととき。

 自分の裡に、塞がることのない傷の存在をまざまざと見せつけられる。そんな瞬間。おそらく自分は、決して癒えることのない傷を、生涯にわたって抱えていくことになるのだろう。
 カップから立ちのぼる白い湯気を眺めながら、シリルはぼんやりと思った。

「ところで陛下、折り入ってご相談申し上げたいことが」

 不意に耳に届いたベルンシュタインのあらたまった口調に、シリルは顔を上げた。

「なにか問題でも起こったか?」
「いえ、それが……。問題、と言いますか、苦情が1件寄せられておりまして」
「苦情?」

 珍しく歯切れの悪い物言いをする侍従長に、シリルは眉宇びうを顰めた。

「ひょっとして、俺あてか?」
「……誠に申し上げにくいことながら」
「かまわん。言ってみろ」

 言葉を濁すベルンシュタインをシリルはうながした。
 国の要であるローレンシア国王は、建国以来、すべての民にとって神格化された存在であり、不可侵とされつづけてきた。国の象徴とも言うべき神聖なるその地位に、氏素性のわからぬ人間が突如現れておさまった。
 シリルが第9代君主の地位に即いたことで巻き起こった混乱と騒ぎは、一時期、国中を揺るがすほどの大乱たいらんにまで発展することとなった。
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