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第7章 追憶
第2話(9)
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「血を……、血を止めないと……」
狼狽も露わに消え入りそうな声で呟く美貌のヒューマノイドを見て、シリルは荒い息の下から声を立てずに笑った。
「なんでおまえのほうが、いまにもひっくり返りそうなんだよ。自分が大火傷したときは平然としてたくせに」
「それとこれとは話が別です!」
強い口調で応えたリュークは、すぐさまいつもの棚から医療箱を取り出そうとして愕然とした。医療箱は、先程の場所のテントの中に置いてきてしまっていた。リュークの様子でそのことを思い出したシリルもまた、ああ、としかたなさそうに息をついてから、ふと後部座席の奥を指さした。
「たしか、止血剤の予備が1本あったはずだ」
言われて、身を乗り出して座席の後ろを探ったリュークは、すぐに目的のものを見つけてシリルに向きなおった。自分の衣服も数着、一緒に手にして座席に座りなおす。その中の1枚を、力任せに破いた。それを適度な大きさにたたんだところに止血剤をふりかけ、腹部の傷口にも直接ふりかけてから布を当てた。
止血剤を腹部にかけられた瞬間、シリルはビクッと全身をふるわせたが歯をくいしばって声を殺した。その横で、リュークがふたたびみずからの衣服を裂いて細長い布状にしていく。ある程度の枚数がそろったところでシートを起こし、シリルの腹部にきつく巻いていった。
その場しのぎの応急処置。
手際がいいなと笑ったシリルは、ふたたびシートを倒すとぐったりと横になった。
荒い呼吸が機内に響く。
「すみません、シリル。私のせいで……」
独り言のように呟いたその声を、けれどもシリルはしっかりと聞き取っていた。
「なんでおまえが謝る。俺はプロだぞ。その俺がドジを踏んだってだけの話だ」
目の上に載せていた腕を、シリルは助手席のほうへ伸ばした。その手を、リュークが両手で握りしめた。
「悪いな、心細い思いをさせて。この程度の傷、少し休めばすぐに落ち着く。機内で窮屈だろうが、おまえも休んでおけ」
人間は、触れれば正確な数値などわからずとも、発熱の度合いをある程度判断することができる。3週間前には理解することのできなかった意味が、いまならばわかる。手当てのたびに、触れると心地いいと感じていた掌の乾いたあたたかさが、いまは驚くほどに熱かった。実際に、みずからの機能のひとつとして内蔵されたセンサーで計った数値も、すでに39度を超えている。短時間のあいだに、その体温は一気に跳ね上がっていた。
出血量が多いにもかかわらず、急激に発した高熱。シリルの躰を抉った銃弾に、なんらかの薬物が仕込まれていたことはあきらかだった。
いつのまにか、シリルは深い眠りに落ちていた。眠った、というより、あきらかに昏睡に近い状態といえた。ともに寝ていても、ほんのわずか、自分が身じろぎをしただけでその気配を察するシリルが、いまは固く目を閉ざし、完全に意識を混濁させていた。
「シリル……」
自分の呼びかけに、これまで必ず応えてきた声が沈黙をとおしている。いまだけでなく、これから先も、ずっと応えることがなかったら。それ以前に、もう二度と彼が目を開けることがなかったら――
荒く、苦しげな呼吸が不安を煽る。だがそれ以上に、その呼吸が途絶えてしまうことが怖かった。
――陛下……っ。
夢の中で遺伝子保有者が味わっていた恐怖と焦り。その思いが、はじめて理解できた。
彼を、このまま逝かせてしまうわけにはいかない。
感情が芽生えはじめたばかりのヒューマノイドの中に、強い焦燥と決意の火が灯る。
護らなければ。彼が自分を護りつづけてきてくれたように、今度は自分が彼を護り、救わなければ。
みずからの意志でなにを成すべきかを定めたヒューマノイドは、処置した布が吸った血液から、シリルの体内にまわる毒の成分を検出する。その分析を終えたところで、ふと、顔を上げた。
はっきりとはわからない、どこか、異質な感覚。
それがなにかわからぬまま、リュークは操縦席の向こう側をパッと見据えた。
その全身に、鋭い緊張が奔る。
操縦席側のドアが、ゆっくりとノックされた。
狼狽も露わに消え入りそうな声で呟く美貌のヒューマノイドを見て、シリルは荒い息の下から声を立てずに笑った。
「なんでおまえのほうが、いまにもひっくり返りそうなんだよ。自分が大火傷したときは平然としてたくせに」
「それとこれとは話が別です!」
強い口調で応えたリュークは、すぐさまいつもの棚から医療箱を取り出そうとして愕然とした。医療箱は、先程の場所のテントの中に置いてきてしまっていた。リュークの様子でそのことを思い出したシリルもまた、ああ、としかたなさそうに息をついてから、ふと後部座席の奥を指さした。
「たしか、止血剤の予備が1本あったはずだ」
言われて、身を乗り出して座席の後ろを探ったリュークは、すぐに目的のものを見つけてシリルに向きなおった。自分の衣服も数着、一緒に手にして座席に座りなおす。その中の1枚を、力任せに破いた。それを適度な大きさにたたんだところに止血剤をふりかけ、腹部の傷口にも直接ふりかけてから布を当てた。
止血剤を腹部にかけられた瞬間、シリルはビクッと全身をふるわせたが歯をくいしばって声を殺した。その横で、リュークがふたたびみずからの衣服を裂いて細長い布状にしていく。ある程度の枚数がそろったところでシートを起こし、シリルの腹部にきつく巻いていった。
その場しのぎの応急処置。
手際がいいなと笑ったシリルは、ふたたびシートを倒すとぐったりと横になった。
荒い呼吸が機内に響く。
「すみません、シリル。私のせいで……」
独り言のように呟いたその声を、けれどもシリルはしっかりと聞き取っていた。
「なんでおまえが謝る。俺はプロだぞ。その俺がドジを踏んだってだけの話だ」
目の上に載せていた腕を、シリルは助手席のほうへ伸ばした。その手を、リュークが両手で握りしめた。
「悪いな、心細い思いをさせて。この程度の傷、少し休めばすぐに落ち着く。機内で窮屈だろうが、おまえも休んでおけ」
人間は、触れれば正確な数値などわからずとも、発熱の度合いをある程度判断することができる。3週間前には理解することのできなかった意味が、いまならばわかる。手当てのたびに、触れると心地いいと感じていた掌の乾いたあたたかさが、いまは驚くほどに熱かった。実際に、みずからの機能のひとつとして内蔵されたセンサーで計った数値も、すでに39度を超えている。短時間のあいだに、その体温は一気に跳ね上がっていた。
出血量が多いにもかかわらず、急激に発した高熱。シリルの躰を抉った銃弾に、なんらかの薬物が仕込まれていたことはあきらかだった。
いつのまにか、シリルは深い眠りに落ちていた。眠った、というより、あきらかに昏睡に近い状態といえた。ともに寝ていても、ほんのわずか、自分が身じろぎをしただけでその気配を察するシリルが、いまは固く目を閉ざし、完全に意識を混濁させていた。
「シリル……」
自分の呼びかけに、これまで必ず応えてきた声が沈黙をとおしている。いまだけでなく、これから先も、ずっと応えることがなかったら。それ以前に、もう二度と彼が目を開けることがなかったら――
荒く、苦しげな呼吸が不安を煽る。だがそれ以上に、その呼吸が途絶えてしまうことが怖かった。
――陛下……っ。
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それがなにかわからぬまま、リュークは操縦席の向こう側をパッと見据えた。
その全身に、鋭い緊張が奔る。
操縦席側のドアが、ゆっくりとノックされた。
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