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第7章 追憶
第2話(8)
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どれほどの時間が過ぎたのか。
やがて戻った静寂の中、小さく息をついたシリルはゆっくりと頭を上げた。
「無事か?」
真下に抱きこんでいる麗人に尋ねると、腕の中でじっとしていたリュークは頷いた。その目の前に、握りしめていた掌をそっと開く。手にした物を、そのままシリルに差し出した。
ブルーダイヤが嵌めこまれた、特注のリング。
シリルは苦笑して、自分の右手を出した。
「嵌めてくれるか」
リュークは頼まれたとおり、差し出されたシリルの右手の薬指にしっかりとリングを嵌めた。軽く握って嵌まり具合を確認したシリルは、礼を言って身を起こした。
平静を装ったその裏で、リュークの見せた思いがけない一途さが、シリルに別の人間を思い起こさせた。同時にそれは、暗鬱とした、苦い思いをこみあげさせた。
万人の目を奪わずにはおかない完璧な美貌。だが、リュークのオリジナルであるユリウスという学者は、それほどの容姿を備えていながら、殆ど人に知られることもなくその生涯を閉じている。生前、ただ一心に研究に従事した彼は、己の仕える主君を救うため、まさに言葉のとおりに身命を賭し、その生命を削って病の解明にあたった。
心を尽くすと一度決めたなら、最後まで揺らぐことなくその意志を貫きとおす靱さは見事である。だがシリルは、リュークにおなじ生きかたをしてほしいとは思わなかった。
「よし、イーグルに戻るぞ」
シリルは立ち上がってリュークを扶け起こすと、今度こそイーグルワンに乗りこんだ。
エンジンをかけるなり、エアカーのモードに切り替える。すぐさま愛機を発進させたシリルは、一度崖上まで上がってエアカーで飛べるギリギリの高度を保ちながら周囲を旋回した。夜の闇に包まれた一帯の様子は、肉眼では細部の様子を見極めることが難しい。にもかかわらず、パネルを操作して小型ミサイルを起動させると一点に狙いを定め、迷うことなく発射ボタンを押した。
眼下で起こる小爆発。その爆風をあざやかに躱したシリルは、そのままふたたび崖下にもぐって谷間を縫うように愛機を進めると、10分ほどのフライトの後、岩肌が入り組んだ地形の一角にイーグルワンを着陸させた。
「悪い。テント置いてきちまったから、今夜はこのまま車中泊な」
シリルの言葉に頷いたリュークは、ふと、操縦席に座る男の異変に気づいてシートに預けていた身を起こした。
額にびっしりと浮かぶ汗。小さく開いた口から、乱れた呼吸が浅く漏れる。
「シリル?」
シートベルトをはずし、身を乗り出して機内灯をつけたリュークの目に、腹部を真っ赤に染め上げたシリルの姿が映った。
「シリルッ」
操縦桿を握りしめ、その上に額を埋めるようにしてきつく閉じていた目が、すぐ横であがった小さな悲鳴にうっすらと開いた。ゆっくりと顔を上げてそのままシートに全身を預け、乱れた息を軽く整える。見慣れてなお目を奪われる美貌に、激しい動揺が浮かんでいた。その様子を見て、シリルは力なく笑った。
「悪い、驚かせたな。ちょいとしくじった」
「撃たれたのですか?」
「ああ、ちょっとな。たいしたことはない。心配するな」
なんでもなさそうに応える声が掠れる。リュークは手早くシリルのシートベルトをはずすと、ボタンを操作して運転席側のシートをわずかに倒した。
「傷を、見せてください。手当てしないと」
言いながら、真っ赤に染まったシャツをめくり上げたリュークは大きく息を呑んだ。右脇腹の肉が深く抉れて、なおもそこから鮮血を溢れさせていた。
やがて戻った静寂の中、小さく息をついたシリルはゆっくりと頭を上げた。
「無事か?」
真下に抱きこんでいる麗人に尋ねると、腕の中でじっとしていたリュークは頷いた。その目の前に、握りしめていた掌をそっと開く。手にした物を、そのままシリルに差し出した。
ブルーダイヤが嵌めこまれた、特注のリング。
シリルは苦笑して、自分の右手を出した。
「嵌めてくれるか」
リュークは頼まれたとおり、差し出されたシリルの右手の薬指にしっかりとリングを嵌めた。軽く握って嵌まり具合を確認したシリルは、礼を言って身を起こした。
平静を装ったその裏で、リュークの見せた思いがけない一途さが、シリルに別の人間を思い起こさせた。同時にそれは、暗鬱とした、苦い思いをこみあげさせた。
万人の目を奪わずにはおかない完璧な美貌。だが、リュークのオリジナルであるユリウスという学者は、それほどの容姿を備えていながら、殆ど人に知られることもなくその生涯を閉じている。生前、ただ一心に研究に従事した彼は、己の仕える主君を救うため、まさに言葉のとおりに身命を賭し、その生命を削って病の解明にあたった。
心を尽くすと一度決めたなら、最後まで揺らぐことなくその意志を貫きとおす靱さは見事である。だがシリルは、リュークにおなじ生きかたをしてほしいとは思わなかった。
「よし、イーグルに戻るぞ」
シリルは立ち上がってリュークを扶け起こすと、今度こそイーグルワンに乗りこんだ。
エンジンをかけるなり、エアカーのモードに切り替える。すぐさま愛機を発進させたシリルは、一度崖上まで上がってエアカーで飛べるギリギリの高度を保ちながら周囲を旋回した。夜の闇に包まれた一帯の様子は、肉眼では細部の様子を見極めることが難しい。にもかかわらず、パネルを操作して小型ミサイルを起動させると一点に狙いを定め、迷うことなく発射ボタンを押した。
眼下で起こる小爆発。その爆風をあざやかに躱したシリルは、そのままふたたび崖下にもぐって谷間を縫うように愛機を進めると、10分ほどのフライトの後、岩肌が入り組んだ地形の一角にイーグルワンを着陸させた。
「悪い。テント置いてきちまったから、今夜はこのまま車中泊な」
シリルの言葉に頷いたリュークは、ふと、操縦席に座る男の異変に気づいてシートに預けていた身を起こした。
額にびっしりと浮かぶ汗。小さく開いた口から、乱れた呼吸が浅く漏れる。
「シリル?」
シートベルトをはずし、身を乗り出して機内灯をつけたリュークの目に、腹部を真っ赤に染め上げたシリルの姿が映った。
「シリルッ」
操縦桿を握りしめ、その上に額を埋めるようにしてきつく閉じていた目が、すぐ横であがった小さな悲鳴にうっすらと開いた。ゆっくりと顔を上げてそのままシートに全身を預け、乱れた息を軽く整える。見慣れてなお目を奪われる美貌に、激しい動揺が浮かんでいた。その様子を見て、シリルは力なく笑った。
「悪い、驚かせたな。ちょいとしくじった」
「撃たれたのですか?」
「ああ、ちょっとな。たいしたことはない。心配するな」
なんでもなさそうに応える声が掠れる。リュークは手早くシリルのシートベルトをはずすと、ボタンを操作して運転席側のシートをわずかに倒した。
「傷を、見せてください。手当てしないと」
言いながら、真っ赤に染まったシャツをめくり上げたリュークは大きく息を呑んだ。右脇腹の肉が深く抉れて、なおもそこから鮮血を溢れさせていた。
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