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第4章 渓谷のオアシス

第3話(4)

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 これまでかいくぐってきた死線の数々を思えば、シリルにとってこの程度のことなど戦闘のうちにも入らない。だが、あらゆる物事をはじめて経験するリュークには、強すぎる刺激であることは間違いなかった。襲撃直後のドッグファイトは想定の範囲内だったが、後半に関しては、シリルにも完全に想定外の展開だった。次々に攻撃を仕掛けられ、状況もわからないまま娯楽施設のアトラクション並みに激しく上下する乗り物の助手席でシートベルトにしがみつくだけの時間は、拷問に近い恐怖だったことだろう。なまじ、騒ぎ立てて感情を露わにすることがないぶん、処理しきれないほどのものを抱えても懸命にこらえようとする姿が健気に思えた。いまも、堅物の麗人はなにか問いかけてくるでなく、おとなしくシリルのあとをついてくる。躰のことももちろんだが、精神面でのフォローももう少し入れてやるべきかと思いつつ、足もとに気をつけるよう注意をうながしながら、シリルは狭い間道を抜けた先にある小さな沢へとリュークを案内した。

 岩肌のあちこちからしみ出た湧き水が、チョロチョロという音を立てて、直径10メートルにも満たない沢の中に注ぎこんでいる。その沢の淵に持参した荷物を置くと、シリルは適度な大きさの岩に腰掛けるようリュークをうながした。


「傷口を洗うから服を脱げ」

 シリルの言に従って、リュークがシャツを脱ぐ。手際よく包帯を解いたシリルは、上から専用の溶解スプレーを噴霧した。傷口との接着が溶けたタイミングで、冷却シートをゆっくりとはがしていく。そして、バッグの中から取り出したタオルを沢の水につけ、それをゆるく絞って、いまだ炎症のあとが生々しい左腕にそっと当てた。

「少し冷たいが、我慢しろ」
 そう言って、腕から肩、背中をゆっくりと浸していった。

「ここの水にはカルシウムやナトリウム、マグネシウムといったミネラルが豊富に含まれている。火傷の治療にはもってこいだろう」
「どこかの都市に、採取権が帰属しているのですか?」
「いや。おそらくまだだれも、ここの存在には気づいていない」

 そんな貴重な情報を、なぜシリルが知っているのか。クリスタル・ブルーの双眸が、ゆっくりと瞬く。言葉以上に雄弁な無表情を見やって、シリルはごく軽い調子で言った。

「裏の世界で長く仕事してると、こういう自分だけの穴場ってやつも、いくつかは持つようになる」

 ここがそのひとつなのだと説明されて、美貌のヒューマノイドは、あらためて沢とその周辺の様子を見渡した。
 本来であれば、貴重かつ高額取引の対象となる未登録の湧水地を発見した場合、その旨を国の専門機関に報告しなければならない。汚染度が高い可能性も充分あるため、水質を慎重に調査しなければならなかったし、採取権をめぐる抗争や闇取引の恰好の場として不法行為が横行するのを防ぐためである。湧水地の存在を知りながら報告を怠った場合、違反者には厳しい罰則が科されることとなる。知りながら、シリルはいまだかつて一度も、報告義務を果たしたことはなかった。リュークに対しては、裏稼業を営む人間であれば、それなりにこういった自分だけの秘密のスポットを持っているかのような話しかたをした。しかし実際のところ、湧水地の存在そのものが稀少である昨今、質のいい天然水が湧き出る未知の場所を複数箇所把握している人間など、皆無に等しいのが現状だった。一箇所でも知っていれば、早々に高値の取引材料として利用され、瞬く間に闇の業者が出入りするようになることは必至である。シリルは、静謐な空間をそういった連中に荒らされることを好まなかった。そもそも、裏取引の材料に使うほど金にも困っていない。国への報告義務を放置しているのも、公的機関であれ闇業者であれ、稀少な天然資源を専売して、暴利を得ようとする姿勢に変わりはないという認識があるためだった。
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