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第3章 ミスリルの巨大市場
第1話(4)
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はじめて目にするもの、口にしたことのないものばかりで味の想像もつかず、食べかたすらわからない。そんな状況で、無限に思える選択肢の中からなにかを選べというのは、かなりハードルの高い要求だっただろう。シリル自身もメニューを決めさせること自体が目的ではなかったため、様子や反応を窺いながら、邪魔にならない程度に口添えをしてやり、世間話のふうを装って店主とのやりとりも聴かせた。質問されれば、可能なかぎり具体的に答えてやるようにもした。そうして最終的に決まった昼食のメニューは、数種類の総菜とサラダ、香草で風味を出して焼いたチキンにチーズと野菜をトッピングしたものを挟んだパン、調理した魚貝をたっぷり詰めこんで焼いたパイという、はじめてにしては上出来すぎる組み合わせとなった。
市場内の各所に休憩場所として設けられているテーブルのひとつを陣取り、買いそろえた品をひろげていく。シリルに勧められるまま静かに食事をはじめたその顔には、心なしかホッとしたような、それでいてひと仕事やり遂げて満足したような様子が窺えた。
喜怒哀楽がはっきり目に見えるほど表情に出るわけではない。だが、感情がないわけでは決してなく、表現のしかた、感じかたそのものがわかっていないだけのようだった。
研究所での扱われかたがどのようなものだったのかはわからない。しかし少なくとも一個の人間として、その気持ちを尊重されることはなかったのだということが言動の随所から窺えた。これからの日々の中で、それがどう変化していくのかを見守るのも悪くないように思えた。
「美味いか?」
シリルの意見を聞きながら、慎重に自分で選んで購入したものをリュークは黙々と口に運ぶ。その様子を見ながら、シリルはなんとなしに尋ねた。すると、美貌のヒューマノイドはわずかに首をかしげて、咀嚼しているものの味や食感を確かめるようなそぶりを見せた。シリルは途端にそれを制止した。
「そんな難しく考えなくていい」
美貌のヒューマノイドは、今度はその言われた意味について検討するようにゆっくりと瞬きをした。シリルはそれに対して言葉を付け加えた。
「ひとつひとつ細かく分析して、データを算出しろとは言ってない。おまえはいちいち数値化したものをもとに物事を解析しようとするが、もっと主観に頼った判断をすることを学べ」
「主観に頼った、とは?」
「たとえばいまみたいに、美味いか不味いかを訊かれた場合、自分の好みに合っているかどうか――好きか嫌いかで答えればいいんだ。おまえは好きでも俺は好まない味付けかもしれないし、その逆もあるかもしれない。味の好みが似ていれば意見が合うこともある。美味い不味い、好き嫌いなんてそんなもんだ」
で、そのポテトのサラダは好みに合うか?とあらためて訊かれ、リュークは押し黙った。無表情であることに変わりはないが、当惑しているのは一目瞭然だった。おそらく研究所では、こんな曖昧な結論を迫られたことはないのだろう。シリルは急かさない。自力で考えて、自分なりの結論を出すのを辛抱強く待った。
やがて、テーブルに落とされていた視線がシリルの上に戻された。薄い口唇が、小さく開く。
「私には、よくわかりません」
開いた口同様、小さな声が頼りなげに言葉を紡いだ。
「これまで私は、食べ物の味にかぎらず、そういう物事の判断のしかたをした経験がありませんので」
「おいおい慣れていけばいい」
シリルが応じると、ふたたび沈黙したリュークは、ややあってからもう一度口を開いた。
「……たぶん、美味しい、と、思います。少なくとも、嫌いではないかと……」
自分の感じていることをひとつひとつ確認しながら、慎重に正解を探り出すようにして言葉にする。そうして答えたあとで、すぐわきにあった飲み物に手を伸ばした。慣れないことをした緊張で、渇いた口の中を潤そうとする無意識の行為。だが、何気なくストローを口に含み、なかの液体を吸い上げた途端、美貌のヒューマノイドは伏せていた目をわずかに見開いてビクッと全身をふるわせた。リュークが口にしたのは、最後に自分で選んだライムソーダだった。
市場内の各所に休憩場所として設けられているテーブルのひとつを陣取り、買いそろえた品をひろげていく。シリルに勧められるまま静かに食事をはじめたその顔には、心なしかホッとしたような、それでいてひと仕事やり遂げて満足したような様子が窺えた。
喜怒哀楽がはっきり目に見えるほど表情に出るわけではない。だが、感情がないわけでは決してなく、表現のしかた、感じかたそのものがわかっていないだけのようだった。
研究所での扱われかたがどのようなものだったのかはわからない。しかし少なくとも一個の人間として、その気持ちを尊重されることはなかったのだということが言動の随所から窺えた。これからの日々の中で、それがどう変化していくのかを見守るのも悪くないように思えた。
「美味いか?」
シリルの意見を聞きながら、慎重に自分で選んで購入したものをリュークは黙々と口に運ぶ。その様子を見ながら、シリルはなんとなしに尋ねた。すると、美貌のヒューマノイドはわずかに首をかしげて、咀嚼しているものの味や食感を確かめるようなそぶりを見せた。シリルは途端にそれを制止した。
「そんな難しく考えなくていい」
美貌のヒューマノイドは、今度はその言われた意味について検討するようにゆっくりと瞬きをした。シリルはそれに対して言葉を付け加えた。
「ひとつひとつ細かく分析して、データを算出しろとは言ってない。おまえはいちいち数値化したものをもとに物事を解析しようとするが、もっと主観に頼った判断をすることを学べ」
「主観に頼った、とは?」
「たとえばいまみたいに、美味いか不味いかを訊かれた場合、自分の好みに合っているかどうか――好きか嫌いかで答えればいいんだ。おまえは好きでも俺は好まない味付けかもしれないし、その逆もあるかもしれない。味の好みが似ていれば意見が合うこともある。美味い不味い、好き嫌いなんてそんなもんだ」
で、そのポテトのサラダは好みに合うか?とあらためて訊かれ、リュークは押し黙った。無表情であることに変わりはないが、当惑しているのは一目瞭然だった。おそらく研究所では、こんな曖昧な結論を迫られたことはないのだろう。シリルは急かさない。自力で考えて、自分なりの結論を出すのを辛抱強く待った。
やがて、テーブルに落とされていた視線がシリルの上に戻された。薄い口唇が、小さく開く。
「私には、よくわかりません」
開いた口同様、小さな声が頼りなげに言葉を紡いだ。
「これまで私は、食べ物の味にかぎらず、そういう物事の判断のしかたをした経験がありませんので」
「おいおい慣れていけばいい」
シリルが応じると、ふたたび沈黙したリュークは、ややあってからもう一度口を開いた。
「……たぶん、美味しい、と、思います。少なくとも、嫌いではないかと……」
自分の感じていることをひとつひとつ確認しながら、慎重に正解を探り出すようにして言葉にする。そうして答えたあとで、すぐわきにあった飲み物に手を伸ばした。慣れないことをした緊張で、渇いた口の中を潤そうとする無意識の行為。だが、何気なくストローを口に含み、なかの液体を吸い上げた途端、美貌のヒューマノイドは伏せていた目をわずかに見開いてビクッと全身をふるわせた。リュークが口にしたのは、最後に自分で選んだライムソーダだった。
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