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第2章 波乱の幕開け
第2話(7)
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「ヤロウッ、ふざけやがってっ!!」
巨漢は、握った右の拳を大きく振りかぶった。相手に胸倉を掴まれた恰好のまま、シリルは無防備な体勢でじっとしている。だが、振り上げられたその拳が顔面めがけて飛んできた瞬間、ダラリと下げたままにしていた両腕が瞬時に動いた。
「忠告は、充分すぎるほどしたぞ?」
言葉を発したときにはすでに、男の両腕は撥ね除けられていた。
前方に一点集中するはずだった力のベクトルが勢いよく後方へ弾き返され、その反動で赭ら顔の巨漢は思わずといった具合に蹈鞴を踏む。と、次の瞬間、下顎に強烈な衝撃が弾けるとともに、筋肉質の固太りした巨躯が軽々と宙を飛んだ。
真後ろにいた男たちを巻きこんで、ダンゴになった集団が弾け飛ぶ。だが、そのいずれもが、テーブルとテーブルのあいだの通路にうまい具合に投げ出される恰好となった。何人かが椅子やテーブルにぶつかったことで、派手な物音は店内に鳴り響いたが、それ以上の被害が周辺に波及することはなかった。
男たちはこぞって狭い隙間に折り重なり、倒れこんだ。被害者数のわりに、店のダメージはほぼなかったに等しい。決着は、じつにあっけなくついていた。
腕力では相当鳴らしてきた猛者たちの中でも、殊に喧嘩自慢の剛勇だったリーダー格の男が、ただの一撃で床に沈められた。そのさまを目の当たりにした仲間たちのあいだに、激しい動揺が奔った。
足もとがふらついた瞬間に顎先にくらった強烈な一発のせいで、赭ら顔の巨漢は完全に伸びている。下敷きになって呻く仲間たちの上で白目を剥いていた。そのさまを涼しい顔で見下ろしたシリルは、男を殴ったほうの手を軽く振りながら、取り囲む酔っぱらいたちを見渡した。
「組んだ瞬間に相手の力量も見極められねえようじゃ、そのうち泣きを見ることになるぜ?」
挑発的ともとれる忠告だったが、反論する者は、もはやひとりもいなかった。
「で、どうする? まだやるか? それとも俺の連れを、おとなしく返すか?」
こうなっては、どうするもなにもあったものではない。生意気な若造を軽く捻ったあとでたっぷり可愛がる予定だったはずの仔猫は、とてつもなく獰猛な獣を呼び寄せる疫病神へと早変わりした。リュークを捕まえていた男が、シリルと目が合うなりヒッと喉を鳴らしてその腕を放した。
拘束から解放された美貌の人質が、ゆっくりとシリルのそばに歩み寄る。無感動な眼差しそのままに、人にあらざる麗人は謐かに言った。
「暴力で物事を解決するのは感心できません」
どこまでも生真面目な正言に、かよわいパートナーを救った正義のヒーローはがっくりと肩を落とした。
「リューク、おまえね、全部終わってからしれっと言うなよ」
「口を挟むまもなかったものですから」
「はいはい、野蛮ですみませんね。っていうか、おまえもおとなしく捕まってないで、少しは抵抗するそぶりくらい見せろよ」
「私の力で敵う相手でないことは明白です。無駄に騒ぎ立てて興奮を煽るのは得策ではないと判断しました」
「あ~、そうですか。助け甲斐はないが、まあ、賢明っちゃ賢明な判断だな」
軽く肩を竦めて、シリルは伸びている男を担いで、あたふたと退散しようとする連中を顧みた。
「おい、いまさらだが、リュークは『綺麗なおねえちゃん』じゃねえぞ。貌さえよければ男でも可愛がれるって性癖ならべつにかまわんが、絡んでくるまえに、いろいろ相手を見極める経験値ぐらいは積んでおけよ」
ギョッとして振り返った連中に、シリルは人の悪い笑みを浮かべた。そのうえで、これ見よがしにリュークの細い肩を抱き、中途になっていた食事の席に戻った。
巨漢は、握った右の拳を大きく振りかぶった。相手に胸倉を掴まれた恰好のまま、シリルは無防備な体勢でじっとしている。だが、振り上げられたその拳が顔面めがけて飛んできた瞬間、ダラリと下げたままにしていた両腕が瞬時に動いた。
「忠告は、充分すぎるほどしたぞ?」
言葉を発したときにはすでに、男の両腕は撥ね除けられていた。
前方に一点集中するはずだった力のベクトルが勢いよく後方へ弾き返され、その反動で赭ら顔の巨漢は思わずといった具合に蹈鞴を踏む。と、次の瞬間、下顎に強烈な衝撃が弾けるとともに、筋肉質の固太りした巨躯が軽々と宙を飛んだ。
真後ろにいた男たちを巻きこんで、ダンゴになった集団が弾け飛ぶ。だが、そのいずれもが、テーブルとテーブルのあいだの通路にうまい具合に投げ出される恰好となった。何人かが椅子やテーブルにぶつかったことで、派手な物音は店内に鳴り響いたが、それ以上の被害が周辺に波及することはなかった。
男たちはこぞって狭い隙間に折り重なり、倒れこんだ。被害者数のわりに、店のダメージはほぼなかったに等しい。決着は、じつにあっけなくついていた。
腕力では相当鳴らしてきた猛者たちの中でも、殊に喧嘩自慢の剛勇だったリーダー格の男が、ただの一撃で床に沈められた。そのさまを目の当たりにした仲間たちのあいだに、激しい動揺が奔った。
足もとがふらついた瞬間に顎先にくらった強烈な一発のせいで、赭ら顔の巨漢は完全に伸びている。下敷きになって呻く仲間たちの上で白目を剥いていた。そのさまを涼しい顔で見下ろしたシリルは、男を殴ったほうの手を軽く振りながら、取り囲む酔っぱらいたちを見渡した。
「組んだ瞬間に相手の力量も見極められねえようじゃ、そのうち泣きを見ることになるぜ?」
挑発的ともとれる忠告だったが、反論する者は、もはやひとりもいなかった。
「で、どうする? まだやるか? それとも俺の連れを、おとなしく返すか?」
こうなっては、どうするもなにもあったものではない。生意気な若造を軽く捻ったあとでたっぷり可愛がる予定だったはずの仔猫は、とてつもなく獰猛な獣を呼び寄せる疫病神へと早変わりした。リュークを捕まえていた男が、シリルと目が合うなりヒッと喉を鳴らしてその腕を放した。
拘束から解放された美貌の人質が、ゆっくりとシリルのそばに歩み寄る。無感動な眼差しそのままに、人にあらざる麗人は謐かに言った。
「暴力で物事を解決するのは感心できません」
どこまでも生真面目な正言に、かよわいパートナーを救った正義のヒーローはがっくりと肩を落とした。
「リューク、おまえね、全部終わってからしれっと言うなよ」
「口を挟むまもなかったものですから」
「はいはい、野蛮ですみませんね。っていうか、おまえもおとなしく捕まってないで、少しは抵抗するそぶりくらい見せろよ」
「私の力で敵う相手でないことは明白です。無駄に騒ぎ立てて興奮を煽るのは得策ではないと判断しました」
「あ~、そうですか。助け甲斐はないが、まあ、賢明っちゃ賢明な判断だな」
軽く肩を竦めて、シリルは伸びている男を担いで、あたふたと退散しようとする連中を顧みた。
「おい、いまさらだが、リュークは『綺麗なおねえちゃん』じゃねえぞ。貌さえよければ男でも可愛がれるって性癖ならべつにかまわんが、絡んでくるまえに、いろいろ相手を見極める経験値ぐらいは積んでおけよ」
ギョッとして振り返った連中に、シリルは人の悪い笑みを浮かべた。そのうえで、これ見よがしにリュークの細い肩を抱き、中途になっていた食事の席に戻った。
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