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第一章

1. とある日の出来事

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 ある日、頭を打ちました。

 その日は、舞踏会で第二王子アラン様(私の愛しの)に卑しくも話しかけ、ちょっかいをかけたプリシラ(泥棒猫予備群)とかいう小娘に徒党を組んで身分の違いを教育していました。

 桃色の髪をしたプリシラはいつもオドオドと他人の様子を伺っており、その態度も私の精神を逆撫でしました。

 だから今日は、そんな彼女を『行儀見習い』という名目でイジメていたのです。

 いつもメイドのナターシャにやっているように、頭から水をぶっかけて掃除をさせます。拭いても拭いても身体から水が滴ります。

「何やってんの? 掃除もまともにできないの? 早く拭きなさいよ」

 私は取り巻きの手下と一緒に、口角を醜くゆがませて、彼女を嘲笑っていました。(これに懲りたら2度と彼に色目使うんじゃないわよ!)と内心でも、せせら笑っています。

 まだ教育は始まったばかり! まだ序の口のつもりでした。

 ……しかし、人には『忍耐力の限界』というものが存在していることに愚かな私は気づいていなかったのです。

 私がバケツを蹴飛ばして、床に水をぶちまけた時でした。ついに彼女は限界を迎えました。

「このくそ女がぁぁ!!」

 スパーン! っと軽快な音が鳴りました。

 ついにブチ切れたプリシラは金属のモップの柄で私の頭をぶっ叩いたのです。

 見事の一言につきる太刀筋。のちに思い出したことですが、彼女は武門の名家出身で幼い時より剣術を習っていたのです。

「え、ふえ。……あれぇ?」

 なにが起こったの?

 目の前がぐるぐる回ってぐらぐらしています。ぐにゃぐにゃと歪んた空間が現実感を奪います。ふらふらと廊下をさ迷って、バターンと大きな音を立てて仰向けに倒れました。

 ああ、天井がまわっています。メリーゴーラウンドのようです。万華鏡かもしれません。

 どくどくとした生暖かいものが頭から流れています。一体何でしょう? 水に浮かぶようなおぼろげな意識がどこかへ溶け出ていきます。

 周りからは「きゃーなんてこと!」っていう悲鳴。「誰か呼ばなくちゃ……!」という狼狽した声。「しくしく……」とすすり泣く声が聞こえます。「ざまあみろ……」と聞こえたのは幻聴のはずです。

 あれ? なんで誰も私のそばに駆け寄って心配してくれないの? この高貴な私が困っているというのに……?

 私は公爵令嬢なのに……。

 『死』という単語が浮かびました。
 
 ぷつんと意識が、か細い糸になって切れた気がしました。

 その時です。

「私は……」

 突然、頭の中が透き通ってクリアになったのを感じたのです。脳を何かの糸でがんじがらめにされてコントロールされていたような呪縛が解け、爽快な気分になりました。私は今まで誰かの操り人形だったのでしょうか? そんな疑問を抱きます。

 すっきりです。

 あいつ!(誰か分からない、行き場のない怒りが向かう相手)こんなの差し込んでやがった。私の頭の中に……! 

「思い出した……全部……」

 私は【前世の記憶】を取り戻したのです。

 遠い日の記憶。

 かつて、こことは違う世界がありました。

 私は日本という国で学生でした。ある日、就職面接に行く途中に乗っていたバスにトラックが突っ込んできて、あっけなく死亡。最後の言葉は「あと、6社受けないといけないのに……遅刻しちゃう。就職したら、乙女ゲームとグッズを死ぬほど買いたいのに……」という事故の記憶。

 それから、気づくと何もかもが真っ白な空間にいました。まさか、これって……と期待に胸が膨らみました。

「おめでとうございます。貴女は異世界転生者に選ばれました! 乙女ゲーム風の世界に転生させてあげましょう!」

 一見して女神だと分かる服装の女性は私に宣言しました。空中に浮いています。

「えっ……ぜひお願いします!!」

 はち切れんばかりの巨乳の女神様が素晴らしい提案をして、私はノータイムの即決で渡りの船に飛び乗ったのです。

 私が想像していた『異世界転生』そのものでした。

「ではでは、希望はありますか? 迷うようならセットプランもあります。『病弱令嬢溺愛』とか『聖女追放ざまぁ』とかいろいろお得なテンプレートも準備してます。もちろん、細かい趣向に合わせて個別設定も可能ですよ。何なりと要望を言ってくださいね。これがそのリストです。加えて、色々不便なこともあるでしょう。使い魔として我が下僕をアシスタントに同行させることも可能です。異世界のガイド役ですね。困ったら彼に聞いてください。アフターケアも万全です。……さぁ、どうしますか? すべてあなたの望むまま!!」

 ドン! っと山積みの書類を女神様はスマイル100%で提示しました。

「えへ? えーっと……いい感じで、お任せします。あの、それで、そのぉ……」

 至れり尽くせりの転生プランをまくしたてられ、ぼやぼやと酩酊状態になった私は、あやふやな回答をしてしまったのです。優柔不断な私の悪いところでした。スマホのプランとかもショップ店員さんのいいなりで決めてしまうタイプです。

 プランよりも重要なことで私の頭は支配されていたことが拍車をかけた原因でした。

「了解です! おまかせプランですね!」

「は、はい。それで、お、おお値段の方は……?」

 一番気になっていたことです。三途の川を渡るにも六文銭が必要らしいですから、どんな代償を払えばいいのか不安です。私は無一文でした。

「ふふ。ご心配なく、無料ですよ」

 女神様はニッコリと笑いました。

「え、本当ですか! ありがとうございます!」

 うれしくてたまりませんでした。こんな上手い話、滅多にないでしょう。私は速攻で書類にサインと血判を押して契約を完了させました。

「ではでは、いってらっしゃいませ~」

「はい!」

 こうして私は喜んで異世界に転生していたのです。

 そして現在。

 そして……思い出したのが、ここまでだったのなら……私は絶望なんてしなかったでしょう。

 仰向けのまま天井を見つめて、私は茫然としていました。不思議と痛みはもうありません。意識はハッキリしてクリアな頭は現実を理解させます。

 絶望の原因は明らかでした。しかし、結果は全くの想定外でした。

 私は転生してから、なぜか今の今まで前世の記憶を忘れていたのです。

 前の世界の私はすこし臆病だったけれど、真面目に生きてきたつもりでした。だから転生なんて荒唐無稽な話を聞いても「これは今までのご褒美なんだ」と素直に受け入れることが出来たのです。

 ……だとしたら。

 ならば、この世界の私はどうなるのでしょう?

 『ウキウキのご褒美』の反対は『残酷な制裁』です。

 この世界で私が17年間行ってきた所業は、言の葉に乗せることもはばかられる……傍若無人、わがまま放題だったのですから。

 まるで別な人格に乗っ取られていたような……。でも、この体にこびりついた記憶は自分自身の行為なのだと、否応なしに実感させていました。

 ──罪はなかったことにはならない。

 私は震えました。これから待っているだろう結末を容易に想像できたからです。

 なぜなら、この世界には見覚えがあったのです。今にして気づいたことですが私が元の世界でプレイしていた、とあるゲームの世界観設定にそっくりなのです。

 喉の奥から、言葉にならない震えが湧き上がってきました。

 あの時、友達から借りたあのゲーム……そういえば事故で死んじゃったので、まだ返せていません。「感想を聞かせてねっ!」と彼女に無理やり押し付けられたあれは……ゲーム機に入ったままだったのでは? まさか、女神様は……あれが私の趣味だと勘違いしたのでしょうか?

 ──なにもかも……もう手遅れ……。

 シナリオという道標を知っているからこそ、抗えない恐怖を実感します。

 バッドエンドへまっしぐらに突進する暴走機関車のような運命は、すでに誰にも止められないうねりとなっていました。

 あのゲーム……。

 乙女ゲーム『愛欲のアルストロメリア』は死ぬほどドロドロとした愛憎劇です。
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