隻眼の少女は薔薇騎士に愛でられる

柘榴アリス

文字の大きさ
上 下
182 / 226

第百八十話 もう、手遅れですよ

しおりを挟む
「ミア!ソニア!お前達、ゾフィーをどこに…!
っ!?な、何だ!この匂いは…!?」

ノックもなしにバン!と大きな音を立てて、扉が開かれる。
折角、いい所だったのに…。そんな思いで扉に目を向ける。そこには、夫が呆然とこちらを見つめていた。

「こ、これは一体…?」

ロンディ子爵は急いで妻の部屋に飛び込んだ。怒りのまま怒鳴りつけるがすぐに口を閉ざした。
部屋の空気や二人の様子があまりにもおかしかったからだ。
室内に漂う甘い香りに異様な空気を醸し出す妻子の姿…。妻の手には大きな煙管が握られている。
煙が立ち上り、そこから独特の甘い香りが漂っていた。ロンディ子爵は呆然と立ち尽くした。
二人は目がトロン、として楽しそうに笑っている。だが、その目は焦点が定まっておらず、遠くを見ているかのようだ。どう見ても、様子がおかしい二人に子爵は困惑する。

「お前達…、一体何をして…、」

「見て分かりませんか?」

背後からあのオッドアイの青年が声を掛ける。バッと勢いよく振り返る。青年は意味深に笑い、

「あれは、阿片ですよ。最近、流行っているでしょう?」

「あ、阿片だとお!?」

青年の爆弾発言に子爵は仰天し、顔色が真っ青になった。
阿片。それは、国で禁じられている違法薬物だ。所持をしているだけでも重い処罰を課せられる。
当然、阿片を売り捌いたり、育てたりするのも重罪だ。これがバレたら、自分もこの家も終わりだ。

「な、何てことをしてくれたんだ!お前達は!
こ、こんな事が陛下や薔薇騎士にでも知られれば…!」

「何を今更…。もう、手遅れですよ。」

「なっ…!?ど、どういう事だ!?」

「言ったでしょう。ゾフィー嬢の行方は彼女達が知っていると。」

青年の言葉に子爵はハッとした。

「そ、そうだ!ゾフィーは…!
おい!ミア!ソニア!一体、どういう事なんだ!?
ゾフィーに何をしたのだ!」

「お父様まで…、お姉様を気にかけるというの…?」

ゆらり、とソニアが立ち上がり、小さく呟いた。

「お父様はいつもあたしを可愛がってくれたじゃない!お姉様よりもずっとずっと…!
なのに、どうして…、どうして、そんな事を言うの!?」

「な…、し、仕方ないだろう!ゾフィーは五大貴族に嫁ぐのだぞ!?
ゾフィーに何かあれば侯爵が黙っていない!気にかけるのは当然だろう!
ソニア。勿論、お前の事だって大事に想っているぞ。お前は儂の大事な娘だ。これもお前の為に…、」

「じゃあ、別にお姉様はいらないでしょ?」

ソニアは父親に詰め寄り、異様にぎらついた目で言った。その視線に子爵はたじろいだ。

「ねえ、そうでしょう?娘はあたしがいるんだからそれでいいわよね?この家に娘は二人もいらない。あたしがいればそれでいいわよね。お父様だっていつも言っていたじゃない。お姉様よりもあたしの方が可愛いし、自慢の娘だって。」

「い、いや。しかし…、」

「そうよ。あなた。」

妻までもがソニアに同意し、近づいた。

「私達の娘はソニアとダークだけ。それでいいじゃない。」

「お前まで何を言い出すんだ!そもそも、ゾフィーがいないと侯爵家との繋がりだって…!」

「なら、ソニアを嫁がせましょう。そうよ。それがいいわ。」

妻はさも名案だというように呟いた。

「馬鹿を言え!それを言って、侯爵の怒りを買って儂がどれだけ酷い目に遭ったのかもう忘れたのか!」

「あの時はお姉様がいたからあたしは花嫁になれなかっただけ。でも、邪魔なお姉様は消えた。」

ソニアが手を広げ、興奮したように言った。その手の薬指には…、ゾフィーの婚約指輪が嵌められていた。

「そ、ソニア!そ、その指輪は…!」

ソニアは恍惚とした表情で微笑み、指輪を翳して見せた。

「お姉様の物はあたしの物。だから、これもあたしの物だわ。フフッ…、あたしがお姉様の代わりに侯爵の花嫁になるの。フフッ…、アハハハハ!」

狂ったように笑い出すソニアに子爵はたじろいだ。妻までも同調している。

「ええ。ソニア。あなたこそが花嫁になるべきだわ。あなたはこんなに可愛いのだもの…。誰よりも幸せになるべきだわ…。」

「お、お前達…、一体、ゾフィーに何をしたのだ…?」

その問いにソニアはぴたり、と笑うのを止めた。そして、愉悦を含んだ笑みを浮かべると、

「お姉様は娼館に売り飛ばしたわ。きっと、今頃、知らない男達に犯されているわ。フフッ…、淫売のお姉様にはぴったりだと思わない?」

「な、何いいいい!?な、な、何て事をしてくれたんだ!」

「だって、仕方ないでしょう。ソニアの幸せの為にはこうするしかなかったんですもの。
あれでも、ゾフィーはあたしの娘。私だってこんな事はしたくなかったけれど…、
ソニアや私を恨んで仕返しにこられたらと考えると、怖くて…。」

だから、ああするしかなかったのだと妻は怯えたように肩を震わせてそう言った。
その言葉に子爵は恐怖に慄いた。思い浮かぶのはあの黄緑色の目をした恐ろしい男の姿…。

「こ、こんな…、こんな事が侯爵に知られれば…!」

間違いなく、殺される…!いや!もしかしたら、死ぬよりも酷い目に遭わされることだって…!
い、いや!待て!儂は関係ない!
そ、そうだ!儂はこの件に加担していないのだから!妻と娘のせいにでもして責任逃れしてしまえば…、

「大丈夫よ。お母様。
生温い手は駄目。やるからには、徹底的にやりなさいって、あの人も言ってたじゃない。
二度と這い上がれない位にどん底まで墜としてしまえば何もできやしないわ。」

それに‥、とソニアは口元に笑みを浮かべたまま続けて言った。

「どちらにしろ、お姉様はもう終わりよ!
薬漬けにして逃げられないように彼に頼んでおいたからお姉様は一生、娼婦として生きていくしかないわ。
きっと、私達のことも忘れてしまっているわ。
だから、仕返しもできっこない!
フフッ…、いい気味!いい気味だわ!」

「そ、そう、よね‥。
そもそも、あの子がソニアに婚約者を譲らなかったのが悪いのだもの。だから、私は悪くないわ。」

またしても楽しそうに笑うソニアと自分は悪くない、と言い張る妻には目も向けず、子爵はどうにか自分だけでも助ける方法はないかと保身に走ろうとした。彼…?ということは、この男も…。
よし!なら、こいつのせいにでもしてしまえば…、そう考えていると、

「無駄ですよ。子爵。ここまで来たら、あなた達はもう引き返せない。」

オッドアイの男は子爵の心を見透かしたかのように薄っすらと笑った。

「じょ、冗談ではない!儂は無関係だ!そもそも!お前が妻と娘を唆したのではないか!?
この、悪魔め!」

「悪魔…?」

クスッとおかしそうに男は笑う。

「何がおかしい!?馬鹿にしているのか!?」

「いえいえ。馬鹿にだなんて…、ただ少しおかしくて笑ってしまっただけで…。
…わたしを悪魔と言うが…、それはあなただろう?」

「な、何だと!?こ、この儂のどこが悪魔だと…!」

男の言葉に憤慨する子爵に近付き、男はその耳元に囁いた。

「あなたは既にその手で人を殺しているじゃないか。…実の母親と弟を手にかけるなんて、普通の人間にできることじゃない。そんな人間を…、悪魔と呼んで何が悪い?」

「な、な…、何の事、だ…。」

子爵は顔色が真っ青になった。ドクン、ドクン、と心臓が嫌な音を立てる。冷や汗がダラダラと流れた。動揺のあまり声が震えた。な、何故だ…。どうしてだ…。ど、どこでバレたのだ。決してバレないようにやった筈だ。どうして、この男がそれを知っているのだ…!
誰にも言っていなかった。妻にすら隠していた。もう忘れかけていたその秘密を暴かれる恐怖に子爵は顔を引き攣らせた。

「ゾフィーがどうして、君達家族に馴染めなかったのか分かったよ。
君達、家族は揃いも揃って身勝手で愚かで人でなしばかりだからな。…まあ、そういう奴らに限って扱いやすいんだけど。」

男は独り言を言い、最後の言葉は小さく誰にも聞こえない声で呟いた。

「し、知らない!わ、儂は何も知らないぞ!お、お前の言う事は出鱈目だ!」

「惚けても無駄だよ。わたしは全部、知っているんだから。それに…、あなたはもう逃れられない。ゾフィーはあなたの名前で娼館に売り飛ばされているし、この子達が阿片をしているのがバレればあなたも道連れだ。その上、人殺しの罪も知られれば、どうなるか…、分かるよな?
それが嫌なら、わたしに従え。いいな?」

拒否権はなかった。蒼褪めた顔で頷く子爵を男は満足げに見下ろした。

「ああ…。お姉様がボロボロになった姿…、見てみたい…!
そうだわ!ゼリウス様と結婚したら、お姉様に会いに行こうかしら!目一杯、着飾ってお姉様に侯爵夫人のあたしを見せつけてあげるの!どう!?シーザー!いい考えだと思わない?」

ソニアの言葉に男…、シーザーは薄く微笑んだ。

「素晴らしいね。」

シーザー。羊たちの救済の指導者…。
それがオッドアイの男の正体だった。

「そうでしょう?そういえば、お姉様は今、どうしているの?もう、客はとった?」

「…いや。それより先に逃げ出さない為の仕込みをしている所だ。」

折檻や体罰もいいが、それよりももっと確実な方法がある。阿片で薬漬けにしてしまえばいいのだ。そうすれば、もう逃げられない。一度、阿片の味を覚えてしまえば身体が…、心が阿片を渇望するのだから。彼女はもう、二度と表の世界には戻ってこられないだろう。
シーザーはククッとおかしそうに笑った。

ああ…。楽しみだ…。ゾフィーの変わり果てた姿を見るのが…。
大切な親友のその姿に彼女はどう思うだろうか?
彼女達は動き出しているみたいだが運よく辿り着いたとしてももう遅い。その頃にはゾフィーは引き返せない所まできている。例え、助け出したとしても、もう普通の生活には戻れない。
阿片を身体から完全に抜け出すのは容易な事ではない。きっと、それには多くの年数を費やすことだろう。

シーザーは子爵家を後にし、夜空を見上げながら、笑った。

「ああ…!早く、彼女に会いたいものだ…。リエル・ド・フォルネーゼ…!」

堪えきれない、というようにシーザーは叫んだ。早く、早く会いたい…!あの隻眼の少女に…!
ふと、シーザーは笑いを止め、後ろを振り返った。
人影が近付いたからだ。だが、シーザーは動じない。相手が誰だか知っているからだ。人影はシーザーの部下だった。部下はシーザーの前に跪いた。

「あの女の様子は?」

「はい。ご命令通り…、しっかりと我々で見張っているため、逃げ出す可能性はありません。
ですが…、例の薬も使ってはいるのですが未だに自我があり、抵抗しています。」

「…そう。まだ堕ちないのか。さすが、彼女の親友であるだけあるな。そこら辺の軟な女共とは違うか。」

「如何致しますか?」

「まあ、多少は自我があっても問題ない。第二段階に移って構わない。明日にでも…、客をとらせろ。」

「ハッ!…それはそうと、シーザー様。今回の件、黒猫に知らせなくてもいいのですか?
まだ新参者のリヒターに計画を知らせなかったのは分かります。ですが、黒猫は我々の中でも長くあなたに仕えています。何より、一番戦闘能力が優れた男です。万が一が起こった時の為に黒猫にも…、」

「…いや。あいつには、知らせるな。今回はお前達に任せる。」

部下を下がらせ、シーザーはぽつりと呟いた。

「あいつは駄目だ。…最近は、妙に揺れているからな。」

黒猫はあのロンディ家の連中と違って扱いづらい人間だ。
勘が鋭いし、何より、悪に染まりきれず情に厚い面がある。
黒猫はどことなく彼女…、リエルと似ている節があるのだ。あれも困っている人間や苦しんでいる人間がいれば手を差し伸べて助けようとする。根が善良で真っ直ぐな心の持ち主。
あの頃はまだ復讐に心が支配され、そこを突けば思い通りに動いてくれた。だが、成長するにつれ、黒猫は段々と自分の目で見て、考えるようになり、気付くようになってしまった。
だが、まだ切り捨てるわけにはいかない。
あいつは利用価値がある。リエルを誘き寄せる為にも黒猫にはまだ自分の駒でいてもらわないと…。シーザーはそう呟き、夜の闇の中に姿を消した。
しおりを挟む
感想 124

あなたにおすすめの小説

【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜

高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。 婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。 それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。 何故、そんな事に。 優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。 婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。 リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。 悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

婚約破棄はまだですか?─豊穣をもたらす伝説の公爵令嬢に転生したけど、王太子がなかなか婚約破棄してこない

nanahi
恋愛
火事のあと、私は王太子の婚約者:シンシア・ウォーレンに転生した。王国に豊穣をもたらすという伝説の黒髪黒眼の公爵令嬢だ。王太子は婚約者の私がいながら、男爵令嬢ケリーを愛していた。「王太子から婚約破棄されるパターンね」…私はつらい前世から解放された喜びから、破棄を進んで受け入れようと自由に振る舞っていた。ところが王太子はなかなか破棄を告げてこなくて…?

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

[完結]いらない子と思われていた令嬢は・・・・・・

青空一夏
恋愛
私は両親の目には映らない。それは妹が生まれてから、ずっとだ。弟が生まれてからは、もう私は存在しない。 婚約者は妹を選び、両親は当然のようにそれを喜ぶ。 「取られる方が悪いんじゃないの? 魅力がないほうが負け」 妹の言葉を肯定する家族達。 そうですか・・・・・・私は邪魔者ですよね、だから私はいなくなります。 ※以前投稿していたものを引き下げ、大幅に改稿したものになります。

処理中です...