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第百四十一話 アルバートに話そう
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「その傷…。グィネヴィア女王の…。」
『血染めの女王』と悪名高く、ありとあらゆる悪行に手を染めた恐ろしい気質の女王。その悪行の一つとして、女王は美しい女を無惨な方法で殺したり、顔に一生、見えない傷を残したりした。リュシュフィはその最後の犠牲者だった。
当時、リアンディール子爵家当主、ディアーク卿の婚約者であったリュシュフィは女王にお茶の誘いを受け、王宮に赴いた。
そのお茶の席で女王は劇薬の入ったカップをリュシュフィの顔にかけて、リュシュフィは酷い火傷を負った。その場にいた青薔薇騎士が慌てて止めたがそれすらも振り切って女王は苦しみ悶えて床に倒れ込んでいるリュシュフィに追い打ちをかけるかのように劇薬をかけようとしたが突然、現れたリアンディール子爵と五大貴族に阻まれ、リュシュフィの傷は顔の半分だけですんだ。
リュシュフィのお茶の誘いを聞きつけ、ディアーク卿は急いで駆けつけたのだが一歩、遅かった。
リュシュフィの火傷は顔の半分だけだったとはいえ、完全には治らず、顔に一生残る傷となってしまった。
女王はリュシュフィに手をかけたことで完全に五大貴族からは見限られ、最終的に女王は失脚する道を辿ることになる。
妖精姫と謳われた美貌を持つリュシュフィが目覚めた時に火傷の残る顔を見て、何を思ったのか。
リエルには想像もできない。でも、きっとリエルがあの時、感じた絶望を抱いたことだろう。
「リエル。私はね…、ディアークに捨てられると思ったわ。私は美しいだけが取り柄の何の力もない他国の貴族令嬢。頭がいいわけでも武術の道に明るいわけでもない。一人では何もできない無力な女。そして、唯一価値があった美しさすら失ってしまって…、私は本当に空っぽで何の価値もなくなってしまったと思ったわ。」
「リュシュフィ様…。」
きっと、リュシュフィは心に大きな傷を負った。きっと、それは火傷の傷よりも深いものだったことだろう。リュシュフィはその美貌から婚約者がいる身でもたくさんの男が狙っていたと聞いている。だが、その事件以降、全員が離れたと聞く。リュシュフィの美貌を妬んでいた令嬢達は他人の不幸を楽しむかのように好き勝手に噂し、それらを吹聴したと聞く。心ない貴族の言動にどれだけ傷つけられたことだろう。リエルも似たような経験をしたからその辛さはよく分かる。
「こんな傷物の女を愛してくれる人はいない。そう思って絶望したわ。もういっそのこと死んでしまいたいとも…。でもね…、ディアークはそんな私を抱き締めてくれて、傷があろうとなかろうと君の美しさは変わらないって言ってくれたの。自分が妻にしたいと願うのは君だけだ。お願いだから、どこにも行かないで、傍にいて欲しい。今度こそ、自分が守るからって…。」
そうだ。先代のリアンディール子爵…、ディアーク卿は傷物になったリュシュフィを周囲の反対を押し切って結婚した。傷物のリュシュフィ相手なら、正妻の座を奪い取れると目論んだ野心ある女達もいたがディアーク卿は妻以外の女には目も暮れず、愛人や第二夫人を持つこともしないで妻であるリュシュフィ一人を愛した。リュシュフィは悲惨な過去を経験したが愛する男性に出会う事ができ、愛し合う夫婦の絆を築くことができて幸せだったことだろう。
「リュシュフィ様は本当に亡くなったディアーク様を愛していたのですね。…羨ましいです。」
リエルはぽつりとつい本音を零した。リュシュフィを見ていると、とても尊くて眩しく感じる。同時に羨ましいとも思ってしまった。
「リエル。あなただって、その未来はあるわ。私はその相手はアルバートだと思っているのよ。」
「リュシュフィ様…。でも、私は…、」
「リエル。アルバートはあなたが思っている以上にあなたを愛しているわ。見ていれば分かるもの。彼は小さい頃からあなた一人しか見ていなかったのだから。」
リエルは視線を伏せ、カップをそっと両手で包み込むように触った。カップに入っている緑色の茶をぼんやりと見つめながら、ぽつぽつと心の内を語った。
「アルバートの…、気持ちを疑ったりはしていません。彼の想いは十分すぎる位に伝わっています。叶う事なら…、私もアルバートとそんな関係になりたい。でも…、やっぱりまだ怖いのです。臆病で弱い私は…、まだ彼に全てを曝け出す覚悟ができないのです。」
「…リエル。大丈夫。世界は思っているよりも優しさでできているのよ。自分の殻に閉じこもってばかりだと見えない部分もあるけど、一度殻を破ってしまえば新しいものが見えてくる。そんなものよ。
でも、そうね。確かに一歩踏み出す勇気を持つのは難しい事だわ。なら…、逆の立場で考えてみたら?」
「逆の立場…?」
「もし、アルバートが任務の最中に怪我をして、顔に傷ができたとする。それが一生消えない傷だといわれたら…、あなたは心変わりをするかしら?」
「いいえ!そんな、そんな事は…!傷ができたからとかそんな…、それ位のことで心変わりなんてしません!」
リエルは思わず叫んだ。アルバートに傷があるからそれで好きじゃなくなる?
そんな軽い気持ちの恋心なら、私はこんなに苦しむことはなかった。こんなにも…、叶わない恋心に引き裂かれそうな思いをすることもなかった。
彼に愛されることは諦めていた。でも、本当は心の底ではずっとずっと渇望していた。アルバートを重ねて青空を見つめてしまう位に。
「だって、傷があろうとなかろうとアルバートがアルバート自身であることに変わりはないのだから。」
リエルはアルバートの容姿だけに惹かれたわけじゃない。確かに、彼はとても美しい。太陽に照らされてキラキラと輝く髪も青い空を切り取ったかのような瞳の色も全部が好きだ。
でも、それだけじゃない。私はアルバートの優しさや勇敢な所、真っ直ぐな心に惹かれたんだ。
不器用な愛情表現や誤解を与えやすい口下手な所、子供っぽい嫉妬心や独占欲を知り、益々好きになった。
彼はいつも堂々として自信に満ち溢れ、凛とした強さを持っている。けれど、あの時、リエルに縋りついた彼は頼りなげで弱弱しく、リエルを誰にも渡したくないと抱き締める腕は震えていた。彼だって人間なのだ。完璧ではない。不安にもなるし、恐怖する。私はアルバートの人間らしい弱さにも惹かれたんだ。彼の強さも弱さも全部が愛おしい。私はそんな彼の全部を受け止めたい。そう思った。この気持ちに偽りはない。
リエルの表情を見て、リュシュフィは微笑んだ。
「あなたなら、そう言うと思ったわ。それなら…、あなたも彼を信じてあげて。彼もきっと…、あなたが
話してくれるのを待っている筈なのだから。」
「…そうでしょうか…。」
「そうよ。見ていれば、分かるわ。アルバートは小さい頃からあなた一人しか見ていなかったもの。それこそ…、傷がある位で心変わりをする筈がないわ。だって、傷があろうとなかろうとリエルがリエルであることに変わりはない。そうでしょう?」
リエルが言った言葉をそのまま言葉にするリュシュフィにリエルは思わず目を瞠った。
「私も不幸な事件でこんな傷を負ってしまったけど愛を手にすることができた。あなたにだって、きっとその可能性はあるわ。それを忘れないで。だって、私がその証明になるのだから。」
「…ありがとうございます。リュシュフィ様。」
リエルは深く頭を下げてお礼を言った。そして、決意した。
アルバートに…、話そう。私が隠してきたこの片目の真実を…。
正直に言うと、まだ不安はある。でも、それでも…、彼を信じたいと思った。
私は逃げてばかりだった。でも…、リュシュフィ様は違う。彼女はちゃんと愛する人と向き合い、その困難を乗り越えて幸せを手にした。
私も…、リュシュフィ様のようになりたい。アルバートと…、この先の未来を歩んでいきたい。
その為には…、彼に向き合わないといけない。自分の弱さから目を背けてはいけないのだ。
彼だって、自分の弱さや秘密を曝け出してくれたのだ。だから、今度は…、私の番だ。
「よし。」
リエルは改めて書いた手紙を見直し、頷いた。そして、早速手紙を送るように手配した。
リエルはアルバートに手紙を出したのだ。大事な話があるので時間を作って欲しいと。
もう後戻りはできない。決めたんだ。アルバートにちゃんと二年前の事件を話すって。
リエルは深く深呼吸をした。
「あら。」
不意にリエルは正面から向かってくる相手に顔を上げた。リエルは顔を強張らせた。
黒髪に紫水晶の瞳を持った艶やかな美女…、オレリーヌだった。
「お母様…。」
リエルは思わず立ち止まった。オレリーヌは無視するかと思いきや、コツコツと足音を立てて、リエルに近付いた。むわり、と甘い匂いがする。この匂い…、あの時と同じ…。
バサリ、と扇を広げてオレリーヌは冷ややかな眼差しを注いだ。
「近頃、随分と楽しそうね。リエル。」
「…そう見えますか?」
「白々しい。こちらに見せつけるようにしておきながら…。知っているのよ。お前、アルバートと付き合う事になったのですって?どんな手を使って彼を落としたのか知らないけれど、思い上がらない事ね。」
リエルは話を聞くふりをしながらも匂いを嗅いだ。間違いない。独特のこの香り。甘ったるくて一度嗅いだら忘れられない香りだ。今はまだ…、母に異常な様子はない。
「お前の様な…、醜い傷を持った女なんて、いずれは捨てられるに決まっている!」
リエルは黙ったままだ。本を持つ手にギュッと力を込める。
「どうせ、お前の事だから、アルバートに見せていないのでしょう?でも…、いつまでも隠し通せると思わない事ね。その片目の傷を見せたら…、彼がどんな反応をするのか見物ね。」
オレリーヌはそう言って、意地悪く目を細め、リエルを嘲笑った。リエルは数秒黙ったままだったが…、フッと口角を上げて微笑んだ。
「ご心配なく。お母様。…私もそのつもりですわ。」
「…何ですって?」
「言葉通りですわ。私も…、お母様と同じことを思っていたのです。お母様の言う通り、いつまでも隠せるものではない。だから…、彼にありのままの私の素顔を見て頂こうと考えております。その上で…、彼の答えを聞くことに致します。」
リエルの言葉にオレリーヌは目を瞠った。
「私も…、アルバートがどんな反応を示すのか…、興味がありますの。ですから…、ご心配はいりませんわ。」
リエルはニコッと笑い、スッと母の横を通り過ぎる。コツコツと音を立てて、リエルはそのまま廊下を通り過ぎた。そのまま自室に戻り、扉を閉める。その直後、リエルはハー、と長い息を吐きながらずるずると力なく床に座り込んだ。
「こ、怖かった…。」
まだ心臓がドキドキしている。リエルは母にあんな風に反撃したことなど一度もない。いつも母の言っている言葉に黙り込み、反論したことがなかった。
母のナイフのような鋭い言葉に傷つき、時には叩かれてもリエルは決して歯向かったりしなかった。泣かないように唇を噛み締めて震えるだけの無力な娘でしかない。
母が苛立っている時のストレス発散で罵倒されても何も言わなかった。
リエルは母を前にすると、硬直して動かなくなる。幼い頃に植え付けられた恐怖が甦るからだ。
今では人前ではそれを悟らせないように取り繕う事はできるようになったが今でもその恐怖は根付いている。
さっきはあんな風に強気な態度を取っていたがリエルの手は震えていた。やっぱり、昔のトラウマは中々、消えないものだ。でも、あれでもリエルにとっては大きな成長だった。
一歩踏み出す勇気を出すと決めたのだ。その為にも…、私は過去を乗り越えていかなければならない。
もう逃げてばかりは嫌だ。強くなりたい。アルバートの隣に立つふさわしい女性に私はなりたいのだ。
だから、もう母に虐げられるだけの弱い娘とはお別れだ。母が相手でも戦う勇気を持たないと。
そこには、以前の愛されることを諦めた寂しい目をした女はいない。強い決意を秘めた女の姿があった。
『血染めの女王』と悪名高く、ありとあらゆる悪行に手を染めた恐ろしい気質の女王。その悪行の一つとして、女王は美しい女を無惨な方法で殺したり、顔に一生、見えない傷を残したりした。リュシュフィはその最後の犠牲者だった。
当時、リアンディール子爵家当主、ディアーク卿の婚約者であったリュシュフィは女王にお茶の誘いを受け、王宮に赴いた。
そのお茶の席で女王は劇薬の入ったカップをリュシュフィの顔にかけて、リュシュフィは酷い火傷を負った。その場にいた青薔薇騎士が慌てて止めたがそれすらも振り切って女王は苦しみ悶えて床に倒れ込んでいるリュシュフィに追い打ちをかけるかのように劇薬をかけようとしたが突然、現れたリアンディール子爵と五大貴族に阻まれ、リュシュフィの傷は顔の半分だけですんだ。
リュシュフィのお茶の誘いを聞きつけ、ディアーク卿は急いで駆けつけたのだが一歩、遅かった。
リュシュフィの火傷は顔の半分だけだったとはいえ、完全には治らず、顔に一生残る傷となってしまった。
女王はリュシュフィに手をかけたことで完全に五大貴族からは見限られ、最終的に女王は失脚する道を辿ることになる。
妖精姫と謳われた美貌を持つリュシュフィが目覚めた時に火傷の残る顔を見て、何を思ったのか。
リエルには想像もできない。でも、きっとリエルがあの時、感じた絶望を抱いたことだろう。
「リエル。私はね…、ディアークに捨てられると思ったわ。私は美しいだけが取り柄の何の力もない他国の貴族令嬢。頭がいいわけでも武術の道に明るいわけでもない。一人では何もできない無力な女。そして、唯一価値があった美しさすら失ってしまって…、私は本当に空っぽで何の価値もなくなってしまったと思ったわ。」
「リュシュフィ様…。」
きっと、リュシュフィは心に大きな傷を負った。きっと、それは火傷の傷よりも深いものだったことだろう。リュシュフィはその美貌から婚約者がいる身でもたくさんの男が狙っていたと聞いている。だが、その事件以降、全員が離れたと聞く。リュシュフィの美貌を妬んでいた令嬢達は他人の不幸を楽しむかのように好き勝手に噂し、それらを吹聴したと聞く。心ない貴族の言動にどれだけ傷つけられたことだろう。リエルも似たような経験をしたからその辛さはよく分かる。
「こんな傷物の女を愛してくれる人はいない。そう思って絶望したわ。もういっそのこと死んでしまいたいとも…。でもね…、ディアークはそんな私を抱き締めてくれて、傷があろうとなかろうと君の美しさは変わらないって言ってくれたの。自分が妻にしたいと願うのは君だけだ。お願いだから、どこにも行かないで、傍にいて欲しい。今度こそ、自分が守るからって…。」
そうだ。先代のリアンディール子爵…、ディアーク卿は傷物になったリュシュフィを周囲の反対を押し切って結婚した。傷物のリュシュフィ相手なら、正妻の座を奪い取れると目論んだ野心ある女達もいたがディアーク卿は妻以外の女には目も暮れず、愛人や第二夫人を持つこともしないで妻であるリュシュフィ一人を愛した。リュシュフィは悲惨な過去を経験したが愛する男性に出会う事ができ、愛し合う夫婦の絆を築くことができて幸せだったことだろう。
「リュシュフィ様は本当に亡くなったディアーク様を愛していたのですね。…羨ましいです。」
リエルはぽつりとつい本音を零した。リュシュフィを見ていると、とても尊くて眩しく感じる。同時に羨ましいとも思ってしまった。
「リエル。あなただって、その未来はあるわ。私はその相手はアルバートだと思っているのよ。」
「リュシュフィ様…。でも、私は…、」
「リエル。アルバートはあなたが思っている以上にあなたを愛しているわ。見ていれば分かるもの。彼は小さい頃からあなた一人しか見ていなかったのだから。」
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「…リエル。大丈夫。世界は思っているよりも優しさでできているのよ。自分の殻に閉じこもってばかりだと見えない部分もあるけど、一度殻を破ってしまえば新しいものが見えてくる。そんなものよ。
でも、そうね。確かに一歩踏み出す勇気を持つのは難しい事だわ。なら…、逆の立場で考えてみたら?」
「逆の立場…?」
「もし、アルバートが任務の最中に怪我をして、顔に傷ができたとする。それが一生消えない傷だといわれたら…、あなたは心変わりをするかしら?」
「いいえ!そんな、そんな事は…!傷ができたからとかそんな…、それ位のことで心変わりなんてしません!」
リエルは思わず叫んだ。アルバートに傷があるからそれで好きじゃなくなる?
そんな軽い気持ちの恋心なら、私はこんなに苦しむことはなかった。こんなにも…、叶わない恋心に引き裂かれそうな思いをすることもなかった。
彼に愛されることは諦めていた。でも、本当は心の底ではずっとずっと渇望していた。アルバートを重ねて青空を見つめてしまう位に。
「だって、傷があろうとなかろうとアルバートがアルバート自身であることに変わりはないのだから。」
リエルはアルバートの容姿だけに惹かれたわけじゃない。確かに、彼はとても美しい。太陽に照らされてキラキラと輝く髪も青い空を切り取ったかのような瞳の色も全部が好きだ。
でも、それだけじゃない。私はアルバートの優しさや勇敢な所、真っ直ぐな心に惹かれたんだ。
不器用な愛情表現や誤解を与えやすい口下手な所、子供っぽい嫉妬心や独占欲を知り、益々好きになった。
彼はいつも堂々として自信に満ち溢れ、凛とした強さを持っている。けれど、あの時、リエルに縋りついた彼は頼りなげで弱弱しく、リエルを誰にも渡したくないと抱き締める腕は震えていた。彼だって人間なのだ。完璧ではない。不安にもなるし、恐怖する。私はアルバートの人間らしい弱さにも惹かれたんだ。彼の強さも弱さも全部が愛おしい。私はそんな彼の全部を受け止めたい。そう思った。この気持ちに偽りはない。
リエルの表情を見て、リュシュフィは微笑んだ。
「あなたなら、そう言うと思ったわ。それなら…、あなたも彼を信じてあげて。彼もきっと…、あなたが
話してくれるのを待っている筈なのだから。」
「…そうでしょうか…。」
「そうよ。見ていれば、分かるわ。アルバートは小さい頃からあなた一人しか見ていなかったもの。それこそ…、傷がある位で心変わりをする筈がないわ。だって、傷があろうとなかろうとリエルがリエルであることに変わりはない。そうでしょう?」
リエルが言った言葉をそのまま言葉にするリュシュフィにリエルは思わず目を瞠った。
「私も不幸な事件でこんな傷を負ってしまったけど愛を手にすることができた。あなたにだって、きっとその可能性はあるわ。それを忘れないで。だって、私がその証明になるのだから。」
「…ありがとうございます。リュシュフィ様。」
リエルは深く頭を下げてお礼を言った。そして、決意した。
アルバートに…、話そう。私が隠してきたこの片目の真実を…。
正直に言うと、まだ不安はある。でも、それでも…、彼を信じたいと思った。
私は逃げてばかりだった。でも…、リュシュフィ様は違う。彼女はちゃんと愛する人と向き合い、その困難を乗り越えて幸せを手にした。
私も…、リュシュフィ様のようになりたい。アルバートと…、この先の未来を歩んでいきたい。
その為には…、彼に向き合わないといけない。自分の弱さから目を背けてはいけないのだ。
彼だって、自分の弱さや秘密を曝け出してくれたのだ。だから、今度は…、私の番だ。
「よし。」
リエルは改めて書いた手紙を見直し、頷いた。そして、早速手紙を送るように手配した。
リエルはアルバートに手紙を出したのだ。大事な話があるので時間を作って欲しいと。
もう後戻りはできない。決めたんだ。アルバートにちゃんと二年前の事件を話すって。
リエルは深く深呼吸をした。
「あら。」
不意にリエルは正面から向かってくる相手に顔を上げた。リエルは顔を強張らせた。
黒髪に紫水晶の瞳を持った艶やかな美女…、オレリーヌだった。
「お母様…。」
リエルは思わず立ち止まった。オレリーヌは無視するかと思いきや、コツコツと足音を立てて、リエルに近付いた。むわり、と甘い匂いがする。この匂い…、あの時と同じ…。
バサリ、と扇を広げてオレリーヌは冷ややかな眼差しを注いだ。
「近頃、随分と楽しそうね。リエル。」
「…そう見えますか?」
「白々しい。こちらに見せつけるようにしておきながら…。知っているのよ。お前、アルバートと付き合う事になったのですって?どんな手を使って彼を落としたのか知らないけれど、思い上がらない事ね。」
リエルは話を聞くふりをしながらも匂いを嗅いだ。間違いない。独特のこの香り。甘ったるくて一度嗅いだら忘れられない香りだ。今はまだ…、母に異常な様子はない。
「お前の様な…、醜い傷を持った女なんて、いずれは捨てられるに決まっている!」
リエルは黙ったままだ。本を持つ手にギュッと力を込める。
「どうせ、お前の事だから、アルバートに見せていないのでしょう?でも…、いつまでも隠し通せると思わない事ね。その片目の傷を見せたら…、彼がどんな反応をするのか見物ね。」
オレリーヌはそう言って、意地悪く目を細め、リエルを嘲笑った。リエルは数秒黙ったままだったが…、フッと口角を上げて微笑んだ。
「ご心配なく。お母様。…私もそのつもりですわ。」
「…何ですって?」
「言葉通りですわ。私も…、お母様と同じことを思っていたのです。お母様の言う通り、いつまでも隠せるものではない。だから…、彼にありのままの私の素顔を見て頂こうと考えております。その上で…、彼の答えを聞くことに致します。」
リエルの言葉にオレリーヌは目を瞠った。
「私も…、アルバートがどんな反応を示すのか…、興味がありますの。ですから…、ご心配はいりませんわ。」
リエルはニコッと笑い、スッと母の横を通り過ぎる。コツコツと音を立てて、リエルはそのまま廊下を通り過ぎた。そのまま自室に戻り、扉を閉める。その直後、リエルはハー、と長い息を吐きながらずるずると力なく床に座り込んだ。
「こ、怖かった…。」
まだ心臓がドキドキしている。リエルは母にあんな風に反撃したことなど一度もない。いつも母の言っている言葉に黙り込み、反論したことがなかった。
母のナイフのような鋭い言葉に傷つき、時には叩かれてもリエルは決して歯向かったりしなかった。泣かないように唇を噛み締めて震えるだけの無力な娘でしかない。
母が苛立っている時のストレス発散で罵倒されても何も言わなかった。
リエルは母を前にすると、硬直して動かなくなる。幼い頃に植え付けられた恐怖が甦るからだ。
今では人前ではそれを悟らせないように取り繕う事はできるようになったが今でもその恐怖は根付いている。
さっきはあんな風に強気な態度を取っていたがリエルの手は震えていた。やっぱり、昔のトラウマは中々、消えないものだ。でも、あれでもリエルにとっては大きな成長だった。
一歩踏み出す勇気を出すと決めたのだ。その為にも…、私は過去を乗り越えていかなければならない。
もう逃げてばかりは嫌だ。強くなりたい。アルバートの隣に立つふさわしい女性に私はなりたいのだ。
だから、もう母に虐げられるだけの弱い娘とはお別れだ。母が相手でも戦う勇気を持たないと。
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