上 下
132 / 226

第百三十話 あなたが好きです

しおりを挟む
「はあ…。あなたとルイのお蔭で助かった…。ありがとう。リヒター。」

リエルは自室に戻り、長椅子に座って緊張と不安が解けたのか安堵の溜息を吐いた。

「いえ。私は何も…。お礼なら旦那様に言ってあげてください。きっと、喜びます。」

「勿論、ルイにも後でちゃんとお礼を言うわ。でも、やっぱり二人の協力があってこそ、無事にやり遂げられたと思うの。だから、お礼くらいは言わせて。」

リエルはニコッとリヒターに微笑んだ。そんなリエルにリヒターは目を細め、恐縮です。と答え、リエルに紅茶を差し出した。

「お嬢様…。もし、お辛いならあなたは無理をしなくてもよろしいのですよ。旦那様だって、あなたには危険な橋を渡らせたくないと…。」

「リヒター…。心配してくれているの?でも、大丈夫。これは、五大貴族の責務で宿命だもの。ルイやあなたが立ち向かっていくのに私だけが逃げる訳にはいかない。そんな甘えは許されないわ。」

「…そうですか。」

「心配してくれて、ありがとう。でも、私は…、この国の害になる悪の種は摘み取らないといけない。その為なら…、例えお母様が相手であっても同じこと。
貴族の世界では時には身内が相手であっても戦わないといけない。私は、今がその時なんだと思う。それに、これは…、私自身のけじめだわ。」

「ええ。そうですね…。」

リヒターは微笑みを浮かべて頷いた。リエルはフウフウ、と息を吹きかけながら紅茶を口にする。

「やっぱり、リヒターの淹れるお茶は美味しいわ。」

「そう言っていただけると、光栄です。」

「私、つい最近まで知らなかったけどアルバートも紅茶を淹れるのが上手いのね。フフッ…、やっぱり兄弟ってそういう所も似るのかしら?アルバートって、昔は紅茶を淹れるのすっごい苦手だったのにいつの間にかあんなに上手くなって…、」

リエルは昔の事を思い出した。
アルバートは一度だけリエルに紅茶を淹れてくれたことがあるのだ。だが、その時の紅茶は渋くてとても飲めたものじゃなかった。思わず、苦い…。と呟いてしまったリエルはハッとして慌てて口を押さえたがもう遅い。アルバートは真っ赤な顔をして、じゃあ、もう飲むな!と言ってリエルから紅茶を取り上げてしまった。なのに、あのリーリア嬢の一件があった夜会の後にアルバートの屋敷で出された紅茶はとても美味しかった。

「そういえば、アルバートの紅茶ってリヒターの淹れた紅茶とよく似ているの。何だか紅茶を淹れる時の手つきとかもよく似ててね。兄弟だからそういう癖とかも似るのかしら?」

リエルが笑いながらそう口にするがリヒターはきっぱりと言った。

「違いますよ。アルバートの紅茶は私が仕込んだものですから似ていて、当然です。」

「え?」

リエルはキョトンとして目を瞬いた。

「その様子だと…、何も聞かされてないのですね。」

リヒターはハア、と呆れたような溜息を吐いた。

「えっと…、どういうこと?」

「今、言った通り…。アルバートの紅茶は私自身が直々に指導をして鍛え上げたものです。まあ、あの愚弟のことですから黙っているだろうとは思っていましたが…、」

「そういえば…、アルバートはたくさん練習をしたって言っていたような…。」

「ええ。それはもう…、数え切れない程、練習をしましたよ。アルバートはお嬢様と違って物覚えが悪くてがさつでしたので中々、習得できず困ったものです。お嬢様は元々、素質があったので問題ありませんでしたがアルバートは…、はっきり言って酷いものでした。」

アルバート…。リヒターから紅茶の淹れ方教わったんだ。リエルはアルバートに同情した。
リエルもリヒターに紅茶の淹れ方を教わったがその時もリヒターはかなり厳しかった。
もしかして、リエル以上に苦労したのではないだろうか。

「アルバートって、そんなに紅茶を淹れられるようになりたかったの?彼はただの興味本位だって言っていたけど…、」

興味本位にしてはやり過ぎではないだろうか。あのリヒターの扱きを受ければ興味があろうが普通の人間はすぐに投げ出してしまいそうだ。そう疑問に思ったリエルだったが

「私がお嬢様に紅茶を淹れてあげるととても喜ばれた、といった事をお話したのですよ。それで少し揶揄ってあげましたらアルバートが本気になりまして…、紅茶位、自分でも淹れられる!と断言しまして。昔、お嬢様に渋い紅茶を出したことを指摘したら、さすがにバツの悪い顔をしまして…、そして、何故かだったら、俺に紅茶の淹れ方を教えろ!と言われまして。それがそもそもの発端です。」

「え…、じゃあ、アルバートって…、」

もしかして、私の為…?リエルはかああ、と顔を赤くした。

「よっぽど悔しかったのでしょうね。私の指導から逃げ出さずにいた根性だけは見直しましたよ。」

リエルは無性にアルバートの紅茶を飲みたくなった。

「次にアルバートに会ったら聞いてあげるといいでしょう。きっと、面白い反応がかえってきますから。」

「…うん。」

リエルはコクン、と嬉しそうに頷いた。リエルは思わず赤くなった頬を押さえた。顔がにやけてしまう。そんなリエルをリヒターはじっと見つめ、ぽつりと呟いた。

「お嬢様は…、今…、幸せですか?」

「え?どうしたの?急に。」

リエルは唐突な質問にキョトンとした顔をして見上げた。リエルは不思議がりながらも微笑んで答えた。

「ええ。私、今…、とっても幸せだわ。こんなに幸せでいいのかなって思ってしまう位。」

「そう、ですか…。」

「リヒター?」

やや目を伏せたリヒターにリエルは声を掛ける。その時、風が窓をガタガタと揺らした。

「わ…、すごい風。嵐でもくるのかしら?」

思わず視線が窓の外に向く。リエルは立ち上がって外を確認しようと窓に歩み寄る。
その時…、グイ、とリエルは後ろから突然抱きすくめられた。リエルは驚いて立ち止まった。そして、思わず声を上げた。

「え?リヒター!?」

「…あなたが好きです。」

「え…、」

リエルは目を見開いた。今…、何て?聞き間違いだろうか。私を好きと言った?

「お嬢様…。私の手を…、取ってはいただけませんか?」

リヒターの吐息がリエルの耳にかかった。リエルはリヒターを見上げた。彼の表情は何を考えているのか分からない。リヒターはリエルをじっと見下ろした。

「アルバートではなく…、私を選んでください。」

リエルはリヒターの言葉に息を呑み、固まった。突然の事に思考が停止する。何と答えればいいのか分からず、混乱してしまう。

「な、何言って…、」

何か言わなきゃ、と思いながらも震える声でそう呟くのがやっとだった。そんなリエルをリヒターは無言で見下ろした。やがて、フッと口元に笑みを浮かべると、すぐにリエルから手を離した。

「…フフッ…、冗談ですよ。」

そうして、いつもの穏やかな笑顔を浮かべたリヒターに戻っていた。先程の緊迫した空気が和らいだ。
心臓がバクバクと激しく音を立てている。

「じょ、冗談…?」

「ええ。そうですよ。どうですか?中々、驚きましたでしょう?」

「り、リヒター!悪ふざけもいい加減にして!」

リエルは騙された、と思い、憤慨した。思わずわなわなと身体を震わせてリヒターを怒鳴りつける。
リヒターに淑女が大声で叫ぶなんてはしたないですよ、と言われたがあなたのせいでしょう!とリエルは益々怒り、クッションを投げつけた。残念ながら当たらずに軽々と避けられたが。

「私がどんな性格かもうお忘れですか?」

リヒターは床に落ちたクッションを拾い上げ、パンパンと汚れを落としながら元の場所に戻した。
そうだった。この執事が腹芸が得意で腹黒な性格だったのをすっかり忘れていた。笑顔で毒を吐き、よく人を揶揄ったり甚振る。それがリヒターだ。最近、彼の毒がなりを潜めていたから勘違いをしていた。リヒターの腹黒さは今も変わっていないのだ。

「それにしても…、先程のお嬢様の反応は中々、面白…、いえ。可愛らしかったですよ。」

「リヒター!」

リエルは真っ赤になってまたしてもクッションを投げつけた。



部屋から追い出されたリヒターは扉を背に預け、フウ、と溜息を吐いた。
さっきまでの笑顔を掻き消し、無表情になる。リヒターはそのまま手元に視線を落とした。
あの時…、彼女を抱き締めた感触がまだこの手に残っている。彼女の身体は小さくて、華奢で自分の腕の中にすっぽりとおさまって…、あのまま力を籠めれば折れてしまいそうだった。リヒターは俯いた。

―何故…、あんな事をしてしまったのだろう。自分は。
彼女が自分を見てくれないのは分かっていた筈なのに…。

リヒターの脳裏にアルバートとリエルの姿が思い浮かんだ。
リエルを送り届けた弟がリエルの額に唇を落とし、リエルが驚きながらも嬉しそうに頬を染めた表情…。
リヒターは深く目を瞑る。そして、次に目を開けた時には…、ある種の決意の色がその瞳に宿っていた。

「…いいでしょう。お嬢様。あなたがその気なら、私は…、」

リヒターは意味深にそう呟くと、コツコツと硬い足音を立ててその場を去った。
しおりを挟む
感想 124

あなたにおすすめの小説

貴方が側妃を望んだのです

cyaru
恋愛
「君はそれでいいのか」王太子ハロルドは言った。 「えぇ。勿論ですわ」婚約者の公爵令嬢フランセアは答えた。 誠の愛に気がついたと言われたフランセアは微笑んで答えた。 ※2022年6月12日。一部書き足しました。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。  史実などに基づいたものではない事をご理解ください。 ※話の都合上、残酷な描写がありますがそれがざまぁなのかは受け取り方は人それぞれです。  表現的にどうかと思う回は冒頭に注意喚起を書き込むようにしますが有無は作者の判断です。 ※更新していくうえでタグは幾つか増えます。 ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。

つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。 彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。 なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか? それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。 恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。 その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。 更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。 婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。 生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。 婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。 後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。 「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。

虐げられた令嬢は、姉の代わりに王子へ嫁ぐ――たとえお飾りの妃だとしても

千堂みくま
恋愛
「この卑しい娘め、おまえはただの身代わりだろうが!」 ケルホーン伯爵家に生まれたシーナは、ある理由から義理の家族に虐げられていた。シーナは姉のルターナと瓜二つの顔を持ち、背格好もよく似ている。姉は病弱なため、義父はシーナに「ルターナの代わりに、婚約者のレクオン王子と面会しろ」と強要してきた。二人はなんとか支えあって生きてきたが、とうとうある冬の日にルターナは帰らぬ人となってしまう。「このお金を持って、逃げて――」ルターナは最後の力で屋敷から妹を逃がし、シーナは名前を捨てて別人として暮らしはじめたが、レクオン王子が迎えにやってきて……。○第15回恋愛小説大賞に参加しています。もしよろしければ応援お願いいたします。

わたしのことはお気になさらず、どうぞ、元の恋人とよりを戻してください。

ふまさ
恋愛
「あたし、気付いたの。やっぱりリッキーしかいないって。リッキーだけを愛しているって」  人気のない校舎裏。熱っぽい双眸で訴えかけたのは、子爵令嬢のパティだ。正面には、伯爵令息のリッキーがいる。 「学園に通いはじめてすぐに他の令息に熱をあげて、ぼくを捨てたのは、きみじゃないか」 「捨てたなんて……だって、子爵令嬢のあたしが、侯爵令息様に逆らえるはずないじゃない……だから、あたし」  一歩近付くパティに、リッキーが一歩、後退る。明らかな動揺が見えた。 「そ、そんな顔しても無駄だよ。きみから侯爵令息に言い寄っていたことも、その侯爵令息に最近婚約者ができたことも、ぼくだってちゃんと知ってるんだからな。あてがはずれて、仕方なくぼくのところに戻って来たんだろ?!」 「……そんな、ひどい」  しくしくと、パティは泣き出した。リッキーが、うっと怯む。 「ど、どちらにせよ、もう遅いよ。ぼくには婚約者がいる。きみだって知ってるだろ?」 「あたしが好きなら、そんなもの、解消すればいいじゃない!」  パティが叫ぶ。無茶苦茶だわ、と胸中で呟いたのは、二人からは死角になるところで聞き耳を立てていた伯爵令嬢のシャノン──リッキーの婚約者だった。  昔からパティが大好きだったリッキーもさすがに呆れているのでは、と考えていたシャノンだったが──。 「……そんなにぼくのこと、好きなの?」  予想もしないリッキーの質問に、シャノンは目を丸くした。対してパティは、目を輝かせた。 「好き! 大好き!」  リッキーは「そ、そっか……」と、満更でもない様子だ。それは、パティも感じたのだろう。 「リッキー。ねえ、どうなの? 返事は?」  パティが詰め寄る。悩んだすえのリッキーの答えは、 「……少し、考える時間がほしい」  だった。

【完結】側妃は愛されるのをやめました

なか
恋愛
「君ではなく、彼女を正妃とする」  私は、貴方のためにこの国へと貢献してきた自負がある。  なのに……彼は。 「だが僕は、ラテシアを見捨てはしない。これから君には側妃になってもらうよ」  私のため。  そんな建前で……側妃へと下げる宣言をするのだ。    このような侮辱、恥を受けてなお……正妃を求めて抗議するか?  否。  そのような恥を晒す気は無い。 「承知いたしました。セリム陛下……私は側妃を受け入れます」  側妃を受けいれた私は、呼吸を挟まずに言葉を続ける。  今しがた決めた、たった一つの決意を込めて。 「ですが陛下。私はもう貴方を支える気はありません」  これから私は、『捨てられた妃』という汚名でなく、彼を『捨てた妃』となるために。  華々しく、私の人生を謳歌しよう。  全ては、廃妃となるために。    ◇◇◇  設定はゆるめです。  読んでくださると嬉しいです!

政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~

つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。 政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。 他サイトにも公開中。

処理中です...